ドリーム小説
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榴醒伝説 =3=
夕刻、の元に桓タイが訪れ、報告をする。
「あの後、浩瀚様は主上と相談されたようだ。明日の朝議で、正式に移動が決る」
そう言って、一枚の書面を渡す。
そこには少数の名が連ねられていた。
鈴や祥瓊の名をそこに見つけ、路寝に残る者の名だと判る。
「これでは、配置をするのに苦労はしないわね。ただ、分担が大変そうね。一人にかかる負担がとても大きいわ…何を誰が受け持つか…」
自分で切り出した事ではあったが、あまりの人手不足に、は思わず溜め息が出た。
「まあな。…なあ、一緒に考えようか?」
「え?」
「今日はもう終わった。久し振りに、官邸にでも帰ってみようかと思ったが、太宰の官邸を一度覗いてみたい」
そう言われて、は苦笑しながら桓タイに言った。
「私もまだ知らないわ」
「まだ、知らない?」
「ええ、一度も行った事がないもの。ずっと太宰府に詰めていて、まるでここが居院のよう…」
「」
少しだけ怒気を含んだ声に、しまったと思い、は慌てて言った。
「夜中にもお勤めがある人と、お話をしたくってね。そ、それに…」
そこまで言って、は口を噤む。
入口から声をかけられたからだった。
「太宰。お時間よろしいでしょうか?」
声は外からのようだったので、は急いで立ち上がる。
「ああ、内宰だわ。ちょっとだけ待っててね。すぐに戻ってくるから」
桓タイをその場に残し、は内宰のいる外まで出た。
「誰かおられるのでしょうか?」
内宰は出てきたを見て、そう聞いてきた。
「青将軍がおこしで。冢宰からの伝言を届けに」
「さようでございますか。冢宰も物好きな方でございますね」
その言葉に、は少し腹が立つのを感じる。
しかし、それを表面には出さず、柔らかく問う。
「内宰は、冢宰にご不満があるのですか?」
「いえ、とんでもないことです」
「そう、なら良いのですが…。青を禁軍の左軍将軍に据えたのは、主上だと言う事を忘れてはなりませんよ。口さがない者と思われてしまいます。御自身の保身を思うのなら…」
最後まで言えずに、は絶句した。
内宰がの手を握り、迫るようにして近付いたからだった。
「あのような者の中に、太宰の身を置く事が、天官にとってどれ程の痛手かお分かりか。高貴な輝きに満ちた貴女を、私達がどの…」
ばんっ!
と大きく扉の開け放される音がして、は手に衝撃を感じ、内宰の体が横に飛ぶのが見えた。
そのまま鈍い音がし、内宰の体は動かなくなる。
驚いたままのは、内宰に近寄り、様子を伺おうとした。
「触るな!」
後ろから投げられた声に、びくっと体が竦み固まっていると、前方から誰かが来る気配を感じた。
「何の騒ぎだ?」
前方から投げかけられた声の正体は虎嘯だった。
のびた内宰を見て、と桓タイを交互に見る。
「何だ、こりゃ?」
「内宰…です」
はそう告げて、再び様子を伺っていた。
命に別状はないようだと思い、ようやく目を逸らす。
「その内宰が何でのびてるんだ?」
「を襲おうとしていた」
桓タイの言に、すっと顔色を変えた虎嘯は桓タイに問う。
「何!謀反か?」
それに慌てたは、急いで違うと言った。
「襲われた訳じゃないの。ただ、距離がちょっと近かっただけで…」
「へ?」
ぽかんとしていた虎嘯はややして、ああ、と頷いた。
「なるほど。本当に実行に移す莫迦者がおったとはなあ…へえ」
「それは、どうゆう事ですか?」
訝しげな視線を投げたに、虎嘯はにやっと笑って桓タイを顎で指した。
「桓タイに聞くんだな。よし、こいつは俺が預かっとく」
そう言って内宰を担ぎ上げ、大股で去って行った。
