慶東国の中央、雲嶺のさらに上では、朝議が厳かに執り行われていた。赤楽三年の年の瀬、朝議終了を合図に禁軍左軍将軍は、急いで宮道を歩いていた。辿り着いたそこは、王の政務の場であった。中に入ると、宰輔と冢宰が何やら話しこんでおり、王は太宰と熱心に話をしている。その四名の内、太宰が新たに入室して来た存在に気がつき、顔を入り口の方へと向けた。「桓タイ」太宰の声によって、一同の目が向けられる。「何事かございましたか?」陽子とに目を向けた桓タイは、次いで景麒と浩瀚を見る。「実は頼みたいことがあったんだ。何処からでもいいんだが、木を切って来てほしい」そう言った主に、桓タイはちょっとだけ首を傾げて問う。「木?何に使う木でしょうか?」「木の大きさ、形はに見てもらってくれ」「はあ。今すぐ行けばいいですか?」「そうだな。ただ公事ではないから、もし夏官の方で忙しいのであれば、そちらを優先してくれても構わない。太宰の方は昼から休みにしておいたから」「特に立て込んでいるって事もないんで、行ってきますよ。でも、何に使うんです?」「ツリーに、だな」そう言って主はに視線を送った。その視線を追って、桓タイの目もに向けられる。二人に注目されたは、くすくす笑って頷いた。「ともかく、行きましょう。では主上、行って参ります」「うん。気をつけてな」揃って退出した二人は、宮道を抜けて禁門の方に向かった。「太宰、用意は出来ておりますよ」禁門を守る左軍の一両。その中で伍長を務める凱之が、騎獣の手綱を持って後ろに控えていた。吉量が二頭だった。に話しかけているのは、凱之の下についている者だろうか。「久しぶりだな」桓タイは騎獣に歩み寄り、凱之に対面して話す。「はい。お変わりないようで何よりです。ああ、そうだ。杜真!」呼ばれたのは、先程声をかけてきた者だった。「昨年、左軍に入った者で、杜真と言います」呼ばれた杜真は目をきらきらさせながら、紹介された桓タイを見上げていた。とても憧れているように見え、は笑みを称えながらそれを見守っていた。二、三会話をした後、凱之が握っていた手綱は桓タイに渡され、二人は騎上の人となった。「で、何処に向かえばいいんだ?」「そうね…ひとまずは南に。適当に空行するから、ついてきて」「分かった」飛翔した騎獣を、禁門の門卒達が見送っていた。やがて禁門が消えると、桓タイはに質問をぶつける。「つりー、って何だ?蓬莱の言葉か?すとれすのような」は再びくすくす笑って、前を見たまま説明した。「そうね。本当はクリスマス・ツリーって言いたかったのよ」「くりすます?つりー?」「そう。元々蓬莱の物ではないのだけど…遠い遠い異国のお祭りでね。本来は宗教的な意味合いを持った、とても神聖なものなんだけど、蓬莱ではお祭りね」「神聖な…それは?こちら風に言うと?」「そうね…天帝聖誕祭ってとこかしら」「へえ。祭祀ではないのか?」「違うわね。何かを願ったりは…ああ、いえ。子童は願うわ。自分の欲しい物を下さいって、サンタクロースに願うの」「さんた…くろーす?」「そう。実際は両親が贈り物を想像して、予め買っておくのよ。それを寝ている子童の枕元にそっと置いておくの。子童は朝目が覚めると、枕元に贈り物を見つけるのよ。朝からはしゃいでそれを開ける。お菓子だったり、玩具だったりと色々なんだけどね。サンタさんからの贈り物だって、信じて喜ぶのよ」「そうか。も小さい頃、両親に貰った?」「ええ。お菓子をたくさん貰ったわ。十歳くらいまでかしら、本当にサンタさんが来るのだと思っていたわ」「来る?居院にか?」「そうなの。