ドリーム小説




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月の花


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玄英宮で帷湍が怒りを爆発させた数刻後、二人は擁州の地に降り立った。

さっそく調査に乗り出したは、心なしか安堵したように見える。

川沿いを歩いて周り、土手の土を手に取り、何やらぶつぶつ言うを、尚隆は黙って見守っていた。

土手の上に回り、さらに川沿いを下って行き、対岸へと移動した後、また戻って来る。

「うん…やはり…。こちらも柔らかい…」

はそう言って土手から川を見下ろした。

「堤を作るのか?ここに」

尚隆はそう聞きながら、と供に川を見下ろした。

「僅かばかりの予算で、なのですが…」

返ってきた言に、尚隆は予算を聞きだす。

「それでは不可能だろう?」

「ええ。だから私が来たのです」

そう言った女の顔を見た尚隆は、なるほどなと思う。

本来ならここで、にこりとするのが普通なのだろうが、は表情一つ変えずにそう言ってのけた。

さきほどの怯えた表情が幻のようでもある。

「なんとかなりそうか」

「ええ」

短く言った声音の中に、嬉々としたものを微弱に感じた尚隆は、再びを見た。

しかし、やはり無表情のままだ。

三年前にもこんなに表情がなかったのだろうかと思い、思い出そうとしてみるが、これが殆ど思い出せない。

「ああ、そうか…」

菱形の家紋ばかりが浮かんでは消える。

ふと漏れた声にの顔が向けられたが、尚隆は何でもないと言って手を振る。

三年前、二人とも顔など殆ど見ていなかったのだ。

記憶するほど、長い時間見ていなかった。

他に気を取られていたのだ。

着物に縫い付けられた家紋ばかりを…見ていたように思う。

沈黙の降りるたびに、そこに目が行くのだ。

しばらく歩き回っていたは、ふと足を止めて土手を下って行く。

川原に降り立ち、中を覗き込んで首を振った。

後を追って来た尚隆は不思議に思い、どうしたのだと質問する。

「浅いものですから…」

「浅くとも、秋の長雨の頃には増水する。土手は高いが、この地の土は脆い」

「ええ。それはもう解決したから良いのです」

「解決した?では、何故浅いといけない?」

「そうですわね…ちょっと思いついたものですから」

先ほどから、どうにも的を射ない。

何がとも、どうしてだとも言わないのだ。











それからさらに川原伝いに歩いていたは、ふいに伸ばされた手によって引き寄せられる。

強い力で引き寄せられたは、次いで大きな手が口元を押さえるのを感じた。

何事かと身動ぎするが、まったく体が動かない。

しばらく、そのままじっと耐えていると、ようやく開放される。

「何があったのです?」

「追手がな…いや。すまなかった」

「いえ…追われているのですか?禁軍なのに?」

「黙って抜け出して来たからな」

「黙って?将軍に怒られてしまいますわよ」

「何、いつもの事だ。気にならん」

「まあ…では本来は、違う方がここまで来て下さる予定だったのですか?」

呆れたような口調ではあったが、その表情に変化は無い。

一人苦笑して土手を登り、手を差し出す。

「飯にせんか?」

「はい。追手のほうは大丈夫なのでしょうか?」

「もう過ぎていった。たまは隠してあるから大丈夫だ」

伸ばされた手を引き上げて、尚隆は森の中へと入って行った。

木の根を椅子代わりに、持って来た飯を広げてに渡す。

無言のまま食べ始めたは、何やら考えている様子だった。

予算の事だろうか、治水の進め方だろうか。

「その顔は、元々か?」

聞くつもりの無い事を、知らず口に出していた尚隆は、言い終わってからそれに気がついた。

「その顔と申しますと?」

相変わらずの表情のまま問い返すに、尚隆は手を上げてそれを振った。

「つまらん事を聞いた。こちらには慣れたか?」

「…。はい」

「あちらと比べて、どうだ?」

