ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
月の花 =3=
目を開けると、豪華な寝所であった。
薄い布によって外からは見えないようになっており、柔らかい枕に、柔らかい布団の上であった。
県城に連れて行かれたときにも、州城に連れて行かれたときにも、これほどまでに豪華な寝所ではなかった。
はゆっくりと起き上がり辺りを見回す。
「ここは…」
「お目覚めでございますか」
誰かが控えており、に声をかけてくる。
「はい。ここは…まだ空の上なのでしょうか…?」
「さようでございますとも」
「そう…」
「お起きになられますか?お体のほうは?」
「大丈夫です」
そう言っては薄い布を開けた。
それが合図だったかのように、数人の女がを取り巻き、顔を洗う水や、着替えなどを持ってくる。
「北の方になったみたい…」
分からなかったのか、呟いた声に反応する者はおらず、首を振りながら着替え終ると朝の食事が出される。
それを食べ終わると女が一人先導を始め、を何処かへと連れていく。
連れて行かれた先には昨日、雲海と呼ばれる海を眺めていた際、呼びに来た男が数名に囲まれて立っていた。
先導した女はその男に声をかけ、深く礼をして退がって行った。
それを見ながら男はにこりと微笑みかけてくる。
「私は秋官長を拝命いたしております、楊朱衡と申します。もう、お起きになって大丈夫なのですか?」
「はい」
「では、こちらへ」
そう言って朱衡は歩き出す。
連れて行かれた先には、五名の老若男女が待ち構えていた。
「では、よろしく頼みましたよ」
朱衡はそう言ってもと来た道を帰って行く。
何が起きているのか理解出来ていないままに、は五名から名乗られ、自分も名乗った。
「では、殿。さっそく今から始めますゆえ、そこにお座り下さい」
言われるままに座って、柔和な声で話しかけた老婆を見つめた。
「貴女には、この世界の常識を学んで頂きます」
そうやって、への教授が始まった。
八十年以上を生きてきた人物が、この国で一番偉いとは、まだこの時には知らぬままであったが、百年近く生きている人物がごろごろ居ることを学び、再度驚いていた。
さすがに自失する事はもうなかったが、国を統べるのは神なのだと聞いた時は、危うく気を失いかけた。
なにしろ、その神の指示でこうして習っているのだと、併用して聞かされたのだから。
この世界での常識を叩き込まれ、それをほぼ飲み込んだ頃になると、反対に周防国についての質問を受ける。
いや、蓬莱と呼ばれる諸国の事を聞かれたのだ。
すなわち、周防国を基(もとい)にし、長門、石見、安芸、豊前、筑前、はたまた出雲、備前、備後、備中に至るまで、知っている限りの事を聞かれる。
「そのお話を元に、海客用の対策を講じねばならないのです。今まで放置状態でしたからね」
若い女の官吏はそう言って、満足げに書き留めて行く。
その頃になると、自分がただ勉強をしているだけに気が咎め出して、朱衡に頼んで仕事をさせてもらっていた。
宮中の諸事をやりながら、勉強を進めていき、ついには卒業の通知を受けた。
すっかりとこちらの人間になっていたは、官職を賜ることになり、地官に配属される事となった。
が小松の生き残りと対面を果たしてから、三年後のことであった。
あれから、あの者を見かける事はなかった。
今になって思えば、夢か幻であったのだろうかと思う事すらある。
「むむ…」
頭を抱えている地官長の所へ、書面を届けたはその様子を見て問いかける。
「大司徒。どうかされたのですか?」
「ああ、か。いやなに、いつもの事でな」
いつもの事と言えば、治水予算についてだとは思い、帷湍が睨んでいる書面を覗き込む。
「この予算では堤を作ることは不可能ですわね…」
「そうだな…ここは土が脆くて土手が崩れやすい。だから早くなんとかしてやりたいんだが、夫役をつのるにも人手が足りんだろうし…困ったもんだ」
「急ぐのですか?」
「多少はな。とは言ってもここだけが急ぐ訳でもないが…」
「…大司徒。私をここへと…擁州へと派遣して下さいませ」
「構わないが…何かいい案でもあるのか?」
「土地を見てみませんことには…適応できそうならすぐにも戻って参りますわ」
帷湍は僅かに考え込んだ様子を見せたが、すぐに許可を出した。
「とは言っても、一人では心もとないだろう。夏官に言ってだれか護衛をつけよう」
「そんな。もったいない事ですわ」
「場所が分からんだろう。すぐに手配してくる」
「ですが…」
が止めるのも聞かずに、帷湍は夏官府へと向かっていた。
「将軍なら主上に呼ばれておいでですよ」
そう言われて帷湍は、王の自室に向かう。
