ドリーム小説
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月の花 =1= 時は戦乱を迎えていた。
泰平の世とは程遠く、戦火に満ちている。
武を競い合う守護大名の軍勢が、いつ火種を撒布(さっぷ)して行くのか誰にも知りえず、不安が漂う世の中であった。
「若様、お早く」
「、足が痛い」
「後で揉んで差し上げますから…どうか、今は我慢して下さいませ」
小さな手を引きながら、女は困ったように言う。
「うん…」
前を行く馬の横から、男が振り返って女に声を投げた。
「、義尊を頼んだぞ」
「はい」
しかし、と呼ばれた女の声は、山を歩く幾多の足音にかき消された。
追手だ、と後方から声が上がる。
振り返った先に、追手の影が見える。
「義隆様」
は握っていた義尊の手をやんわりと解き、義隆に近づいて耳打ちする。
「それは出来ぬ」
義隆はそう言って首を横に振った。
「ですが…義尊様はまだお小さい…せめて、野に下って生き延びて下さいまし。ここは私が…」
「…」
はそれに目だけで答え、義尊の傍に戻って行った。
「若様。は少し用事が出来ましてございます。後で必ず揉んで差し上げますから、今しばらくご辛抱下さいますね」
「?」
顔を覗いてくる義尊をは抱き寄せ、無言の内に別れを告げた。
義隆の着物を籠の中から出し、急いで羽織る。
そして複数名を引き連れて、隊列から離れて行った。
「必ず…ご無事で」
その願いとは裏腹に頭の中は絶望でいっぱいだった。
あれだけいた手勢は国を追われ、激しい雨と供に激減してしまった。
もはや退路もない。
「お守りしなければ」
大きく呟いた言葉は、付き添った者にも聞こえ、次々に頷くのが見えた。
は一人馬に乗り、追手を待つ。
やがて形がはっきりしだした追手を確認すると、は馬を進めた。
は囮となって逃げ、そして追われた。
次々に減って行く兵士を見ながら、必死に顔を隠しながらの逃走であった。
やがて兵士の内一人が、馬を走らせるように言って倒れると、は馬を駆って逃走する。
すぐに追手がかかったが、なんとか振り切って馬を走らせること約一刻。
ついに行き止ってしまった。
は前方を見据えていたが、追ってくる物音に馬から落りた。
目前は断崖である。
もう、本当にこれ以上退路はなかった。
「大内!覚悟!!」
後ろから切りかかるような音を聞きながら、は断崖を目指す。
そして振り返らないまま、空へと飛翔した。
転落がすぐさま開始され、祈るように目を瞑る。
どうか気がつきませんように、と。
雁州国、関弓の一番高い所では、今日も地官長の咆哮が轟いていた。
「まだ見つからんのか!」
「大司徒、大司徒」
横から諫めるような声がしたが、帷湍はさらに叫ぶ。
「ええい!どれほど宮城を空ければ気が済むと言うんだ!もう、二ヵ月なんだぞ!」
「大司徒」
少し強めに言って、朱衡は帷湍を諫めた。
主のいない房室で、帷湍は肩で息をしながら今日の怒りを弱めた。
「そう毎日怒っていては、体が持ちませんよ」
呆れたように言われ、帷湍は横の人物を睨む。
「なんだってお前は冷静なんだ!」
「怒っていても帰ってきませんよ」
そう言った所に、成笙が現れた。
「おお、成笙!いたのか!?」
「いや…と言うことはまだ帰ってないのか」
大きくため息をついてこめかみを押さえた成笙は、どうしたものかと呟く。
「どうかしたのですか?」
気が付いた朱衡がそれに問いかける。
「擁州の州候から青鳥が来てな。偶然受け取ったのだが…」
「擁州?」
擁州が何の用だとでも言いたげな帷湍の声が上がる。
「何でも海客のような者が流れ着いたとかで…」
「死んでいたのか?」
帷湍の問いに、生きていると答えた成笙は、続いて朱衡から質問を受ける。
「それでどうして“ような者”なのです?」
「それが…蓬莱から来たのではないと言っているらしいんだ」
「では山客ですか?」
「いや。崑崙でもないようなのだが…着ている物から判断すると海客だそうだ。元々は巧国付近の虚海に浮いていたようで、商船がそれを拾い上げて、意識のないままに擁州の官府(やくしょ)に届けられたようだ。県の官府で目覚めて県正が話しをしたのだが、話しを聞いてもよく分からずで、結局州城に預けたようだな。それで州候が話しをした訳だが、これも降参したようで、胎果である王に助けを求めてきた。得体が知れないので、処遇に困っていると言う事だ」
