ドリーム小説
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榴醒伝説 =18=
それを待って夕刻、やっと陽子が戻ってきた。
「十二の国に協力を仰いで、泰麒を捜索する。麒麟なら同属の気配を感じ取れるから各国の宰輔に、蓬莱と崑崙に向かってもらう。李斎には今、言ってきた」
「そんな大事業が…可能なのでしょうか?」
「延王がお力添えをしてくれる事になった」
「そうですか…よかったですわ。ですが、これからが大変ですわね。どれほどの協力を仰げるか、まだ判りませんし、その後も色々と問題がございましょう」
そうだな、と言って陽子は口を噤む。
それでも何処となしに安堵した感じが見て取れる。
その表情に救われ、は太宰府へと戻る事が出来た。
やっと普段の職務に戻ったは、溜まった物を片付けながら考えていた。
もし、泰麒が戻って来て陽子と話しをすると、どうなるのだろうかと。
「望郷の念か…」
にもなかった訳ではないが、強くもなかったように思う。
桓タイに拾われて後、避けられていた時にも、帰りたいとは思わなかった。
地官としてやるべき事は山積していたし、浩瀚や紫望にもよくしてもらっていた。
仕事に従事していく内に責任感が生まれ、帰るべき場所もないにとっては、麦州城が我が家に他ならなかった。
自分の居場所を、この国に作ってしまったのだ。
故郷を思うと懐かしいが、二度と帰れないと言う事実を受け入れてしまっていたので、その為に心がそのように働いたのだろうか。
「違うわね…私は、帰りたくなかったのだわ」
何よりも桓タイの存在が大きい。
避けられてなお、桓タイの存在を確認し、瞳が追うことを止めない。
そんなの心を、乱しては離れていく桓タイを、恨めしく思ったこともあったが…
「懐かしい…」
思い出にふけって、手が止まっている事に気がついたは、再び書面に向かった。
今日もまた、明け方だろうな、と思いながらも作業を進める。
その数刻後、太宰府を尋ねる者があった。
人の来る物音に気がついたは、夜中という時間も手伝って、少し身構える。
「やっぱりここにいたか」
桓タイだった。
小さな盆を手に、扉を開けている。
「桓タイ…どうしたの?こんな夜中に」
「腹減ってるかと思って」
「まあ…ありがとう」
気遣いが嬉しくて、の顔に笑みが宿る。
その笑顔が少し後ろめたく思った桓タイは、本当のことを告白した。
「いや、なんだ…実を言うと、持っていけと言われてな。が帰ってこないもんだから、心配してたぞ」
官邸に戻って、一人で夕餉を取ることは多かったが、今日は厨房のほうから女達が出てきて、夜食を用意したから持っていけと桓タイに迫ったのだった。
桓タイとしても、に会いに行くのが嫌だった訳ではないが、天官を刺激することになりかねなかったので、太宰府に来るのはずっと遠慮していた。
書卓に盆を置いて、に食べるように言う。
「少し冷めたかもしれないが…」
少し気恥ずかしくなった桓タイは、の少し上を見ながら言った。
「ありがとう。みんなにも、そう伝えておいて」
そう言っては食べ始める。
「そう言えば…今日は初めて物を食べるわね…」
「お前っ…はあ。本当に放っておくとこれだからな…」
「ごめんなさい」
素直に謝るの頭に手を置いて、くいっと顔を上げさせる。
「反省してるか?本当に?」
「えっと…はい。気をつけます」
「よし、ならいい。なんでも背負い込むなよ。それ食い終わったら手伝うから、今日は一緒に帰ろう」
「うん。ありがとう」
手伝うといっても、桓タイは武人である。
出来る事は限られているだろう。
しかし、その気持ちが嬉しい。
は急いで目前の物を食べ終え、盆を横に避ける。
残った書面を纏め、目を通していく。
「何をすればいい?」
は書面の中から一枚を抜き出して桓タイに渡す。
「これに目を通してほしいの。足りない物があるはずなんだけど…」
「これは夏官の…ああ、兵卒達の…うん」
そう言って桓タイは考え込む。
「そうか」
しばらくすると、そう言って筆を取る。
さらさらと書き付けて、に渡す。
「ありがとう。あら?」
がその紙面に目を向けると、綺麗に終わっていた。
足りない物は横にかかれ、現状のいらない物までが書き足してあった。
「いかがでしょう、太宰」
「完璧ですわ…青将軍」
驚いた顔のまま書面を見るに、桓タイは少し得意そうな顔をして見せる。
だがすぐに普通の顔に戻って頭をかく。
「夏官の事だったからな。しかし、こんな事まで天官の仕事だったとは…知らなかったな」
