ドリーム小説




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月の花


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夜中を過ぎてようやく重責から解放された尚隆は、すぐさま朱衡に問う。

「もうこんな時間ですよ。眠っておられるでしょう」

そうか、と言った主の顔を、朱衡は不思議そうに覗いた。

「あれは…いったい何の模様なのです?」

「カモンだ」

「カモン?」

まだ不思議そうに言う朱衡に気がつき、尚隆は白紙に筆を走らせる。

『家紋』と描かれた紙を見せて、朱衡に説明する。

「蓬莱では血統を大切にする。特に名家と言われる家が、その印として掲げる物だ。旗にも使われるし、着る物にも織り込まれる」

「では、やはり蓬莱の方なのですね」

「そうだ。こちらに国が複数あるように、蓬莱にも国が複数ある」

「ああ、それで蓬莱ではないと」

恐らくな、と返した尚隆は、成笙に渡された紙面を取り上げる。

「これを家紋とする者に、縁がある訳ではないが…ない訳でもない」

それをじっと見ていた朱衡は、では、と言って戸口に向かう。

「起きているか確認して参りましょう」

朱衡が出ると、そこには成笙が立っていた。

話しを聞いていたようで、まだ起きていると朱衡に告げる。

「もう終ったのか?」

「ええ。今日の所は一先ず。仕方がないですから、ご褒美として会わせてさしあげますか」

「ご褒美ってお前…」

「飴と鞭ですよ」

「子童か、あれは」

「それでは子童が気を悪くしますよ。それに、子童のほうがよっぽど聞き分けが良い」

きついことをさらりと言った朱衡は、絶句した成笙の案内で海客の許を訪れた。

その海客は張り出した露台に腰を下ろし、雲海を見ていた。

手には袍のような物を抱えている。

東雲色の襦裙に身を包んだその姿は、やはり女性にしか見えない。

なぜ女かと問われたのか判らないまま、朱衡はその女性に近寄って行った。

「海はお好きですか?」

はたと顔を上げた女は、後ろを振り返る。

「いえ…不思議だと思いまして」

「そうですか…例の方がお会いになりたいと。いかがなされますか」

どう言った立場の者なのかは、伏せながら様子を見る。

「私は構いませんが…まだ起きておられるのですか?」

「ええ。溜まった仕事をしておりましたから。あの方のほうは一刻も早く会われたいようですし」

「では参ります」

すっと立ち上がって歩き出すのを見ながら朱衡は思う。

立ち振る舞いは優雅で、身のこなしはすっきりとしている。

蓬莱の事は知らないが、さきほどの主の話しを思い出し、きっと名家に生まれたのだろうと思う。

王の自室へと連れて行った朱衡は、戸口までで遠慮し、そのまま扉の前で成笙と待つことにした。














「大内花菱」

入ってきた女に対し、尚隆は開口一番それを言った。

女は驚いて目前の男を見る。

何処の誰とも聞かされていないこの男は、何故それを知っているのだろうかと考えていた。

紙が積まれた書卓の向こうに見える女を尚隆は見ていたが、女の抱えている着物に視線を移した。

しかし、その事には触れずに女に言う。

「州候から問い合わせがあった。と言っても分かり辛いか。蓬莱の…何処の国から来た者だ?」

「周防国から参りました。 と申します」

「大内の支族の者か」

「お仕えしておりました」

「そうか…」

二人ともが口を閉ざした。

その心中は違ったが。

尚隆がまだ蓬莱にいた頃、妻がいた。

その妻は大内の傍流であったが、瀬戸内の屋形で父子供に朽ちた。

その後国を継いだが、小松の民を尚隆は生かすことが出来なかった。

跡目を継いでわずが数日の内の出来事であった。

雁州国の王となり、新たな民を前にしても、それが消える訳ではない。

大内へと落ち延びよと言った、老爺の顔が思い起こされる。

「大内をご存知ですか?」

しばらくして口を開いたのは だった。

「小松を知っておるか」

反対に聞き返された は記憶を探る。

「小松と言うと…昔大内の手にあったとされる、瀬戸内の水軍でしょうか。村上に滅された」

「そうだ」

「それなら存じ上げております。とは言っても、話に聞いただけですが…」

はそう言って、手元に視線を落とす。

「大内も…同じ道を辿りましょう…」

「何?」

「陶隆房が謀反を…私は、若様をお世話させて頂いておりました。義隆様と若様と供に、敗走の途中でございました。追手を霍乱するために、家紋の入った着物を着て海に飛び込んだのです」