残されたは恐る恐る、後ろを振り返る。
だが振り返って、すぐに前に向き直った。
桓タイの顔が怒っていたからだ。
(こ、怖いかもしれない…)
「太宰の官邸は取りやめだ。俺の所に来い」
そう言って手を握られたは、小さく悲鳴を上げた。
それに驚いた桓タイは、慌てて手を放す。
痛みで涙の滲んだ顔を見て、少し焦った顔を見せる桓タイ。
「どうした?」
優しくなった表情に安堵し、は手を見せた。
両手は赤くなっており、どうやら打身のようだった。
「すぐに治ると思うけど、今はちょっと痛い…」
自分が勢いよく開けた扉にぶつかったのだと知った桓タイは、すまないと謝って、の膝裏に腕を入れた。
ふわり、と宙に浮く感覚がして、桓タイの顔がぐっと間近に見える。
「か、桓タイ!」
「手を繋げないなら、仕方がない」
「こ、こ、こ、ここを何処だと思っているの!」
「天官正庁、太宰府」
あっさりと返されたが、絶句しそうになるのを叱咤して、は続けて言う。
「降ろして」
「駄目だ」
「どうして!?」
「さっき言った」
「手を繋がなくても、逃げないわよ」
「逃げるから繋ぐんじゃない。に触れていたいのに、手を繋げないんじゃ、これしか方法がない」
はついに絶句した。
それを確認した桓タイは歩き始める。
「か、肩に手を置くとかでも…」
しばらくして、やっと声をだしたを、桓タイはさらりと無視して歩く。
「だ、誰かに見られたら…」
それも、無視。
「ほ、ほら!誰か来るわよ」
それでも、無視して歩き続ける。
は顔から火が出るような思いで、出来る限り下を向いた。
(気を失えたら、どんなにいいだろう…)
そう思っても、手がじんじんと痛いだけで、気を失うほどの事はない。
政務の終わっている時間が幸いしたのか、さほど人はいなかったが、それでも数人とすれ違った気配を感じた。
桓タイはを抱えたまま、ついに官邸へと戻ってきた。
中に入ると数名が駆け寄ってきて、はようやく降ろされる。
「さま!」
火が出そうなほど火照った顔をあげ、は呼ばれた方をみる。
「皆さん…お元気でしたか?」
瑛州の館第で別れたままの女達と、久し振りの再会をする。
手を出そうとしたの腕は、独りでに持ち上がって宙をかく。
見ると、後ろから桓タイが持ち上げていた。
「また痛むぞ」
桓タイはそう言って、冷水を用意するように言った。
張られた冷水に手を浸し、腫れが引くのを待つ間中、女達はに色々な事を報告して行った。
その間、桓タイは一言も喋らない。
やっと二人になった時、桓タイはぽつりと言った。
「今日は太宰府には帰さない。官邸にも帰さない。ここから外に出さないからな」
まだ怒りの残る顔でそう言われたは、大人しくそれに従う事にした。
夕餉の後、は腫れが引いたのを確認し、冷水を溜めた器を空にするため、厨房に向かった。
そこにいた女と、二〜三会話をし、桓タイの元へと戻る。
戻るとおもむろに手を掬われ、は何事かと桓タイを見上げた。
両手を優しく包んだ桓タイは、安堵の表情を浮かべ、目を閉じていた。
「やっと、触れる事ができた」
そう言われ、はまたしても顔が火照りだすのを感じた。
「さっきも、抱えていたじゃない…」
「そうなんだが…。でも、違う…手を繋いでいるのとは、全然違う」
「そうかしら?」
「は一緒の感覚に思うか?」
問われてしばし考える。
「違う…わね…」
恥ずかしさも違うが、手を取り合うことは特殊な気がする。
お互いの気持ちが、真っ直ぐに流れ込んでくるような感覚。
より強く、相手の存在を認識する。
桓タイは目を閉じて、実感していたのだろう。
その気持ちが少し判って、もそれに習うように瞳を閉じる。
目を閉じていても、すぐ傍にいる存在が安らぎを与え、包まれた手がじんわりと温かい。