そう言う桓タイをそのままに、は書面の山から、夏官の物を抜き出す。
「分かるものだけでもいいから、頼んでもいい?」
「喜んで」
桓タイの意外な活躍により、その日の仕事はまだ暗い内に終わった。は再度礼を言って、立ち上がる。
長かった一日、いや、正確に言うと二日がようやく終わりを告げる。
桓タイと並んで太宰府を後にし、官邸へと戻って行った。
何もする気力もなく、は倒れるようにして眠る。
そして僅かな睡眠の後、朝議へと向かう。
重い体を引きずって朝議を終えると、雁国の主従が帰っていったと報告を受け、それを頷いて返し、は再び太宰府へと戻って行った。
今日こそは夕刻に帰りたいと思って、手を早める。
なんとか夕刻に仕事を終えたは、ふらつく足取りで官邸へと帰って行った。
帰ってすぐに厨房を訪ね、夜食の礼を言う。
「そんな、様!頭をお下げにならないで下さい。官邸を預かる者として、当然のことをしたまでです!」
「ありがとう。本当に助かったわ。実はお腹が減っているのも忘れていたの。桓タイが夜食を持って来てくれなかったら、そのまま何も食べずじまいだったわ」
「そう思っておりましたよ。本当に様はお変わりになられなくて…」
はあ、とため息をつかれて、はそそくさと厨房を後にする。
しかしそれからも、の帰りは遅くなる一方だった。
本格的に泰麒捜索の件が動き出すと、覚悟していた事とはいえ、次第に体力も目減りしていくのが判る。
だが、それは誰しも感じている事で、一人のものではなかった。
他国の事に手を取られて、自国の事を疎かにする訳にはいかない。
陽子や浩瀚がそこに時間を取られている分、がなんとか補っていたのだった。
そんなある日。
憔悴した顔をなんとか取り繕って、は正寝を歩いていた。
「お、太宰。えーと、…!」
名を呼ばれて振り向くと、金の髪をした少年が立っていた。
「え、延台輔!どこからいらしたのです!?」
「禁門から。陽子はいるか?」
「あ、はい。おりますが…」
「ちょっと借りるな」
「は?」
問いただそうとするが、すでに延麒は扉の向こうへと消えていた。
慌てて敬茶の用意をし、茶菓子をつけて陽子の許へと向かう。
しかし、が戻った時にはすでに二人はおらず、唖然としていると祥瓊が事情を説明してくれた。
「蓬山ですって?」
「ええ。そう言っていたわよ」
「うぅ…せっかく…」
「あら、珍しい…」
祥瓊は目を丸く開いてを見ていた。
「何が珍しいのですか?」
「いえ…泣き言のような事を言うものだから…いつもなら、そうですかって言って、すぐになおしにいくのに…ひょっとしてって、かなり疲れていない?」
「え?え??」
「顔に出ているわよ、疲れが」
「そ、そうでしょうか…?」
「まあ、女の目から見ないと分からないけどね」
「よかった…」
「それにしても桓タイも気がついていないのかしら?あ、気がついてもどうしようもないか…そうだわ」
祥瓊は手を打ち合わせてを見た。
「陽子はしばらく戻って来れないと思うの。だから手伝うわ」
「め…面目ないです」
がっくりと肩を落としただったが、祥瓊が手伝ってくれるのなら、とても助かるし、頼もしい。
茶器を持ち上げて、祥瓊は太宰府へと向かいだす。
二人で作業を始めてしばらく、無言のまま次々と終えていく書面の山。
数刻後にはほとんどのものが終わりを告げていた。
「ちょっと一息入れましょう」
陽子と延麒のために用意した茶菓子を祥瓊と二人で食べ、休憩を挟んでから残りの仕事に取り掛かかろうとした。
そこへ、太宰府を尋ねる者があった。
天官の一人が、祥瓊かを探していたようで、二人が一緒に居るのを見て驚いたような表情をしていたが、すぐに用件を切り出す。
「先ほど国府のほうへ、主上にお目通りをと言う者が参りまして」
「主上に?」
「はい。それが…氾王の裏書が押されている、旌券をお持ちでございまして…」
「氾王の?」
二人は顔を見合わせたが、は首を傾げながら天官に聞いた。
「そう。それで、手にお持ちの物は何でしょう?」
「あ…申し訳ございません。こちらは氾王からの親書のようです」
またしても顔を見合わせた二人。
天官はその様子を不安げに見ていたが、親書を書卓に持ってきて退がる。
「現在、主上はおりませんから、この親書を受け取っていただく事ができません。その方には申し訳ないですが、堯天の舎館でお待ちいただきましょう。王宮に入れる訳にも行きませんから」
「はい」
そう言って退出する者を見ながら、は祥瓊に向き直る。
「ではこれは女史にお預け致しますね。主上がお戻りになって、一番早く渡せるのは祥瓊ですから」
