ドリーム小説
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=4= 足に冷気を感じたは、ふと目が開くのを感じた。
ぼやける先に茶色の世界が広がる。
なんだろうと、目を凝らすと、民居の天井のようだった。
「気がついたか」
長い溜め息が聞こえ、その懐かしい声に泣きたい気分だった。
「浩瀚…さま…」
「どれだけ心配させたのか、判っているだろうな」
不機嫌な声にも、にとってはこの上なく優しく聞こえる。
「申し訳ございません」
笑いながら言うに、浩瀚は不思議そうな視線を向けた。
それにはお構いなしに、は上半身を起こす。
「くっ…」
背中に痛みを覚えた。
「見える所には薬を塗っておいたが、他に痛む所はないか?」
浩瀚に言われ、右足を見ると添え木が施されていた。
腕にも数箇所、緑に固まった薬が見える。
「背中と…腰のほうも痛むように思います」
それはまた、と浩瀚は言って、後ろを向いた。
「背と腰を出し終えたら言いなさい」
「薬を塗っていただけるのですか?」
「塗らなければ、痛みは引かない」
そう言われて、は腰紐を解く。
髪を前に持ってきて、肩から布を落とす。
少し緊張しながら、浩瀚に返事をした。
「これは…」
の背をみた浩瀚は、しばし絶句していた。
そんなに酷いのだろうか…。
「あ、あの…浩瀚さま?わたくしの背は、一体…」
「打身が日の光ように四方へと伸びている。少し痛いが、我慢できるか」
はゆっくりと頷いて、ぐっと身構えた。
やがて背をなぞる様な感触と供に、激痛がを襲う。
涙が出るほど痛いと感じたのは、もう何年ぶりだろうか。
この痛みは、自分の浅はかさだ。
短慮で子童のような思考が、この痛みを生むのだと感じる。
「、布をもう少し下まで…腰に薬が届かぬ」
痛さのあまり、両手で掴んでいた襦裙を取り落とし、ぱさりという静かな物音と供に、上半身が露になる。
浩瀚は少し目を細めてそれをみていた。
薄暗い房室で、白い肌を眩しく思ったのだ。
腰の赤みはさほど酷くなく、もう少しの我慢だと言い聞かせながら、その作業を終えた。
再びに背を向け、襦裙を羽織るのを待つ。
「終わりました。あの、冢宰…」
消え入りそうな声を不振に思い、振り返ると泣きそうなの顔があった。
「どうしてこちらに?」
「どうして?」
信じられないような言葉を浴びせられて、冢宰は再び溜め息をついた。
「心配だったから以外に、ここへ来る理由があろうはずもない」
言われたは、申し訳なく思い頭を下げた。
「一日遅れて来てみれば、の姿は里のどこにもない。先にやらせた者に、もし姿を現したら、早まるなと警告するように言い渡しているが、どうなっているのか状況も判らずじまい。危惧して県城に向かえば、何やら騒ぎがする。しばらく静観していると、が転がり出てくるなど…どこまでも人の事を考えないようだな」
冷たく言われ、は泣きそうになった。
人の事と言われて、二名の女官が脳裏を掠めた。
あの者達は、無事でいるだろうか…
「申し訳、ございません…」
ついに堪えきれなくなった涙が、頬を伝って零れ落ちた。
「わたくしが下手な事をしたばかりに…あの者達は危険にさらされているのですね…」
「あの者達とは?」
「県城でわたくしにつけられた女官でございます。逃がせば、処刑されると…」
「ああ、それなら心配ないだろう。私が言っているのは、そうではないのだが…」
まだ落ちようとしている涙を、気にする事もなく顔を上げたは、浩瀚の顔を見た。
複雑な表情をしている。
「私が単身来ると思っているのか?県城は包囲してある。合図があるまで、隠れているが、捕らえられている女を解放すれば、一気に打つ」
は驚いて冢宰を見た。
「どこに捕われているのか、すでにご存知なのでしょうか?」
頷く冢宰に、は尊敬とも、驚愕ともとれる眼差しを送った。
「そもそも蒼羽郷にが向かったと同時に、ここにも数名潜らせていた。最初の報告から盟鉦県の琶鍔だとあるなら、ここが一番先に調べるべきだろう。しかし、を行かせる訳には行くまい」
それは何故ですかと、問おうとするに、浩瀚は素早く言った。
「結果は見ての通りだろう」
返す言葉もなく、はただ黙っていた。
浩瀚はを見ながら、優しく微笑んだ。
「無事とは行かなかったが、この手で助けあげる事が出来て、幸運だった」