「良い事もあります」

「良い事?」

「こちらも内乱はあるようですが、周防を取り巻く諸国と比べて、泰平の世であります。他国に侵入してはならぬと、天が定めているからでしょう」

「なるほどな。それが一番良い事か?」

するとは少しだけその表情に変化を見せる。

小首を傾げて、思案するような顔になり、やがては尚隆の目を見て言った。

「この世界で、一番良いと思ったのは、王が居ることです。絶対的な王の存在。それは、自ら勝ち取る戦乱の覇者ではない…麒麟という神獣が、民の意を受けて選定するのだとか。王は神となり、民は神を崇める。しかし、民の為にならぬ王は、自ら倒れるのだとか。それは君主のあり方を、そのまま表現したような事でございましょう?」

「君主のありかた?」

問いかけた先に、伏せられたの顔があり、その表情は伺えない。

「小松さまも君主であられたのでしょう?でしたらお分かりになられませんか。民は王なのです。王の一部なのです。民を失うと言う事は、体を剥ぎ取られるのと同じでございましょう?実際、それを親身に思うか思わないかはともかく、民が減って困るのは、なりより君主ですわ。兵力であったり、税であったりと理由は様々ですが…体を剥ぎ取られれば、生きてはいけませんでしょう」

「…そうだな。王とは民を生かす為にある。小松の民を生かしてやれなかった、俺の言う事ではないがな」

「そのような事を仰ってはいけません。そのように親身になって考えられる君主ならば、民は喜んでその命を預けます。恩義や忠義を捧げる事が出来るのです。それは偽りや形式のものではなく、深く心に留め置くものなのですよ」

「お前は…不思議な事を言う」

「不思議でございますか?」

さも心外そうな声色と供に、尚隆を見たの表情は、やはり無表情であった。

「ああ…だがその王の一部を、王自ら屠る事もあるように思うが」

罪人も民であると言う事を言いたいのだろうか。

それとも他に何か含まれたものがあるのだろうか。

はそう考えながら、聞いてみることにした。

「善人を、でしょうか?」

「なかなか鋭い所を突くな。だが、必ずしも悪人ではないと言ったら?」

悪人ではない罪人の事だろうか。

それにしても同じである。

罪人である以上、それを許してしまっては、秩序が乱れてしまう。

はしばらく黙っていたが、前方を見据えながらその重い口を開けるようにして話す。

「以前、謀反があった事は申しましたでしょうか?」

尚隆はただ黙って頷き、続きを待った。

「謀反の発起人は、陶隆房。陶は大内の家臣筆頭でございました。武勇に長けた方で、麾下にも大層人気がございました。出雲での敗走の際、陶は麾下を励ましながらよく纏めておりましたし、麾下の者に残り少なくなった兵糧を与え、自らは水をすすり、時には雑魚の腸(はらわた)をすすって耐え忍びました。そのような大将でしたから、麾下にはとても慕われておりました」

「そのように出来た人物が、何故謀反を?」

言いながら尚隆は似たような話を思い出していた。

他ならぬ、この国で起きた謀反だった。

元州で起きた謀反の発起人もまた、その正体が明らかになるまでは、臣下に慕われていた。

それは一つの州が一丸となって謀反に参加するほどに。

もう遠くなった三十年も前の出来事。

「はい。陶は智略に富み、武勇を競っては天下一ではないかと思っておりました。君主に対しての恩義も篤く、よく仕えていたと思います。ですが、彼には唯一つだけ欠点がございました」

は前方に向けた瞳をそのままに、さらに続いて語る。

「彼の欠点とは、自らの非を認められぬと言う事でした」

まさに同じような状況に、尚隆は軽く目を開いてを見ていた。

「あれは尼子攻めの時でございました。被害を最小限にと思ったのか、勝利さえすればいいと言った義隆様の命(めい)を、陶を始めとする家臣が無視したのでございます。彼らの欲したものは、大きな勝利だったのです。しかし、相手とて莫迦ではございません。単純で浅はかな考えが通用するはずもなく、大内軍は大勝利どころか、大敗北を迎えたのです」