「確かに、お預かりいたしました」
その後、再び政務に取り掛かる。
驚いた事に、その日は夕刻までにすべてが終わった。
「お…終わったわ…ありがとう、祥瓊」
「いいえ。明日もお手伝いしましょうか?」
「もし主上がお戻りでないのなら…お願いしてもいい?」
「分かったわ。任せて」
祥瓊を見送って、はどうしようかと考える。
こんなことは滅多にないのだから、そのまま帰れば良いのだが、は考えたまま動けずにいた。
不安要素がありながら、何の対処も出来ていないのだ。
それを調べるためには幾人かと対面して、話しを聞かなければならない。
は考えた挙句、内宰を探し出した。
内宰はすぐに見つかり、は声をかける事に躊躇いはなかった。
だが、声をかけられた内宰のほうは、気まずい様子だった。
桓タイに扉ごと飛ばされてから、面と向かうとこういった空気になる。
仕方のない事だったが、そこは仕事と割り切って、気がつかないふりをして近寄って行く。
「先日の延王君ご滞在の際、何か変わった事はございませんでしたか?掌客殿で何か足りない物でもありましたら、すぐに手配いたしますが」
「いえ。今の所は問題ございません」
「そうですか。内宰に任せておけば、大丈夫ですね」
はそう笑って内宰を見た。
見られた内宰は、少し戸惑っている様子を見せたが、すぐに踵を返して行った。
しかし、それを追うのは酷だろうと思い、は次に禁門へと向かう。
「太宰?」
「はい」
門前に辿り着き、振り返ると見覚えのある顔だった。
「伍長の凱之です。お見知りおきを」
「凱之…麦州師にいた凱之ですか?」
凱之は驚いたように目を広げ、に問う。
「何故、ご存知なのですか?」
「青から何度かお名前を伺っておりました。見覚えもありましたから、麦州の方だろうと思ったのです」
にこりと笑い、凱之は言う。
「それは、光栄です」
「ここの両は麦州の者が多いのですか?」
「そうですね。比較的多いかと」
「そうですか。青が禁門は安心できると言っておりましたから、ひょっとするとそうではないかと思っていたのですが。…ところで、先日私の麾下が何やら非道な事を申したようで…今日はそれを謝りに参りました。劉将軍の容態も少しは快気へと向かっておりますし、主上もよく気にかけておいでです。ここで…無事にいてくれたからですわ。本当に、ありがとうございました」
「太宰…」
凱之は少し感極まったようにも見えたが、はそれをそのままに残し、閨門へと向かい中の人物を確認する。
天官の一、この門で通行人の管理をする者だった。
あまり良い評判はないが、それでもの麾下だ。
「た、太宰!」
突然現れた天官長に驚いた顔。
「頑張っていますね。いつもご苦労様です」
ひとまず、にこりと微笑みかけて様子を伺う。
「…今日はどういったご用件で?」
「特に用事はありませんが、お顔を拝見に参りました。夏官の人達に、的確な指示を出していかねばならない立場にありますから、これからも頑張って下さいね」
「は…はい…」
「何か変わった事はございませんか?」
「いえ、特には…ですが、禁門にしては、出入りが激しいですね。先だって女軍人、延の御仁と…禁門だと言う事を、お忘れになっては困るのですが」
「…そうですわね…劉将軍はここかどこか、分からなかったのでしょう…」
「そうですか?わざとここに降り立ったに違いありません!」
「…そのような事を言っては…」
「ここを預かるのはわたしです。私がすべてを判断してしかるべきなのに、夏官どもは勝手にそれを許す始末。まったく、存外にもほどがある」
存外はあなたのほうだと言いかけた言葉を、はなんとか飲み込んでその場を離れた。
眉間に皺を寄せて戻ってきたを、凱之が気に留めて呼びかける。
横には先ほどいなかった兵卒が一人立っていた。
聞けば両司馬だと言う事だった。
「これからもご迷惑かけるかもしれませんが…ここをお願い致しますね」
「どうかされたのですか?」
「あの者は…禁門を預かる者としては、少々傲岸不遜なようです」
閨門のほうに目を向けながら、はため息混じりに言った。
「ですが…」
は人手不足の事を言いかけたが、夏官にそんな事を言っても仕方がない。
「いえ…。ともかく、申し訳ございませんでした。これからも、よろしくお願い致します」
そう言って禁門を離れた。
「太宰は…良いお方ですね」
凱之は消えていくの後姿を見守りながら、両司馬にそう漏らしていた。はその足で官邸へと戻る。
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