ドリーム小説
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夜半過ぎ、はうなされて目が覚めた。体中が暑く、傷口が疼くように傷む。
「頑張れ」
小さく囁かれた声に、瞳を開けるが、視界がぼやけて何も見えない。
これはもう、駄目なんだろうか。
そう思って再び瞳を閉じた。
首の後ろに手が回るような感覚がして、ゆっくりと頭が持ち上がる。
頭を逸らされて、何かを口にいれようとしているのは判るのだが、口が開かない。
体中の、力という力が抜けてしまっているのだ。
しばらく逡巡したような気配のあと、柔らかい感触が唇に触れ、同時に冷たい物が流れる。それが喉を通過し、その後に固形の物が口中に入る。
冷たい空気を唇に感じたは、その固形物を飲み込もうとしたが、なかなか喉を通らない。息苦しさと戦いながら、なんとか飲み込もうと必死だった。
そうこうしているうちに、固形のものが少し柔らかくなった。
その矢先、再び柔らかい感触が唇を包み、冷たい水が流れ出す。固形のものが喉を通り、息苦しさから介抱されたは、知らず大きく息を吸った。
やがて落ちるようにして、意識を手放す。 まどろむ意識が覚醒する。
は天井の梁をぼんやりと眺め、ここは何処だろうかと考えた。
「目が覚めたか」
すぐ横で声がして、首を捻ろうとしたが、固まったように動かない。
しかたなしに、目だけを動かして横をみた。
「わたしが誰だか、覚えているか?」
「はい」
掠れてはいたが、聞き取れない程ではないその声に、は安堵した。
「ここは垂州の北西部だ。知古の舎館だから、何も心配はいらないが、ここでよかっただろうか」
静かにそう聞かれ、は驍宗を仰ぎ見た。
「はい」
そう言って体を起こそうと試みる。
「うっ…」
左に激痛が走り、再び褥に沈み込む。
「まだ無理をしてはいけない」
そう言われたが、もう一度試みる。
激痛に備えた精神力で、なんとか起き上がり、驍宗に向かった。
両手をつき、平伏する。
「危ない所を助けて頂いて、ありがとうございました」
黙ったまま何の気配も感じない。
しかし、すぐに動きはあった。
腹元を腕で押され、体を起こされる。
そのまま倒されて、再び横たわる形となった。
「そんな事のために、わざわざ起きずともよい」
「ですが…」
「何も気を使うな」
そう言われ、そのままの体勢では言う。
「ありがとう、ございま…」
最後は涙に呑まれて消えた。
「辛い思いをしたのだな…」
涙を拭った褐色の手は、額に当てられる。
「まだ熱がある。粥でも持って来させようか」
「いいえ…食欲がございません」
そうか、と言って驍宗は布を額に当てる。
冷たい感触に、少しぞくっとする。
「もし、言いたくないのなら、いいのだが…あの男は…」
は驍宗を見ずに、天井を眺めながら頷いた。
そして、経緯を語った。
「私は、藍州銘県の序学で、教師を務めておりました」
男は銘県の県正だと、は語った。
藍州銘県の県正。
その名を彙襄と言った。
言い寄ってくる彙襄を、なんとか両親に庇われて、今までその手を逃れてきた。
しかしある日、彙襄は変貌した。
人目も憚らず、を無理矢理攫って行こうとしたのだ。
を庇った両親を、男はあっさりと手にかけた。
それを止めに入った、序学の老師をも殺した。
の周りにある物、すべてを殺すかのような勢いに、は逃げ出した。
必死に逃げている内に、あの玉泉にまで迷い込んだという事だった。 「そうか…ならばとどめを刺しておくべきだったか」
驍宗の言に、は凍る思いがした。
遠く離れているとはいえ、もしも、と恐ろしい考えが浮かぶ。
「驍宗…さま。どうか、私を捨て置いてお逃げ下さい」
驍宗は怪訝そうな目をに向け、何故だと問うた。