「ひょっとして、その敗北の原因が君主にあると?」

「はい。そのように思い込まれたご様子でございました。そもそも不服であったのが、そのような形で現れただけかも知れませんが」

「そうか…この国でも、似たような謀反があったな…」

「それは?何時ごろの事でございますか?」

「三十年ほど前だ」

「でしたら、王は今と同じ方なのですね。こちらには天意と言う物がある。その謀反の際、天意に沿ったのが、王だったと言うことでしょう。あちらには、天意はない…単純に力の大きい者が勝つ。同じような軍制ならば、その時の運だけが、すべてを決するのです」

そういう意味では、の君主は運がなかった。

元々なかったのか、尽きたのか、それは分からないが、間合いにも恵まれず、最終的には天候までもが裏切っていった。

人であったのだから、当たり前なのだろうが…

だが、こちらの王が神であるのなら、それらは何の関係もない。

の中で神とは、天意そのもののような気がしていた。

決して垣間見る事の出来ない、絶対的な世界であった。

「そうだな…確かに、その通りだ」

「巻き込まれた若様だけが、不憫でした…」

そう言っては一度言を切った。

ややしてから、随分と前に問うた事への返答が返ってくる。

「私はこちらに来てからというもの、笑い方を忘れたように思われます。怖いと思う感情は残っているようですが、笑うというものが、どんなものであったのか…雁は良い国です。私はこの国が好きです。きっと王も良い神なのだと思う…実際、地官のお仕事は楽しく、やりがいのあるものです。他官府の方々もよくしてくれますし…ですが、どうやって笑えばよいのか、今の私には分からないのです」

「…こちらに来て、涙を流した事は?」

「ございませぬ」

「それも忘れたと言うか…」

そう言えば、の顔がふと尚隆を見る。

表情は心なしか、哀れんでいるように見えた。

それを不思議に思い、ただ見つめられるままに、見つめ返していると、の手がすっと伸びてきて、尚隆の頬に納まって止まる。

「若様は、何故お泣きにならない…」

心の奥底を見透かすようなその瞳に捕らえられ、尚隆は動くことが出来なかった。



何故、若と呼ぶ?



「大きなものを背負ってはいても、人間である事には違いないのです。それとも、私のように泣くことをお忘れか」

泣くのを、忘れた?

自らの頬に当てられたの手を、上から包み取って力を込めて握り返す。

は、泣く事を忘れたのか?」

「はい。どうやって涙を流せばいいのか…私には分かりません。小松さまもそうでしょうか。小松の民を思って、その心が悲鳴を上げておられる。死んだ民は戻りませぬ。それを憂いて泣く事は、恥ずかしい事ではございませぬ。それだけ民の一部であったのですから」

握られた手は痛いほどに力をかけられていたが、はその痛みすら感じなった。

尚隆の心の痛みが流れてくるようで、手の痛みなど些細な事にかまけておれなかったのだ。

「民の、一部…?」

「民は王の一部です。王もまた、民の一部です。国とは…双方どちらが欠けても成り立たないからです」

きつく握られた手は不意に開放されたが、その直後、体を引き寄せる腕があった。

後頭にうな垂れるようにして、乗せられている尚隆の顔を感じたは、その背に手を回し、子をあやす様に優しく撫でていた。

「泣くことが出来るのなら、泣いておしまいなさい。溜め置いても、何も良い事はありませぬ。我慢するだけが、男ではありませぬゆえ」

に回された手に力が篭り、一瞬震えるような振動があったが、その後は硬直したように固まっていた。

篭った力のせいで、背を撫でる腕は動きを封じられたが、はすべてを了解したかのように、ただじっと時が過ぎるのを待っていた。

早く咲いた秋桜だけが風にたなびき、それを見守っていた。



続く






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少しだけ近づくことが出来ました。

でもまだまだ甘くはありませんね☆

お次は六太さん登場です。

                        美耶子