ふいに手に冷気を感じ、は眼を開ける。
青の榴醒(ろせい)が目前に迫っており、それはすぐに全体が包まれる感触へと変化する。
手を握るよりも大きな安心感が体を包み、日々の殺伐としたものから、解放されるような錯覚を覚えた。
「桓タイ…好きよ。この世の誰よりも、この世に何よりも」
その言に、包まれた腕に力が入る。
徐々に力が増してきて、の息が詰まりだす。
「…い。く……い。くる…し、い…」
はっと気がつき、桓タイは慌てて腕を緩める。
は解放されないまま、桓タイの腕の中で深呼吸をし、息も整わないうちに、その名を呼ぶ。
「なんだ?」
「ちょっと…座らない?」
そう言われた桓タイは、名残惜しそうにその腕を離す。
「虎嘯が言ってた事なんだけど…聞いても良い?」
腰をかけて早々に、は桓タイに問いかける。
桓タイは少し嫌そうな顔をしたが、諦めたように頷いてを見た。
「天官だけじゃなく…噂の的になっている。誰が太宰を射止めるのかと。よほどの地位を持ってしても、太宰を射止めるのは難しい。それができる人物が居るのなら、大物に違いない。是非見てみたいものだと」
「射止め…何ですって?」
難しい顔をする桓タイを見ながら、もまた難しい顔をした。
「同時に、太宰に手を出すと、恐ろしい事が身に起こるとも噂になっている」
「恐ろしい事?」
まあ、その、と言い置いて、桓タイはから目を逸らす。
「麦州から来た連中が、警告して周っているからな。将軍の怒りを買いたくなければ、太宰には近付かないほうが良いと…だが、天官にまで手が周らない」
はくすり、と笑いを零して言った。
「桓タイ以外に射止められる人なんて、居ると思うのかしら?」
そう答えたに、桓タイは拍子抜けした。
椅子から落ちそうになりながら、身を引き起こす。
「あのなあ…そんな事まで考えるはずないだろう?そもそも知らない連中ばかりなんだ。麦州から来た者ですら、はっきりと確信を持って知っているのは少ない。ましてや太宰府に詰めているに、思う人があろうなど誰も思っていない。あの輝きは尋常ではない。高貴で美しいお顔立ちに触れたい。毎夜夢に現れて頂きたいと…そう言う噂だ」
「なにそれ…」
呆れたような声を出して、は深く溜め息をつく。
「私が海客だと知ったら、さぞかし驚くでしょうね。外側だけで人を判断するなんて酷い話よね。侮辱も甚だしいわ」
「甚だしいって…褒められているんだぞ?」
「女が少ないからよ。鈴だってかわいらしいし、祥瓊なんてとても美人じゃない。あえて、下官の地位にいるから注目されていないのであって、彼女らが太宰なら同じ事を言われているわ。天官長だと言う事が一人歩きをして、麦州から来たと言うのがそれに拍車をかけているんだわ」
「それは、違うと思うんだが…それなら、港町ではどうだ?」
「あら、時間が経過していれば話は別よ。彼女達とはよく対話したもの。それに彼女達は、そんな気持ちの悪い事を言わないわ。」
では麦州城ではどうなのだと言いかけたが、これ以上は無駄な会話が続くのだろうと思った桓タイは、そのまま口を噤んだ。
「でも…ごめんなさい」
は唐突にそう言うと、立ち上がって桓タイの前に移動した。
桓タイの首に手を廻し、膝の上に座る。
「いや、俺のほうこそ…すまない。が悪い訳じゃない」
危惧した通りになっていくのを、自分の力では止められずに、気になって仕方がなかった。
だから今日も、早々に切り上げて様子を見に行ったのだ。
内宰が偶然にも動いたが、それを放っておいて、に危険がある訳ではない。
力に物をいわせて、何とかしてやろうと思っているはずはないのだから。
だが、と桓タイは思う。
薄く開いた扉の前で、内宰はの手を握った。の手を握って、桓タイの目前で迫っていた。