そう言って は顔を上げた。

「生き延びて下さいと…そう申したのですが…」

重なる情景に、知らず口を突いて出た言葉があった。

「民のいない国に生きていくのは、辛かろうよ」

「民は関係なかったのです」

尚隆は自らの口を突いて出た言にも驚いていたが、それをあっさりと返され、さらに驚いてしまった。

「そう、きっと民は関係なかった。若様にしたって…」

「若と呼ばれて育ってきたのなら、それなにり背負うものがあろう」

「若様はまだ七つでした。民と触れ合う事など、機会すらなかったのです。それにいくら聡いお子でも、生死がかかってそのように考えますでしょうか?足が痛いと…お泣きでしたから…」

「七つ…あちらの大火は、まだ消えぬのか」

「はい…。戦乱の世にあって、義隆様は風変わりなお方でした。昔は武断の方でしたが、一度尼子に敗れてからというもの、京から僧侶や公家お招きになられ、学問に没頭して行かれた。武断の臣下達がそれをよく思わず、ついには陶が謀反を起こしたと言うのに、鷹揚に構えておられて…困ったお人でした。ですから民の事までお考えでしたでしょうか…いえ、考えていなかった訳ではないのでしょうが…戦乱の世にはそぐわない考えをお持ちでしたから」

「それでは立ち行かぬだろう」

「ええ、ですから謀反が起きたのではないかと…陶も問題のある人ですが、臣下には慕われておりましたから。なれど…お小さい若様には生きていて欲しいのです。仇を取ってもらいたいのではございません。ただ、人として幸せになって頂きたいのです。畑を耕して、好いた女子(おなご)を見つけ、揃って老いて行く。そう言った幸せとは、程遠い地位におられた若様を不憫に思います…」

絶句した尚隆は、随分と時間が経過してから辛うじて、そうか、とだけ言った。

再び沈黙が降りる。

大内の傍に居ながら、こういった考えをする者がいようとは…。

お家大事、と考えるのが普通だと思っていた。

だからこそ、老爺は言ったのだ。

大内に庇護を求め、国を再興しろと。

民のいない国で、どのような国を再興しろと言うのだと、激しく怒ったのをまだ昨日の事の様に覚えている。

脳裏から焼きついて離れぬ記憶の一部として。

「小松…と?」

小さく言った声をしっかりと耳に入れた尚隆は前を見る。

声を発した女は、着物に入った家紋を見つめていた。

「小松の縁者であらせられますか?」

「まあ、そんな所だ」

「村上は小松を打ち破り、瀬戸内を制覇。自らを海の大名と名乗り、どの大名にもつかず離れずだと。因島村上は毛利に加担している様子。ですが、来島村上は河野へ。能島村上は孤立しておりますが、来島とは結託している模様です。恐らく…謀反に揺れる大内に、村上の手が伸びるでしょう。陶に負けぬほど、能島の名は有名ですから」

だから同じ命運を辿ると言ったのだと、この時やっと理解した。

それでよく平然としていられる。

「涙も、枯れたか」

染み渡るような声が聞こえ、 は顔を上げる。

「自分でもよく…分からないのです」

あの追手では到底逃れる事など出来ない。

追い詰められれば、義隆とてもはや諦めるより他に手はなく、義尊もろとも自害するだろう。

そして義隆、義尊を失った大内は、陶によって引き継がれる。

どれほどの者が従うと言うのか…恐らく毛利はこの機を逃さず、すぐさま因島に連絡をとり、能島をも取り込むであろうから、陶に勝ち目があるとは思えない。

これで、大内は滅ぶのだろう。

「分からない?」

「はい…大内は滅びます。若様も生きてはくれないでしょう。まだ幼少の頃よりお世話をして参りました。ですからそれは、身を切られるより辛い事のはずなのですが…涙が出ないのです。ここが夢の中のように思うからでしょうか?」

「夢の中?」

「はい…言葉の理解できない人がいたかと思えば、話せる人もいる。目や髪の色は見たこともない人々がいて、さらにここは空の上だとか。夢かと問えば夢ではないと言われましたが…」

