ドリーム小説
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榴醒伝説 =5=
翌日、は朝議の後、陽子に呼び出された。
王の自室へ行くと、いつもはいるはずの鈴が見当たらない。
大僕である虎嘯も見かけない。
変わりに桓タイと太師が居る。
太師遠甫の横には、少年が一人立っていた。
「!久しぶりだね」
少年はそう言ってに駆け寄ってくる。
「桂桂。元気だった?」
「うん」
そう言った子童の頭を、は微笑みながら撫でる。
「太師もお久しぶりです」
「太宰は相変わらず忙しそうじゃの。いつもすれ違ってしまう」
「そのようですね。いつも先ほどまでおられたと、聞き及んでおります」
そう言って、桓タイに眼を向ける。
「ところで、大僕は?」
「今日は将軍が大僕の変わりじゃよ」
桓タイが口を開く前に、遠甫から答えが返ってきた。
「虎嘯は少学へ向かわせた。鈴も同行している」
そう言った陽子を見て、ああ、と納得する。
弟の所へ向かわせたのだろう。
「それでは僭越ながら、鈴の変わりに私が女御を務めますわ」
「ありがとう。それとには相談があったのだが」
そう言って陽子はを手招きする。
「実は…」
内殿へと向かうは、途中で目的の人物を発見した。
「祥瓊」
呼びとめられた女史は、振り返ってを見た。
「少しお話があるのだけど、いいかしら?」
「はい」
そう言って祥瓊はに付き従う。
内殿の一室へと移動し祥瓊を座らせ、自ら茶を入れて差し出す。
何が起こるのだろうかと、祥瓊は少し不安に思いながらそれを見ていた。
は茶を一口飲んで、ゆっくりと切り出した。
「芳極国へ…」
祥瓊はびくっとなって、茶杯を落としそうになった。
「行くお許しが出ました。やはりいつまでも女史を正式に登用できないのは問題ですからね」
そう言っては、もう一口茶を含む。
「路寝の仕事にも皆が慣れて、夏官からも数名移動する事が決ったの。祥瓊が留守にしている間は、なんとか私が代わりを務めるから、安心して…とは言えないか…でも、頑張ってみるから」
祥瓊は言葉に詰まっていたが、に習うように茶を含む。
少しの音をたてて飲み込み、やっと口を開いた。
「仕事は…太宰に任せても大丈夫かと。だけど…新しい女史を…探しておいて…」
意外な事を言われ、は驚いて祥瓊を見た。
「まるで死にに行くみたいじゃないの…確かに、芳に戻れば何があるか判らないけど、主上の親書があれば、芳の方も早まった事はなされないでしょう?」
「私は…恭に行かないといけないの」
はっとなって、は口元を押さえた。本人と桓タイから聞いた事を思い出したのだ。
「供王に詫びてからでないと、私は月渓に合わせる顔がない…」
「月渓と言うのは…恵州侯?」
「ええ。今は御位におつきかもしれないけど…」
「でも…恭に行けば…」
そう言ったまま、は次に言うべき言葉を見失った。
王の御物を盗み、恭国を出奔したのだと聞いていては、どう考えても犯罪だ。盗んだ物が、王の物である以上、どんな罪咎が待っているのか。無事に帰ってこられるかどうか、定かではない。
そこまで考えて、は首を横に振った。
「祥瓊…」
思い余った感情は、言葉にならずに行動に変わる。
は祥瓊を抱きしめて、そのままじっとしていた。
柔らかな紫紺の髪を頬に受け、どうにかならない物かと考える。
「私、書状をしたためるわ」
しばらくして祥瓊はぽつりと言った。
「月渓に、書状を渡してもらえるかしら。私は恭に向かう。ちゃんと罰を受けなければ、慶を汚すことになるもの」
月渓に書状をと言った祥瓊は、決意を瞳に込めてを見ていた。
それを受けたは、引き止めたい気持ちを押し殺して頷いた。
「分かったわ。すぐに主上に申し上げてくる。誰が芳に向かうのか、相談してくるわね。祥瓊はすぐにでも書状を」
「ありがとう」
笑った祥瓊を残して、は急いで戻って行った。
王の自室につくと、そこにはまだ桓タイが残っていた。
は事情を説明し、意見を待つ。
「そうか…それなら恭にも親書を」
は頷いて陽子に言った。
「芳へは…誰を向かわせればいいのでしょうか?出来れば、祥瓊の事をよく理解している者に託したいのですが。しかも、それなりの地位にいる方でなければ…恵州侯は国主におなりだろうと、祥瓊が」
一国の国主に、下官を向かわせるのでは失礼に当たる。
仮にも、王の親書を携えて行くのだから。
こんな時にも、人員がいないという事は痛手になる。
「が行くというのは…駄目だろうか?」
「私が行けば、女史の代わりを務める者がおりません」
が行けば問題はないだろうが、慶の天官のほうに問題が起きそうだった。
「そう、だな…」
言って陽子は溜め息をつく。
ふと、は横に見える人物に眼を向けた。
それとほぼ同時に、陽子の目も桓タイを見ていた。
「禁軍左軍将軍なら…失礼に当たるだろうか?」
「祥瓊をよく知っているのだし…適役かと」
言われた当の本人は、ぽかんとしている。
そのまま沈黙が降り、三名は何も言わずにだた立っていた。
しかし、それを打ち破る音がする。
祥瓊が書状を仕上げて来たのだった。
「もう、書いたの?」