思い出していると、再び火の様な嫉妬心が身を焼き始める。
これから後、何人排除しなければならないのか…。
いつも目が届くとは言えない。
膝の上の体を抱きしめながら、桓タイはその存在を刻みつけようとした。
「」
名を呼び、唇を寄せていく。
しかし、の唇に辿りつく前に、何かによって阻まれた。
の手が邪魔をしている。
手を桓タイの唇から離したは、袂から紙を取り出し、桓タイに微笑んだ。
「一緒に考えてくれるのでしょう?」
「あ…」
忘れていた仕事を思い出して、桓タイは少しがっくりとくる。
卓上に紙を広げたは、改めてその少ない人数に溜め息をつく。
「なあ、これはもう少し増やす事は出来ないのか?」
そう言う桓タイに、は無理だと答える。
「私が一番最初に排除したかったのは、誰だか判る?」
「いや…」
「内宰なの」
桓タイは内宰の音に反応したが、冷静に務めてを見る。
「内宰は王に近い。だけど、あまり良く思っていないの。変わりに浩瀚様の名をお出しになったりするのだけど、その裏には王を批判する心が見える。このままお傍につけていては…」
初めに内小臣の話を聞いた時、場末の出身だと内宰は言った。出身など、どうでも良いような事で、判断しているのが見て取れる。
その内小臣ですら、虎嘯を認めて顔を顰める。王の警護をする者には、相応しくないと言った表情だった。
少し話もしてみたが、口数が少ないだけで、性向が控えめな訳ではなかった。
虎嘯を良く思っていないし、桓タイの事も良く言わない。
出身がよくない、半獣だからと言う理由で、簡単に見下げている。
それをかわいがるのは女王だからと言って、王の批判までを口にする。
「本当に…ここまで女王に対しての不信が強いとは、主上も大変でらっしゃるわね」
はそう言って再び紙面に眼を落とす。
「この人数では、休めないな。一日も」
後ろに立って言う桓タイに同意を示す。
「ええ…そうね。今から慣れておかなくては」
「が忙しいのは変わらないだろう?とは言っても、まだ慣れないか…」
不思議そうに言う桓タイに、は首を振って答える。
「違うの。桓タイに逢いにくる時間を作りたいの。合間を縫って、お互いが逢う時間を作ろうと思えば、大変だと思うから。慣れなければならないのは、時間の作り方」
言い終わって一瞬の間の後、の体はまたしても宙に持ち上がる。
にこにこと笑っている桓タイに、降ろす様に言うが、やはり聞いてはもらえない。
「明日、記載されている全員を集めればいい。話し合って決めたほうが早いだろう。だから、今日はもう寝よう」
そう言われ、臥室へと運ばれる。
「ちょっ、ちょっと桓タイ!大まかにでも決めておかないと!」
「細かい事しか残ってないだろう?女御は二人しかいないんだぞ?女史は一人だし。後はが適所で、指示を出していくしかないんだ。主上にもある程度は我慢してもらって…と言っても、あの人はその方が喜びそうだが」
言われてみればそうだ、とは思う。
でも、と考えているうちに臥室へと着いてしまう。
「だからって…ねえ、まだ寝るのは早いわよ」
「牀榻に入ったからと言って、眠るとは限らないだろう?」
言われて真っ赤になったは、軽く睨んでみたが、効果の程はなさそうだ。
「かわいい事を言うが悪い。この時間を有効に過ごさないと」
微笑んだままの桓タイを、は半ば諦めの境地で見つめた。
少しずつ熱を帯びてくる瞳に、吸い込まれそうになった時には、すでに紙面の事は忘れていた。
若干冷気を含んだ布に優しく置かれ、はそっと瞳を閉じた。
そして熱い吐息が漏れるまで、の口からは何も発せられなかった。
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