空から橇に乗って来るのよ。夜中の内にこっそりと入ってきて、枕元に贈り物を置いていく。世界中の子童達に、贈り物を届けるのがお仕事なの。とても夢のあるお祭りだわ」そこまで言って、はふっつりと黙ってしまった。懐かしい思い出に浸って、蓬莱を思い出してしまったのだろう。桓タイは見えないの顔を覗き込もうと、前にでようとしたが、ふいに繋がれた言によってそれを中断した。「そう、とても夢のある…でもこれって、豊かな国だからこそ、出来ることなのかもしれない…慶では…まだ難しい…」予想が外れていた事に桓タイは驚いた。蓬莱を思い出し、郷里へと思いを馳せていたのだと思っていたは、慶国の民の暮らしを考えていたのだ。「慶も、そうなっていく。焦っても仕方がないだろう?」そう諭されたは、こっくりと頷いて振り返った。「蓬莱のクリスマスはね、子童以外に大人も楽しむのよ。恋人達が愛を語らう日でもあるの。互いに贈り物をしあったりして、一緒に過ごすのよ。大切な人と過ごす、そんなお祭りなの」「へえ、じゃあ俺達も…」「みんなで過ごすのよ」再び前を向きながら、は言った。「恋人達だけじゃないわ。家族も一緒に過ごす。夫婦は愛を確認し、子童は親の愛情を感じ…だからね、みんなと過ごすの。だって、みんな家族みたいなものじゃない?慶を支えていく、一つの家族なのよ」「そうだな」「とは言っても、百官全員を呼ぶ訳にもいかないから、内々だけで集まるのだけどね」「場所は?」「太師の邸宅ね。だから木も太師の邸宅に運ばなきゃ」「木は一体何に使うんだ?」「飾りよ」「木が飾り?聞けば聞くほど分からなくなるな」難しい声に、はまた笑った。「でしょうね。そもそも勉強会の時に、主上から聞いた人達が、それをやってみたいって言ったそうよ」「祥瓊か?いや、桂桂?」「私もそう聞いたわ。でもね…」は笑ったままで、最後を言わない。横から覗き込んで促すと、「太師…遠甫がやってみたいって、仰られたそうよ」と言ってさらに笑いを深くしていった。「意外な人物が浮上したな…」「でしょう?それでね、クリスマスの雰囲気を知っているのって、主上と私だけなのよ。鈴の時代にはまだなかったから」「へえ、新しいんだな」そんな会話をしている内に、騎獣は高度を下げていった。二人は小さな森に降り立っていた。森を歩きながら、木の形を見ていたは、一つの大木の前で立ち止まった。感嘆の声を上げたは、振り返って桓タイを見る。「ひょっとして、これを引き抜けって言うんじゃ…ないだろうな…」木の幹は軽く桓タイの三倍はある。背は森を貫いて広がり、他の木々を守っているようにも見える。冷や汗を出しそうになっていた桓タイは、否定の声を聞いて心底安堵した。「凄いなって思ったの。こんなに大きな木、初めて見たから。持って帰るのは、もっと背の低いのでいいわ。そうね…大僕よりも少し背の高い木があれば、とてもいいんだけど」それに頷いた桓タイは、虎嘯の背丈を思い出しながら森を歩いた。「桓タイ!来て!」に腕を引かれて、左を向くと、そのまま指された方向に目を向けた。「あの木か?」の言った通り、虎嘯の身の丈よりも少し高い木だった。冬だと言うのに緑の葉を茂らせて、しっかりと根を張っている。「担げそう?」すぐ横で見上げてくるに、にっと笑って木へと向かう。気合を入れた声と供に、木に手をかけた桓タイは、地響きを伴いながらそれを引き抜いた。「桓タイ!!」驚いたままのの声に、木を担いだままの桓タイは振り返って、少し不安げな顔をしていた。「ひょっとして、根から引き抜くのはまずかったか?」は慌てて首を振って言う。「そんな事ないわ。