王の居所を尋ねると、珍しく政務をこなしている。
それを満足そうに見ながら、一先ずは王にの話を切り出す。
横には朱衡もいた。
「見に行く?外に出た事など、ほぼないと言うのに?」
そう言ったのは尚隆だった。
「なので、護衛を兼ねて夏官に同行を頼みたい」
帷湍は成笙に向き直って言う。
黙って頷いた成笙を横目で見ていた尚隆は、朱衡に悟られぬよう書面に目を戻す。
「地官の仕事にも慣れてきたようですね」
朱衡がそう言うと、帷湍は頷いて答える。
「慣れるなんてもんじゃない。ありゃあ相当頭が切れるぞ。逸材が来てくれたともっぱらの評判だ。ただ…」
ただ、と言ったきり、黙ってしまった帷湍を朱衡は促す。
「笑わんのだ」
「笑わない?」
「そうだ。表面的に薄く笑っている事すら見かけた事がない。かといって、蓬莱を思い出して泣いているような気配もない。真顔でいる事が常だな。だから人を寄せ付けない雰囲気があるな」
言い終わった帷湍は主に目を向ける。
それに気がついて、朱衡もまた目を向け、成笙も目を向けた。
三者の気配に気がついたのか、筆を持ったまま目を上げた主は辺りを見回した。
「なんだ?」
朱衡が主に問う。
「あの日、何を話したのです?」
「あの日?」
「が玄英宮に初めて来た、あの日ですよ。気を失った経緯は聞きましたが、それ以外の事は何も聞いておりません。老師を買って出た地、天、春、秋、冬官の五名も、生い立ち等は聞いてもはぐらかされるばかりと。触れられたくはないのだろうと、深く立ち入った事は聞いておりませんが、彼女の知識は広く六官の求める所であり、その才華は地官だけに留まりません。ゆえに、各方面から心配するような声が上がっているのです」
「それは、たいした人気だな」
その言に対し、驚いたような表情で三名を見回す尚隆がいた。
しかし、すぐに首を傾げる。
「何に役に立つと?天官にはしばらく配属されておっただろうが、何か役に立つ事があったのか?」
「ご存知ないのですか?自ら気に止めてここに置いたと言うのに」
朱衡の呆れ声に苦笑しながら、先を促した。
「天官にいた頃には、なんでも秘策を授けたとか。確か箒を改良した物を発案し、それを冬官に作らせたのだとか。機能的に優れたもので、いつもの半分の時間で掃除を終えることが出来るようになったと」
朱衡の説明を帷湍が引き継ぐ。
「ああ、それなら俺も聞いたぞ。それを冬官府で作らせている間、作業を見ている時だと言ってたか。たまたま膝袴を修理していたそうだ。それを見ていたが、何やら案を授けたようで、その指示通りに修理を進めて行くと、修繕前よりも頑丈になったと聞いている。夏官にも噂ぐらい行っているだろう?」
帷湍は成笙を見てそう言い、成笙は頷いて言った。
「その修繕を頼んだのは俺の所の旅帥だ。今は修繕が冬官に殺到しているようだな」
成笙の言葉を待って、朱衡が続ける。
「春官では、楽士と即興演奏に興じる事があるのだとか。なんでも駮弾琴(ほくだんきん)の演奏を聴きながら、笛を鳴らしたのだとか。もちろん蓬莱の笛ではありませんが、構造上あまり変わりないと言って吹いたそうですよ。それを聞いて大宗伯が楽士に欲しいと言って、その件で帷湍が迫られていたのも見ましたからね。秋官では蓬莱の法令の話を興味深く聞いていますし…この僅かな年数で、なくてはならない人物となっているのですよ」
答えを求めるような視線を投げかけられた尚隆は、朱衡を見ながら返す。
「なるほどな。だが、真顔でいる理由は俺にも分からぬ。生い立ちもさほど聞いておらぬし、本人が言いたくないのであれば、知っていた所で言うわけにもいくまい。まあ、恐らく関係ないと思うがな。表情のなくなった理由など、恐らく本人も分かっておらぬだろうからな。他人である俺に分かるよしもない」
「ですが…は何処となしに、主上に似ておいでです」
「似ている?」
朱衡の言に返した声は、尚隆だけではなかった。
帷湍と成笙も重なるように、それに問い返した。
「ええ、どこか似た雰囲気をお持ちのように思われるのですが…ですから、僅かな会話の中にでも、何か感じるものはございませんか?」
「お前…それは彼女に対して失礼だろう。かわいそうに」
成笙が言った後、帷湍もそれに同意を示す。
「そうだ。大体こんな浮かれ者と一緒にされては、毎日の働きが泡のように消えると言うもの」
「そこまで言うか?」
「言われたくなかったら、を見習って、真面目に政務をこなすんだな。逃げ出さずに、毎日真面目にな!」
やや憤慨気味に言った帷湍は、そのまま許可の下りた事を、に伝えるため退出して行った。
「自分の事でもあるまいに。一緒にされてあそこまで怒るか?」
呆れたように言った主の言は黙殺され、同意の空気だけが伝わっていた。
|