ああでも、と は言い置いて続ける。

「私は失望していたのかもしれません。戦乱の世に…。隙あらば血族であろうとも侵略を厭わない。恩義忠義を立てた者ですら、簡単に君主を裏切る。それに巻き込まれる民の苦しみは、計り知れないものがございましょう。そこから離れて尚且つ生があるのですから…それが嬉しいのかもしれません…」

「ならば何故大内の身代わりになった?単身逃げて生き延びればよかったのではないか?」

「謀らずともそうなったようですが…あえて申しますと、それが私のお役目であったからです。何かの時には盾となり、死んで本懐を遂げる…そう言って育てられて参りましたから。それが自分の意思であろうと、なかろうとです」

「自分の意思ではなかったと?」

「恐らくは…足止め程度でしたら、あの場で斬られればよかったのです。なれど、私は海へと飛び込んだ…最後まで知られずにいれたら、時間を稼ぐことも可能でしょうが、引き返されては意味がない。今となっては生きるため、一縷の望みをかけたのではないかと思うのです」

はなんとも複雑な表情をしている。

自分の気持ちが何処にあるのか、分からないようだった。

泣きたいようにも見える。

だが、ひどく落ち着いている。

「あの…」

その顔を観察していた尚隆は、小さく言った声に返事をする。

「なんだ」

「一つ気になったのですが…お聞きしてもよろしいでしょうか」

「構わん。なんだ?」

「小松の縁者、とは…?私が聞いた話では、小松は完膚無きまでに崩落されたと…まだ小さい頃に聞きましたので、確かとは言えませんが…民の一人も残らなかったと…」

尚隆は を見つめていたが、ふいに目を逸らしてそれに答えた。

「そのとおりだ」

「では、生き残り…?」

それに答える声はなく、尚隆の目は逸らされたままであった。

「申し訳ございません。不躾な質問でございました…」

「屋形もろとも国主であった親父は死んだ。最後に国を継いだが…誰も救う事は出来なんだ。俺は一人生き延びてしまった。ここで、生き恥をさらしている」

息を呑む音を聞きながら、尚隆は正面を見る。

「生き恥では…ございませぬ」

「なんと?」

「生き恥ではないと申し上げたのです」

「生き恥ではないと?俺は民に何も返してやれないまま、死なせてしまったんだぞ。これを恥とせずに何とする」

「それは時代のせいでしょう。直接的には村上と言う事になりましょうか…瀬戸内を制覇する為には、小松を破るしかなかった。同じ水軍同士ですから、投降は許されないでしょう。恐らくは謀反を恐れて、村上はそれを跳ね除けるはずです。そもそも自害すると言う考え自体がおかしいのです。君主が自害して、民の何が救われると言うのです?民を思う君…」

そこまでを言って、 は声を詰まらせ、方向を変えた。

「生き残り…?小松の?あの…小松は五十年以上も前に…確か嫡子の三男がお家を継いだと…い、いえ…当時の御年を考えますと…八十は超えておられる事に…」

「年を数えておれば、それぐらいだろうな」

どのように見ても八十を超えているようには見えないその男を、 は驚愕の眼差しで見ながらも、知らず指をさしていた。

「で、で、では…こ、これは、一体…」

「なんだ、まだ何も知らぬのか?」

「う、あ…あの…え…う…」

口をただぱくぱくさせて、唸るだけの女を見て、尚隆は固まっていた表情が解れていくのが分かった。

もうこの場のどこにも悲壮感はなく、――とは言っても元よりあまりなかったようにも思うが――深刻さもなかった。

そうなると、ただ反応を楽しめる余裕が出てきた。

さっと立ち上がって、書卓から前へと出る。

「足はあるぞ」

そう言って足を見せる。

しかし、ますます混乱したような表になった は、近づいてくる尚隆を見ながら、だんだんと意識が遠のくのを感じた。

もう、自分の許容範囲を軽く超えていたのだ。

「おい…大丈夫か―ぉぃ―――」

高音の耳鳴りが劈くように聞こえ、尚隆の声が遮られている。

倒れそうになる体を、起こすための気力も失われつつある中で、 は何者かによって受け止められるのを感じた。

受け止められた事で安堵したのか、一気に力が抜けて、夢の中へと進んで行ってしまった。



続く






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なんとか激暗を回避…出来ているのか??

朱衡さま、相変わらずおみお口が悪い☆

それでこそ、朱衡さまです♪

                         美耶子