で、でも…切るつもりでいたから…ちょっとびっくりしちゃった。だって、根から引き抜けるなんて…凄いわ…」驚いた理由を理解した桓タイは、それに安堵の息を漏らしてから笑った。「騎獣が大丈夫かな?」「もちろん、ちゃんと考えています。何のために二頭で来たの?」「なるほど。吊っていくんだな」「そうよ」にこりと笑ったに、桓タイも微笑み返す。祭りの詳細は分からないが、何やら楽しそうなを見ていると、自分も楽しみになってきた。「じゃあ、早く届けにいかないとな」桓タイに同意したは、木を担いだ後ろ姿を追いかけて、騎獣が待っている場所まで戻って行った。 騎獣に乗った二人は、二頭の均衡を取りながら宮城へと戻り、桓タイは木を担いだまま太師の官邸へと向かって行った。それを見送って、は太宰府へと戻り、政務をこなして行く。 夕刻になって、なんとか今日の分を終えたは、帰り支度をして立ち上がった。ふと自宅に向いていた足を止める。誰かに呼ばれるような感覚を覚え、自宅とは別の方面へと歩いていった。夕映えに光る雲海が一望できる庭院があった。夏官府の裏に当たるだろうか。幾重にも瞬く金の光を受けながら、白い壁が黄金に染まっているその景色。雲海、宮城、すべてが金。「金波宮…」その名を再現したかのような景観に、は立ち竦んだまま目を奪われていた。「綺麗…」溜息混じりにそう言うと、足は前へと進みだす。もっと広い景色を見ようと、瞳は瞬く波を見つめたまま、どんどん進んでいった。一望千里が広がる場所に出ると、ふいに人影が目に映る。「あ…桓タイ」ゆっくりと振り返った人影は、驚いてを見ていた。「どうしてここが分かったんだ?」「桓タイがいるとは、知らなかったわ。なんとなく歩いてきたら、ここに出たの。もっと広い景色を見ようと思って、前に来たら桓タイがいた…」驚いたままの二人は、同時にふっと笑って、胸元から石を取り出した。青と桃色の同じ石を。黄金の光を受けた石は瞬く。至る所で光が反射したその景色の中で、は桓タイに笑いかけながら言う。「一緒に帰りましょう」「そうだな」まだ人が多くいたので、手を繋ぐ事はなかったが、二人並んで帰途へとついた。 夕餉の席でと向き合っていた桓タイは、再びクリスマスについて質問をしていた。「そのサンタってのは、催上玄君や送子玄君みたいな存在なのか?空から馬橇に乗って来るって、その橇は飛ぶのか?」笑いながらも、はきちんと説明をしていた。「少し違うわね…送子玄君や催上玄君は里木に子を運んだり、子の名簿を作って西王母に献上したりでしょう。これって親のためじゃない?サンタは子童のために存在するのよ。世界中の子童の声を聞いて、贈り物を一晩のうちに配るの。寒い国に住んでいて、クリスマスの日にやってくる。元々は実在した人なのよ」「へえ、天仙にでもなったのか?」「ううん。後々にお話の上でそうなったようよ。元はニコラスと言う唯人で、貧しい人に施しを与えていたらしいの。それが宗教と相まって、そのような形に変化していったのね。それから馬ではなくて、トナカイが橇を引くのよ」「となかい?」「ええ。空を翔る鹿、かしら?トナカイが橇を弾き、サンタクロースは白い布に、世界中の子に贈る物を入れて、空から居院にやってくるの。そう、それでね…」は俯いて笑うのを堪えている。「鹿だって言うので主上ったら、台輔に橇を引かせようって言い出して、台輔を怒らせていたわね」「台輔に橇を!?」目を丸くして言った桓タイに、は頷いて言った。「わたしに馬の真似事をしろと仰るのかって、大層お怒りで…笑うのを我慢するの、大変だったんだから」「そりゃあ怒るだろう…」桓タイは呆れたように言うが、は思い出し笑いが止まらないらしい。