ドリーム小説
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月の花 =6=
しばらくして、の頭上から静かな声が降ってくる。
「が泣けないのは、結末を知らぬからではないか?」
くぐもった声であったが、それは深く染みるようでもあった。
「そうかもしれませぬ…」
「もし、調べて分かるとすれば、はどうする?」
「可能性として…いい結果が望めませぬゆえ、知りたくはございません。あのお小さい若様が、短い生涯を閉じたなどと…聞きたくございませぬ」
「そうか…」
「こらちの若様は、もう大丈夫でしょうか?」
気遣うような声に、の頭から顔が離れていく。
「大丈夫だ。すまなかった」
「いえ…」
そう言っても離れない腕に、は不思議に思いながらもそのままでいた。
「あの…小松さま?」
「なんだ」
「もう、大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だ」
再度尋ねても離れてくれない腕に、ますます不思議に思うが、二度も聞いたとあっては、次に何を聞いて良いのやら判断できなかった。
しばし逡巡して、再度問う。
「小松さま?離れられないのでございますか?」
「よく分かったな。どうにも心地良くて離れられん」
「心地良い?」
「抱き心地が良いと言ったほうが分かりやすいか?」
「抱き…抱き心地!?」
慌てて腕に力をいれて、引っぺがすようにすると、簡単に腕は解けていった。
「ご心配申し上げましたのに!」
「怒った顔は出来るのだな」
したり顔で言われたは、はっと自分の頬に手を当てた。
顔の動きを探るように手を這わせ、眉間に皺が寄っている事に気がついた。
「思い…出したようです…」
顔からすっと力が抜けていき、ほわりと微笑む。
「笑う事も思い出したか?」
「はい」
微笑んだ顔を初めて見た事に気がつき、尚隆は笑って言う。
「笑っているほうが良い。真顔だと、怒られているようで敵わん」
「怒っていた訳では…」
だが、確かにずっと真顔でいれば、判断しかねるだろうと思いなおし、ふと笑みを向けて言った。
「その通りですわね」
「後は泣く事を思い出せばいいのだがな」
「泣く事を忘れているのなら、悲しくなくて良いのでは?」
「人に泣けと言っておいて、そのような事を言うか?」
呆れたような声に、はおもわず声をあげて笑った。
その屈託の無い笑顔は、三年も消えていたのが嘘の様であった。
調査を終えた二人が宮城に戻って来たのは、黄昏が降りた頃だった。
朱衡の想像通り、早く戻って来たことによって説教はなかった。
はさっそく帷湍の元に行き、報告をする。
それに目を丸くして聞いていた帷湍であったが、翌日にはすでに動き出していた。
「いや、驚いた」
翌日、王の自室に入るや否や、帷湍はすでに控えていた二人にそう言いながら、中央まで歩いて来た。
「どうしたのです?」
「驚いた事が二つもあってな」
「二つ?」
尚隆の声に帷湍は頷き、主をじっと見ていた。
「一体、何をしたんだ?」
朱衡と成笙の目が主に向けられる。
「何かしたのですか?」
何の事かも判らずに、朱衡は主に詰め寄るようにして聞いた。
「ちょっと、からかったな」
「からかった?それでどうなったんだ?」
成笙も詰め寄りながら聞いたのを、帷湍は見ながら言う。
「の表情が戻った。普通に笑うようになった」
「それが主上のおかげだと?」
朱衡は詰め寄るのをやめて帷湍を見る。
「治水調査から戻ってきてからだ」
「ほう…」
驚いた様に言ったのは、他ならぬ尚隆その人だった。
「言っておきますが…」
成笙が口を挟む。
「夏官に嘘を教えて勝手に抜け出した事は、それで帳消しになどいたしません」
成笙がそう言った矢先に、朱衡からもう一つは何だと質問が飛ぶ。
「の治水案だ。予算内ですぐにでも出来る。時間はかかるが、人手はさほどいらん」
帷湍の言に、朱衡と成笙は主に目を向けた。
「俺は知らんぞ。調べているのは見ておったが、何をしたいのかまでは想像できん。ただ、浅いのを残念がっておったな」
朱衡が不思議そうに首を傾げる。
「浅いといけないのでしょうか?」