「あの男は、とても尋常では御座いません。藍州師将軍でさえも、意に返さないような口ぶりを、何度も耳にしました。恐れ多くも、王師ですら、自分よりも劣ると…」
「わたしが彙襄よりも、弱いと」
将軍だと言った驍宗は、そうに問うた。
「い…いえ。そうではございません。恐らくあの場は、驍宗さまでなければ無理だったかと。ですが、あれは卑怯な男です。もしもの事があったら…」
「伏せている女を捨ててまで、逃げ出さぬとならないような事とはなんだ?」
「あなたさまの命です。将軍なのでしょう?でしたら、その下には7,500の麾下がおりましょう。その将軍を、私のせいで、危険な目にあわせる訳にはいきません」
「民を守るのは軍人の役目の一つだと思うのだが?」
「驍宗さまがどこの州将軍かは、存じ上げませんが…恐らくあの男は、藍州の将軍と精通しております」
そう言って脅されていたのだと、驍宗は感じ取った。
それを確認する術は持っていないだろう。
「大丈夫だ。剣には多少心得がある。手負いの女一人担いでも、負ける気はせん」
「ですが立場というものが…」
開きかけた口を、手で制した驍宗は静かに言った。
「もうよい。少し、寝るのだな」
額の布を取り、水を潜らす。
何度この作業をしたことか。
だが、一向に布の温度は下がらない。
あっと言う間に熱くなる。
まだ何か言いたそうにしているに、驍宗は微笑した。
「いずれにしろ、ここは垂州だ」
そう言われて、はそれを思い出した。
安心したのか、瞳が重くなってきて、それに抵抗する事が出来なかった。
夢の中へと旅立つ直前、耳元に微かに聞こえる声があった。
「わたしの麾下は12,500だ」 その日もはうなされた。またしても柔らかい感触と供に、冷たい水が喉を通ったのを感じる。
これは、昨日も感じた。
ぼんやりとそう思いながら、口からは熱い息が漏れるのを感じた。
額に冷たい感触がして、気持ちが軽くなる。
そして深い眠りに落ちていく。 次に目覚めたは、右手に冷気を感じた。
ふと見ると外に投げ出された手があり、その手を驍宗が握っているのを確認した。
冷たいと思ったのは手ではなく、僅かに外気に触れた腕の一部。
夢現の中伸ばした手を、握ってくれるものがあった事を思い出す。
手の先の人物を見ると、眠っているようだった。
座ったままで、寝ている。
どうしようかと思っていた矢先に、驍宗の紅い目が開かれる。
「あぁ、眠ってしまったようだな」
少し寝起き顔の驍宗は、いつも見せている鋭い眼差しが消えていた。
に目を留め、起きているのを確認した驍宗は、優しく手を解いた。
冷えないように、中に入れてくれる。
「あ、あの…ごめんなさい。握っててくれたんですね…」
赤くなって言うに、構わないと言った驍宗は少し笑っていた。
立ち上がった驍宗は一度房室から出て、しばらくして粥と供に帰ってきた。
「無理かもしれないが、少しでも食べておいたほうがいい」
驍宗の介助で起こされたは、粥を見つめた。
温かい粥を二口だけ食べて、は木匙を置いた。
「明日から数日、少しここを空けるが、構わないか?」
粥を戻した驍宗は、の横に座ってそう聞いた。
良いも悪いもない。
はもう充分よくしてもらっている。
熱も下がりそうだし、これ以上、手を煩わせるのは気が咎める。
そう思ったは頷いて言った。
「本当に、今までありがとうございました」
「様子を見に、また戻ってくる」
「はい…」
はいとは言っても、驍宗と再び会うことはないだろう。
身分も違うし、こんな身の上だ。
迷惑になる。
驍宗のお荷物になるのは、嫌だとは思っていた。
歩けるようになったら、すぐにでも出て行こう。
何もあてはないけれど…
出て行く驍宗の背を見送りながら、は一筋、涙を流す。
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