「主上が冗談の通じない奴だって仰って。でね、サンタさんをね、太師が扮装してくれるようよ」笑いを堪えながら話すに、桓タイの疑問が飛ぶ。「扮装?決まった装いがあるのか?」「ええ。クリスマスには必要な、赤の衣なの」「必要とは?」は何かに気がついたように笑い、宙を見ながら桓タイに言う。「クリスマスはね、街が主上の色になるのよ」「主上の色?赤?」「ええ。赤と緑がクリスマスの象徴的な色になるわね」「それで衣も赤か。で、その衣はどうするんだ?」「私が作るのよ。木の飾りつけは祥瓊と鈴がやってくれるわ」「そうか。俺は?何をすればいい?」「桓タイのお仕事はもう終わったわよ?」きょとんとした顔がを見ていた。「終わった?まだ何もしてないぞ?」そう言うと、はまあ、と言って桓タイを見つめ直す。「今日、大きな木を持って帰って来たでしょう?」「あぁ、そうか」それを受け、くすりと笑ったは、頬杖をついて桓タイに笑いかける。「ねえ、とても楽しみね。ただの宴会と変わらないかもしれないけど…みんなで過ごせるんだと思うと、今からとっても楽しいもの」「そうだな」ずっと笑ったままのを見ながら、桓タイは幸せな気分に浸っていた。目前に笑ったが居る。それがこんなにも幸福感を呼び起こす。桓タイは微笑んだまま、対面している愛しい妻を見つめる。視線に気がついたが、赤くなって顔を伏せるまで、ずっと見つめていた。 それから十日後、新年が目前に迫っていた。朝から走り回っている太宰を、天官達は日々の日課をこなしながら、不思議そうに眺めていた。夕方になってもまだ落ち着きを見せない太宰に、堪りかねた女官の一人が問いかけたが、個人的な事だと言って返され、さらには皆帰っても良いとの言葉を投げられた。そうして天官府には急激に人が減り、太宰の姿も消えた。 「」自宅で数人の女に囲まれていたは、桓タイに呼ばれて振り返った。「もう行かないと始まるぞ」「もうちょっとだけ待って。後少しで出来上がるのよ」台には白い物体が置かれており、どうやらそれを皆で必死に作っているようだった。なんだとでも言いたげな視線を軽く流し、は作業へと戻っていく。しばらく待っていると、大きな箱を抱えたが現れる。「それ、今作っていたやつか?」「ええ。行きましょうか。急がなきゃね」同意した桓タイと供に、は太師の官邸へと向かっていった。 「祥瓊、これはこっちでいいの?」「あ、それはね、そっちの方がいいんじゃない?あ、虎嘯!お帰りなさい」虎嘯は数名を引き連れて帰宅した。それによって、殆どの人間が集まった。「じゃあ、後は…」きょろきょろと辺りを見回した鈴は、居ない人物を考えている。「左将軍と太宰だな」それを察してか陽子が言う。そして、ふっと思い出したように手を掌に打ち付ける。「ああ、そうか。ケーキを作ってくれているんだ」ばっと振り向いた自分の半身に、陽子は笑いかけて違うと言う。色とりどりに塗った星の木枠を持って、走り回っていた桂桂に、陽子は笑いながら話しかける。「みんなで食べような、ケーキ」きょとんとした顔を見せている桂桂と、訝しげな顔の景麒をただ笑って見ていた。
続く
ああぁ!ついにやってしまった☆
私の中では禁忌中の禁忌…かもしれない。
思いっきり横文字の世界ですが…
季節物でも書いたら?と言った友人の言葉に、書き始めてしまいました。
酒ネタは榴醒伝説の頃、丸々一章分を削除した苦い思い出が☆
世界観を維持しながら、横文字と酒との戦いです。
あ、横に台輔が…
美耶子