ドリーム小説
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月の花 =4=
は翌日旅立つ事になったと、成笙から報告を受けたのはその日の夕刻を回った頃だった。
尚隆は雲海を眺めながらそれを聞き、そうか、とだけ返した。
「、か…」
朱衡に問われた“あの日”以来、尚隆は一度もに会っていない。
もちろん故意に避けてきたのだが、宮城を出ることは許さなかった。
尚隆はが不思議で怖いような気がしていた。
恐怖を抱いている訳ではないのだが、何やら漠然と怖い気がする。
それは、滅んで行った民の目のように思ったからかもしれない。
もしくは彼女の考え方その物が、理解出来なかったからかもしれない。
こちらの人間ではないと言うのが、その思考を不可思議に見せていたのだ。
は、君主が自害して民に何が残るのか、と言う。
その観点からいけば、命を投げ出してでも民を守ろうとした自分の行動は、何だったのだろうか。
老爺の言ったように落ちのびれば、民は死んでからも救われると言うのだろうか?
だが、それに賛同する事は出来ない。
平和な世を望んでこそ、民は慕ってくれていたのだ。
取り立てて、何の力もない自分自身を。
は義隆の為に身代わりを買って出た。
お役目だからと、女の身でありながら乗馬し、野を駆けて海に飛び込んだ。
そこまで潔良い精神を持ちながら、大内の滅亡を淡々と予測し、それを語る。
そしてそこから逃げたのだとも…。
謀反があったのだと言ったその口からは、さも当然だったかのように語られ、それでも小さい若を思って心を痛めている。
人として生きていて欲しいと言った。
家督の事など何も言わず、田を耕して作るような、些細な幸せを望んでいた。
戦乱の世が疲れたと言ったは、今この国を見てどう思っているのだろうか?
もしかすると自分は、それを確認するのが怖いのだろうか?
「俺は…何を知りたい」
怖くて不思議な女だ。
しかし、それが何によるものなのか、確たる理由を見つけられないままに三年が経過していたのだ。
「未だ囚われるか…」
瀬戸内の残像に。
突然姿を現すその驟雨(しゅうう)に。
宮中に燈り出した篝火を見ながら、尚隆は長い間窓辺で佇んでいた。
翌日、は言われた通りに禁門へと向かっていた。
王から特別の許可がおり、左軍の空行師が同行すると聞かされていた。
禁門に到着したは廐舎に向かい、中に人の気配を確認して入って行った。
「久しいな」
「あ…あなたは…」
そこには三年前から姿を見せていなかった男が立っていた。
小松の生き残り…と同じ海客の男。
「禁軍におられたのですね。どうりでお目にかけないと思っておりました」
やはり同じように昇仙したのだろう。
武官であったのなら、出会わないはずだ。
「お元気でしたか?」
「まあまあだな。同行させてもらうが、構わないか?」
「それは、もちろんですわ。本当はお気遣いなど良かったのですが、道案内にどうしても一名は、来て頂きたいと思っておりましたので」
「そうか」
尚隆はそう言って手綱を取り、廐舎を出た。
見送りには誰も出て来ずに、たまと呼ばれる騎獣で空へと舞い上がる。
空を舞い上がった直後、の体は尚隆の前で強張って行った。
「怖いか?」
「い、いえ…」
否定する声とは裏腹に、体はますます堅くなっている。
揺れるわけでもなし、何が怖いのだろうかと思っていると、景色をまったく見ていない事に気がついた。
「ひょっとして…高い所が苦手か?」
「た、多少…」
表情までが強張ったその顔を見ると、何やらおかしくなってしまい、思わず声をたてて笑っていた。
普段雲の上に住んでいると言うのに。
「こ、小松さまは…へ、平気なのですか…?」
「怖がっていては、騎乗出来ぬだろう」
「そ、それはそうですが…」
何処かにしがみ付きたいのだろうか、目だけが騎獣に向いては離れる。
離れてしまうのは、うっかり下が見えるのだろう。
「怖ければ俺に捕まっていろ」
しばし迷ったような気配が伺われたが、しばらくすると小さな声が返ってくる。
「で、では、失礼仕りまする…」
そう言った直後、尚隆の胴に手を回し、力の限りしがみ付いてきた。
よほど怖かったのだと、その力から伺える。
それがさらに笑いを引き起こし、またしても声を立てて笑う尚隆を、少し恨めしげに睨んでいたその目は、すぐに胸元へと消えていった。
澄んだ空の景色さえ、今は恐ろしいといった所だった。
その頃玄英宮では。
「何!?同行していない?」
帷湍の声が大司徒政務の場で鳴り響いていた。
「ああ。なんでも朝から主上が来て、他の者に頼むことになったと言ったそうだ。ご丁寧に禁門の兵卒達にも命をくだして、しばらく下がらせていたようだ」
成笙はこめかみに軽く指を当てながら、眉間に力を入れていた。
「と言う事は…」
「行ったのだろうな。主上自ら」
「あ、あんの莫迦たれが!玉座に座っているのが、そんなにも窮屈か!?窮屈なのか!!?」
「俺に言っても始まらんだろう…」
「何だってそれを許したんだ!!」
「許した訳じゃない。ただ、逆らえなかったんだろう」
「逆らえなくても、止めるように教育しておけ!!」
「だから、俺に当たるな!」
剣呑な場に、間合いよく現れた朱衡が止めに入る。
「いい加減になさい。ここで言い争っていても何にもならないでしょうに」
冷静に言った朱衡に、二人の怒りがそのまま向けられる。
「お前はなんでいつも冷静なんだ!」
帷湍がそう言って、成笙も頷く。
「予想通りだったからですよ」
「予想?」
怒りを通り越して、気の抜けたような声を出した帷湍が、朱衡に聞き返す。
「予想していたのなら、何故止めなかったんだ?」
成笙からは非難めいた声で質問が飛ぶ。
「ですから、飴と鞭ですよ」
「は?」
「ここ数日間、真面目に政務をこなされていたでしょう。そろそろ抜け出すのではないのかと思っておりましたからね。今回はかなり厳重に目を光らせておりましたから、相当鬱積が溜まっているはずです。出て行けばまた数ヶ月も戻って来る事はないでしょう。それならばに同行させて、本日中に戻ってきていただいたほうが良いでしょう?しばらく我慢したご褒美ですよ。それと悟られぬよう、一応追手は差し向けてございますが」
唖然とした二人を見ながら朱衡は微笑む。
食えない奴、と思ったのは二人の心の声であったが、それを口に出して言う事はせずに、ただ納得したように頷いた。
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