成笙はそう言って朱衡を見た。
「助け、とは?」
問われた成笙は紙面を取り出して、朱衡に渡した。
「生国の証なのだそうだ。着ていた物に織り込まれていたようで、それが判るか聞いてきている」
紙面を眺める朱衡は、首を傾げて帷湍に回した。
そこには菱形の紋様が描かれている。
「さっぱり分からん」
紙を成笙に突き返した帷湍を、朱衡は笑い見ながら言う。
「いずれにしろ、主上のお帰りを待つよりないですね」
成笙は頷いたが、大きくため息をつきながらだった。
「いくら国が落ち着いたとはいえ、こう頻繁に消えられると…」
「よくこれで五十年以上も持ちましたねえ」
「まったくだ」
はぁ、とつかれた溜息が三つ、広い宮城に消えていった。
三者の溜息を受け取ったのか、王は翌々日に帰還した。
帷湍の怒鳴り声を軽く流していた尚隆は、後ろで待ち構えている成笙に目を向けた。
辺りを見渡して成笙に問う。
「朱衡はどうした?」
「聞け!まだ終っておらん!少しは聞いて反省しろ!!朱衡ならお前がいなくなったせいで、さんざん溜まった仕事をやっておるわ!」
「おお、そうか。ご苦労だったな」
まったく反省の色を見せていない王に、さらに帷湍が詰め寄ろうとした。
しかし、成笙によって止められる。
「先に渡していいか?返事を待っているだろうからな」
「あ、ああ…」
しぶしぶ言って下がった帷湍を見ながら、成笙は擁州から送られて来た青鳥の話をし、模様の描かれた紙面を渡す。
「擁州候からです。見覚えがございましたら…」
成笙が言い終わらない内に、尚隆の顔つきは変わっていた。
「見覚えは、ある。これを持ち込んだ奴は何処だ」
その珍しい出来事に、やや驚きぎみに答える。
「ですから、擁州に…」
立ち上がった尚隆に、帷湍が詰め寄る。
「この後に及んで逃げようというのか!?許さんぞ!!」
激しく詰め寄った帷湍の手には、分厚い書面があった。
「帰ったら必ずやるから、見逃してはくれぬか?」
「見逃せるかあ!!」
「主上。それ以上刺激すると、帷湍の血管が切れてしまいますよ」
呆れた声が入ってきて、尚隆の目前にやってくる。
「朱衡も説教をしに来たのか?」
言われた朱衡はにこりと笑い、手に抱えていた物を卓上に叩きつけた。
「説教している暇などございません。こちらの決済が待っておりますから」
一番離れた成笙は、頭上のみを残した主を見ながら、どうしようかと考えていた。
「主上。見覚えがあるなら返事を出しますから、教えていただきたいのですが」
頭だけが返事をする。
「話をしない事には何も言えん。だが、ここから出られないとあっては話が出来ん。州候に丁重に留め置くように言っておけ」
「戻られてそう仰るのではないかと思いまして、こちらに向かわせてありますが。お会いになられますか?」
朱衡がそう言って紙面に埋もれた主を覗き込んだ。
「もちろん会う。今すぐここに…」
最後まで言えず、朱衡に阻まれる。
「まだ到着しておりませんゆえ、この書面を片付けながらお待ち下さい。それから…これが終るまでは断固として会わせる訳にはまいりません」
その顔は相変わらず笑っていたが、逆らうととんでもないぞと、朱衡を取り巻く空気が伝えていた。
「分かった」
もろてを上げて言う主に、満足げな笑みを見せ、朱衡は退がって行った。
それを追うようにして帷湍も退がる。
残った成笙は小臣を呼びつけて、見張りに立たせた。
房室の内外を厳重に見張られたとあっては、これ以上どうしようもない。
やがては諦めて政務をこなす主を、成笙は確認してから退がった。
夕刻になって、ようやく半分になった書面を見ながら、尚隆は深く溜息をついた。
「今までさぼっていたからですよ」
様子を見に戻ってきた朱衡の冷たい声が飛ぶ。
「ああ、そう言えば…例の海客はさきほど到着したようですよ」
それに対し尚隆は、顔を上げて朱衡を見た。
「女性のようでした」
「女?女のように見える男ではなくてか?」
「どこから見ても女性のようでしたが?」
軽く首を傾げた朱衡に、なんでもないと首を振る。
再度書面に取りかかった尚隆は、心なしかその速度を速めていた。
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