ドリーム小説
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榴醒伝説 =6=
夜中、は桓タイを訊ね、官邸へと赴いた。
桓タイはまだ帰ってなかったので、はぽつりと椅子に腰を下ろして待つ。
黙ったままじっとしていると普段の疲れからか、ふわふわと気持ちよくなってくる。
眠くなり出した眼を、必死に開けようと頑張ってみるが、気がつけば夢の世界へと旅立っていた。
が寝入ってしばらく、官邸の主が戻ってくる。
卓上に伏せ、寝入るを見つけ、しばし悩む。
近寄って顔を覗いて見ると、幸せそうな表情で、安らかな寝息を立てている。
「起こせないな…」
そう小さく言って、桓タイは薄い布をにかける。
椅子をの間近に引き寄せ、後ろ向きに座って寝顔を見ていた。
明日、旅立つのに対し、の事だけが心配だった。
虎嘯に見張るように頼んではいたが、虎嘯は常に陽子といる。
は太宰としての責務があるし、天官はまだまだ油断がならないし…そんな事を考えている内に、しらず溜め息が漏れる。
吐いた息がにかかり、髪がさらりと揺らぐ。
髪が戻って瞼にかかると、の瞳は静かに開かれた。
「桓タイ…?」
少しぼんやりとした後、目前に桓タイが居るのを確認し、
「おかえりなさい。連れて行く人はもう決ったの?」
と聞く。
「ああ。?眠いなら…」
「ううん、眠くない。しばらく逢えなくなるんだもの」
瞳を閉じそうになりながら、は桓タイに言う。
桓タイは苦笑しながら、から布を剥ぐ。
ひやり、と冷気が体に触れ、すっと目が覚める。
夜はまだ、これほどまでに寒いのかと、改めて思う。
軽く身震いをした所に、布を纏った桓タイに包まれる。
優しい腕に手を添え、は呟いた。
「温かい…」
しばし、そのままでいたが、はすっと立ち上がる。
「お茶でも入れましょうか」
「温まりたいのなら、酒でも飲むか?」
そう聞かれて、は少し考える。
「では、明日に差しさわりのない程度に。ああ、月を見ながら飲むと言うのは?」
桓タイが頷くのを待って、は軽くつまむ物を作る。
その間、桓タイは酒を用意する。
庭院へと向かい、並んで座る。
肌寒い気候のためか、知らず体を寄せ合いながら、杯を酌み交わした。
は杯に一口寄せ、桓タイを見る。
桓タイは杯を煽り、すぐに空にしていた。
空にはまだ欠けた月が浮かび、は桓タイから月に視線を移す。
「ねえ、桓タイ」
呼ばれた桓タイはを見る。
月の薄明かりの中、の表情は読み取りにくい。
「供王は…どのような方なのかしら」
「在位が九十年ほどで、まだ子童の時に登極した、としか…」
「そうよね…きっと大丈夫よね。祥瓊はきっと、戻ってくるわよね」
月から杯に視線を戻したは、じっと中を見つめている。
「九十年も一国を支えてきたお人なのだから、人道に悖るような事はなされないとは思うが…」
「そうよね…」
「恭には、地官長に行ってもらう事になった。大司徒は明日、俺の後に慶を発つ。祥瓊には一日遅れて向かってもらう。親書が先につかなければ意味がないし、先に様子を見に行ってもらったほうが良いだろう」
「ええ。そうね」
は再び上を向く。
「月が…」
次の言葉を待っていた桓タイは、何も言わないの顔を見る。
「あの月が…すべて満ちたころ、桓タイは芳かしら」
桓タイもまた、空を仰ぐ。
「ああ、そうだな」
「その頃、祥瓊は…」
それ以上は言えなかった。
恐ろしくて、想像するのも憚られる。
見上げた空には、月が冷たく微笑んでいた。
肩に桓タイの手がかかり、すっと引き寄せられる。
「信じて待つより…ないだろうな」
「ええ」
桓タイの肩に頭を預け、月から眼を逸らす。
「が祥瓊を心配するように、俺もが心配なんだが…」
「私?」
「変な男に近付かないようにな」
宮中に変な男など、と言いかけたが、それを飲み込んだ。
かわりに頷いて、気をつけます、と言う。
「しばらくは、主上に付きっきりだろうし、虎嘯や鈴もいるから大丈夫よ」
「うん。それならいいんだが」
桓タイはまだ何かと言おうとしていたが、それ以上は何も言わず、ただ月を眺めていた。
「そう言えば…」
しばらくして、桓タイは口を開く。
「文字を褒められていたな」
肩に乗せていた頭を持ち上げて、は桓タイを見る。
「ええ。桓タイに教えてもらったなんて、恥ずかしくて言えなかったわ」
「どうして恥ずかしいんだ?」
「それは…その…。手を添えて教えてくれた時の事を、思い出していたんだもの」
頬を染めて言うが愛しく、空いた杯を置いて、桓タイはそっと頭を撫でる。
「そうか。俺もだ」
榴醒の石がまだ荒削りで、慶は空位だった。
は体中傷だらけで、養生しながら常識や国政を学んでいた。
まだ、仙籍に入っておらず、桓タイとしか話す事ができない。
筆をとるの手に、添えられた自らの手。
何枚も書かれた『青辛』の文字。
「そうか…」
何かに気がついたように、桓タイは手を止める。
一人苦笑して、なるほど、と頷く。
「どうかしたの?」