あまりの速さに、は驚いて祥瓊を見た。
「ええ…今書いたのではないの。いつかお渡しできればと、ずっと前から用意していたから…」
寂しそうに笑う祥瓊が痛ましく、は胸元に拳を作って耐えた。
行くな、と言いそうだった。
何もかも忘れて、ここに居ればいいと。
それをしてしまうのは、祥瓊の決意を挫く事だった。
だが、それを代弁する声があった。
「どうしても、行かなきゃならないのか?」
祥瓊は決意の篭った目で、そう言った陽子を見た。
そして膝を突き、頭を垂れる。
「供王の許へ参り、罰を受けて参ります。どのように処されるかは、判断できかねますので、どうか、こちらを恵州侯月渓にお渡し下さい」
真っ直ぐに伸ばされた手元に、分厚い書状があった。
心痛な面持ちでそれを受け取った陽子は、次いで桓タイを見た。
それを受けて、桓タイはしっかりと頷く。
「確かに受けた。恵州侯月渓に渡せばいいんだな」
ほっとしたような表情の祥瓊は立ち上がり、陽子に向かって立つ。
「私が芳を出る折には、まだ恵州侯だったけど…今は国主の座におつきではないかしら。伝え聞く話では、芳は空位にしてはよく持ちこたえているとか。それは、月渓が国主についたからこそだと思うの」
「そうか。では親書は国主に当てたほうがいいだろうな。州候に当てたのであっては、失礼にあたるだろうから」
そう言って、陽子は桓タイに向かう。
「芳の国主である恵州侯にお目通りし、慶国女史からの書状を確かにお渡しせよ」
「かしこまりました」
一礼をして言う桓タイに、陽子は言う。
「ついでに数名を引き連れて、芳の実状を検分してきてくれないか。恵州侯が空位の朝をどうやって支えているのか、学んできてもらいたい」
「はい」
書状を受け取って、出て行こうとする桓タイを、が慌てて止めた。
「まだ、親書が」
あ、と言って桓タイは足を止める。
「一番の問題だな」
人事のように言う主に対し、天官長が詰め寄る。
「草案を出しますから、字の練習をさないませ」
それから、とは付け加える。
「手本は…どうしようかしら」
そう言って祥瓊を見るが、さすがに自分のための親書である。
手本を自ら書くと言うのは憚られるだろう。
「仕方ありませんね。良い手本ではありませんが…ひとまず私が書きますわ」
祥瓊は親書のための紙を捜しに行き、その間に手本を作る。
陽子はそれを見て、苦労しながら練習をしていた。
ふと、何かに気がついたように顔を上げる。
「って、本当に日本人?」
「ええ。何か?」
「いや…綺麗な文字だなと思って」
「まだ祥瓊ほど綺麗には書けませんわ。これでもましになったほうですが、最初は度し難い物で、滲むわ、切れるわ、整わないわで、とても字と読めるものでは、ございませんでした。あの頃の私と比べれば、主上の方がまだ綺麗にお書きですよ」
「じゃあ私も二十年経てば、みたいに書けるようになるかな?」
「二十年も経てば、私よりは綺麗に書けますでしょう。でも、私も練習いたしますから、簡単には負けませんわよ」
「に字を教えたのは、やっぱり浩瀚か?」
そう聞かれて、は小さく否定した。
「違うのか…てっきり浩瀚だと思っていたんだが。じゃあ、に字を教えた人に習おうかな」
「太師がおられるではないですか。それに字を習うのなら祥瓊が適役ですわ。さ、お喋りをしてないで、続きをなさいませ」
言われて素直に返事をした陽子は、再び紙と格闘を始めた。
こちらを見ているであろう、桓タイの方を見ないようにしながら、は陽子と紙面を見ていた。
しばらくすると、祥瓊が紙を持って戻ってきて、陽子は苦労しながら親書を仕上げる。
「出発は明日にすれば良い。まだ鈴にも言ってないし」
筆を強く握りすぎたのか、手を振りながら陽子は言う。
そこへ偶然にも、虎嘯と鈴が入ってくる。
「いいタイミングだな」
以外の者が首を傾げるように陽子を見、それを受けて陽子はを見た。
二人で噴出して、なんでもないと言う。
「で、どうだった?夕暉は元気にしてたか?」
まだ笑ったままの陽子が問えば、鈴は「うん」と返事をした。
「夕暉にね、お饅頭を買って行ったの。それを虎嘯ったら、どこかに忘れてきたのよ。夕暉が呆れていたわ」
そうか、と呟いて陽子は笑う。
「ところで、虎嘯に話があったんだ。今朝、遠甫と相談したんだが」
そう言い置いて、陽子は言葉を繋ぐ。
「大僕に、太師を預ってもらいたい。それに桂桂も」
「へ?」
「駄目だろうか?遠甫お一人では心許ないと思って。桂桂も寂しいだろうし、虎嘯が預ってくれると助かるんだが…」
「い、いや。預るのはいいんだが…俺は殆ど官邸には戻らんし、太師を大僕の官邸に置くというのもなあ…」
「うん。だから、太師の官邸を太師府の裏に用意しようと思う。私もまだ色々と学ばねばならないのだし」
虎嘯は戸惑いながらも、嬉しそうに引き受けた。
それを見ながら、は鈴に明日、祥瓊が発つことを報告する。
その後、桓タイは芳へと伴う下官を選抜に、一人抜けた。
残った者は祥瓊を激励し、その日は遅くまで語りあった。
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