「本当に、ありがとうございました…」
「感謝されたい訳ではない。勝手にしたことなのだから…私がここに居る事を知れば、怒る者もいるだろう…」
「で、では…黙って宮城を?それなら、わたくしの事を責められませんわ」
浩瀚の微笑みに、少し気力を取り戻したはそう言った。
「そんな事はない。私の気持ちを一向に気づかない者を、責めるなと言うのは出来た人間にのみ向けなければ」
何を言うのだと、の表情が物語った。
「浩瀚さまほど、出来た人物を差し置いて、他に誰が出来た者だと言うのです」
どこまでもすれ違う会話を、浩瀚は溜め息を供に終わらせようとした。
「私がを心配なのは、立場を超えての話だと…いつになれば気がついてくれるのだろうか?」
「立場を?」
「好いた女性が危険だと知って、どうして一人堯天に居れようか」
言われた事がまだ判らずに、は浩瀚を見ていた。
「こんなに心配をしても、相手はそれに気付かない。これだけ好いているのに、一向に振り向かない。それどころか、気がつけば手中からすり抜けてしまう。だから私がを責めるのは、ただの我侭であって、決して褒められた行為ではない。それでも、思いを告げてしまう事を、許してほしい」
浩瀚はの瞳を見つめ続け、はそれを逸らす事が出来なかった。
「他の誰よりも、傍に居て欲しい。一番近い場所から、見守らせて欲しい」
やっと理解したは、信じられない思いに胸が詰まった。
だが、県城を逃げる前、思い浮かべた人物と体面している事実が、の体を動かした。
腕を軸に浩瀚に擦り寄って、その胸元に頭を預ける。
「わたくしも、お慕いしておりました。きっと、気にかけて頂きたくて、こんな事をしてしまったのですわ…本当に、申し訳ございません。もう、お傍を離れません」
すれ違っていたと思っていたものが、やっと重なる。
「」
浩瀚はの名を呼び、彼女が動くのに気づき、それを待った。
少し辛そうに体を起こしたに、愛しい眼差しを向ける。
天井に映し出された影は、静かに重なり、気遣うように離れた。
しばらくそのままでいたが、まだ体の痛むを解放せねばと、浩瀚は顔を離し、腕を放す。
「浩瀚さま。明日の朝議に間に合いますでしょうか?」
「明日は朝議には出ないつもりだ。を置いて帰る事は出来ない」
「薬のお陰で、痛みは随分と引きました。騎獣に乗る事ぐらいは、出来ますわ」
浩瀚はしばし逡巡したが、やがては立ち上がった。
手を差し出せば、おとなしく掴む手がある。
翌日、は浩瀚の官邸で治療を受けていた。
骨折以外は、随分と回復しており、さほどの辛さはなかった。
政務を終えて戻ってきた浩瀚は、に盟鉦県の事を報告した。
女は全員無事に解放し、郷長の寡杢も、県正も捕らえた。
県城にも、郷城にも、女を隠すための房室があったのだと言う。
しかも、県城には快楽に耽るための大浴場も設けられ、その施工の為に、幾人もの民が駆り出されていたのだと聞いた。
中には浮民や荒民も含まれており、女であれば何でも良かったのだと言った感じに見受けられる。
改めて聞くその話に、は悪寒を感じた。
県城に閉じ込められていて、無事でいた自分が不思議な気さえする。
「無事でよかった…」
そう呟けば、呆れたような声が返ってくる。
「骨折をしていて、無事もなかろうに」
苦笑した顔を、は見つめながら微笑む。
「助けて頂きましたから平気ですわ」
「本当に、心配ばかりさせられる…」
「も、申し訳ございません」
だが、と浩瀚は言い置いて、の元へと近付く。
「傍を離れないと、確かに昨日聞いた」
微笑みながら言う浩瀚に、は赤い顔で返した。
「もう撤回は出来ない」
「はい…やっと気がついたのです。気がついた直後、浩瀚さまにお会いできたのですもの。わたくしは果報者ですわ」
そうか、とだけ言って、優しく口付ける。
そっと離れる浩瀚を、の腕が止める。
「お放し下さいますな。わたくしは、お傍にいるだけで幸せになれるのですから」
「大胆な事を言う」
苦笑した風の浩瀚を、意味の判っていないような目で見つめ返しただったが、近付いてきた顔を確認して、瞳を閉じる。
放すなと言った、自らの言が実行されようとしている事には、まだ気付かない。
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