不思議そうに見上げてくるに、桓タイは再び眼を向けて言った。
「俺は、に半獣だと知られたくなかった。それが、何でそんなに強く思っていたのか、今判った」
「聞かせてもらえるのかしら?十年以上も避ける原因となったそれを」
は笑いながら、杯に酒を注ぐ。
それを受け取りながら、決り悪そうに笑った桓タイは語り始める。
「あの時、に何を教えればいいのか、向こうにあって、こちらにない物を聞きながら、思いつく限りの事を話していたんだ。ない物はたくさんあったな。妖魔に妖獣、半獣もなければ海客もない。身分の違いもないようだったし、驚く事はたくさんあった。流されたが、どんな目にあってきたのか、それを思うと半獣だとは言えなかったな。まあ、あえて言うこともしないんだが…」
そう言いながら、桓タイは杯を干す。
あの頃は半獣に対して、冷たい時代であった。
はそう考えながら、杯を満たすために、酒に手を伸ばしながら続きを聞いた。
「蠱雕に麦州まで運ばれて、褐狙に襲われかけていた。は褐狙を狼に似ていたと言う。それならば、蓬莱にも狼は居るのだと思った。それならば、熊も居るのではないかと。狼や熊が蓬莱にいて、妖魔の褐狙を見たのなら、俺が熊に戻るのを見れば、妖魔だと思うのかもしれない。恐ろしい目に遭ったのを、思い出してしまうかもしれない。もし、に恐怖の眼差しを向けられたら…そう思うと気が狂いそうだった。知らないままで済むのなら、と…そう思っていた」
告がれた杯を飲み干し、桓タイは話を終える。
は自らの杯に酒を注ぎ、桓タイに習って飲み干す。
杯をことりと置き、桓タイに向かう。
おもむろに頬に手を伸ばし、ぎゅっと引っ張った。
「いでで!」
「大莫迦者」
頬から手を放したは、桓タイに悪態をついた。
「大莫迦者って…お前」
唖然としながら、じんじんとする頬をさする桓タイに、は追い討ちをかけるように言う。
「もっと、自信を持っても良かったのに…桓タイが臆病だったせいで、幾晩泣いたと思っているのよ!どうしてもっと詳しく聞きださなかったの?蓬莱の狼は褐狙ほど大きくはないし、色だってあんな毒々しくないわ!熊だって人形になるくらい愛されているし…」
ぽろぽろと涙が零れだして、は一時、声を出せなくなった。
いつもより感情的なのは、酒のせいだろうか?
「せつないくらい、悩んだんだから…桓タイを忘れようとして、言い寄って来た人に了解を…」
「出したのか!?」
涙を拭こうと手を伸ばしかけた桓タイは、思い余って草地に手を着いた。
焦ったように聞かれ、今度は片手で頬を摘む。
「最後まで聞きなさい。了解を出しかけた事もあったの。でも、どうやっても桓タイが離れない。解決したくて、桓タイを探しては声をかけるけど、逃げられてしまうし…思いを告げる事さえ、許してはくれなかった…」
大粒の涙を、惜しげもなく流したは、再び酒を煽る。
顔がかなり紅い。
考えてみれば酒を嗜むような所を、桓タイは見た事がなかったように思う。
(これは、失敗したかな)
そう思っていると突然、は立ち上がる。
「桓タイ、立って」
逆らうなと言う心の警告に従って、桓タイは立ち上がる。
「熊の桓タイが見たい」
「こ、ここでか?」
「ここで。今すぐ」
強く言い放ったは、怒っているとも、泣いているともつかない表情だった。
やや諦めの心境で、に後ろを向かせる。
「なったぞ」
ぱっと振り向いたの顔は、満面の笑みを湛えている。
熊になった桓タイの瞳を覗き込んだは、すぐ横に移動し、太い首に両腕を廻して顔を埋める。
「あったかい…桓タイの全てが好きよ」
及ぶ限りの力で抱きついているに、桓タイはただされるがままになっていた。
ややして力は弱まったが、それでもしがみついて離れない。
首を動かせないでいる桓タイは、目だけを後ろに向けてみるが、足元しか見えない。
淡紅色の薊(あざみ)と、同じ色の襦裙の裾。
「いつまでそうしてるんだ?」
「…朝まで」
さわり、と風が揺らぎ、足元の薊がゆれる。
「ひょっとして、寂しいのか?」
「…」
「素直に言え」
「…」
「?」
「…」
返事がないのを不審に思い、聞き耳を立ててみると、安らかな寝息が聞こえる。
苦笑しながら、そっとを降ろす。
力を失った腕はするりと抜け、草地に気持ち良さそうに横たわっている。
桓タイは人型に戻り、服を着る。
起こさないようにを抱え、臥室へと向かう。
牀に静かに横たわらせ、その寝顔を見ていた。
まだうっすらと頬が紅い。
ふと、一点に眼を留めた桓タイは、笑って手を伸ばす。
「春めく色の薊人(あざみびと)…か」
髪に一枚だけついてきた薊の花をとり、小卓に置く。
とさり、と隣に並び、落ちかけた布を引き上げる。
首の後ろに腕を入れると、ころりと向きを変える。
の手が伸びてきて、桓タイの胸元を掴んだ。
その体ごと引き寄せて、しっかりと包み込んだ後、桓タイは瞳を閉じる。
次にこの腕に抱けるのは、幾日後だろうかと考えながら。
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