「さてな。それで、その治水案とは?」
帷湍に目を向けて先を促す。
王の裁可を貰いに来たのだから、どのみち聞かなくては先に進まない。
「調査した結果、川が浅く土手が高い。よって、土手に竹を植えるのだそうです。多少年数はかかりますが、竹はしっかりと深い根を張る。脆い土でできた土手をそれで強化し、自然の堤を作るつもりのようです」
感心したような声が同時に漏れ聞こえた。
もちろん裁可が下りぬ訳もなく、その案は可決されて、すぐに実行に移された。
そしてその成果を残したに、各所の主だった土地を見てもらおうと話も出たが、また王が抜け出すのではないかと成笙が言い出し、それは上層部で却下された。
表情の戻った当の本人は、親しみやすい人間と変わり、元々慕われていただけに、ますますその人気を集めるようになった。
ある日。
の足音にびくっと人影が動き、柱にこっそりと身を寄せる気配があった。
「?」
訝しく思ったはその人影にこっそりと近寄り、柱を覗き込んだ。
金の髪をした少年がそこには立っており、を見ると猛然と逃げようとしている。
とっさに襟首を掴んでしまったは、何故逃げるのかと問うた後、はたと時が止まった。
金の髪と言えば、この世界の神獣。
麒麟しかいない。
慌てて襟を放し、その場に額(ぬか)ずいた。
「た、台輔とは気がつかず、恐れ多くも…」
「い、いや、いーよ。気にすんなって。俺を追ってくる奴かと思ったんだ」
「追ってくる?何か変事でもございましたか?」
顔だけを起こし、やや表情を改めて問うたに、六太は噴出して違うと言った。
「いたぞ!」
の後方から声が聞こえ、再度ぎくりとした六太は逃げようとしていた。
「!捕まえろ!!」
声の主は帷湍であった。
とっさに同じところ、つまりは襟首を掴んだは、六太を捕まえて帷湍を振り返る。
「でかしたぞ、」
満足気に言った地官の長を見上げ、よかったのだろうかと思う。
「?」
襟首を掴まれたままで帷湍に引き渡された六太は、振り返っての顔を覗き込む。
「って、あのか?」
そう問う麒麟に、は首を傾げながら答える。
「どの、でしょう?」
「えっと、地官の?蓬莱から来たっていう」
「それでしたら、私の事ですわ」
「へえ、あんたがか。良く名を聞いてたけど、初めて見たな」
「私の名ですか?」
不思議に思って帷湍を見ると、頷きながら答えがあった。
「良い案を出すと評判だし、主上が良く名をお出しになるからな。それに、最終的に裁可するのは主上だからな。案が多ければそれだけ目にも止まる」
何故王がの名を出すのかは分からなかったが、案を可決しているのが王だと聞いて、は少し驚いた。
「王とは…まるで人間のような事をなさるのですね」
「へ?」
拍子抜けしたような声に、は首を傾げて言う。
「だって、神なのでしょう?」
「か、神と言ってもな…元は人間なんだぞ?」
六太は口元をひくつかせながらに言う。
「そうなのですか?」
「そ、そうだぞ。仙になったも元は人間だったろう?」
「それもそうですわね」
あっさりと納得したに拍子抜けして、六太はこけそうになっていた。
それを掴んだまま、帷湍はに言う。
「お前、主上を知らないのか?」
「はい。拝見したことはございませんが?」
何を言うのだろう、とでも言いたげな顔をして見るに対し、言葉に窮したした帷湍であった。
「私は朝議にも出ませんから、拝見する機会などございませんわ」
さも当たり前のように言ったを見ながら、帷湍は頭を抱えたい気分になっていた。
の言っている事が本当だとすると、玄英宮に来たあの夜にも、先日治水調査に行ったあの時にも、尚隆は王だと名乗っていない事になる。
何故隠しているのかは判断しかねるが、うかつに言えないではないか、と一人舌打ちした。
「王に会っていない?」
不思議そうに言う六太を慌てて引っ張り、帷湍は誤魔化す様にしてその場を離れていった。
「なんで邪魔すんだよ?」
襟首を捕まえられたまま、不服そうな声が走廊に響いたが、それには答えずにいた帷湍であった。
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