ドリーム小説
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金の太陽 銀の月 〜銀月編〜 =12= が典章殿に移り住むようになって、一ヶ月が過ぎようとしていた。
その日は、隆洽の街に降りていた。
この国の街をは港町しか知らず、時間ができたら降りてみようと思っていたのだった。
利広は朝から利達につかまってしまったので、一人で街を散策していた。
「港とは違って、とても大きな街なのね」
首都だから当然なのだが、は目を見張りながら歩いていた。
もちろんこの街から赤海は見えない。
街は昼下がりの忙しさを、の瞳に映し出す。
どこかのんびりした空気が漂っているのは、やはりこの国の気候によるものだろうか。
忙しなく辺りを見回しながら、行き交う人々に混じって街を進んでいると、すれ違いざまに一人の男とぶつかってしまった。
ぱちん、と耳の飾りが一つ外れた。
「いてえ!…」
肩が弾かれて、痛かったのは自分のほうなのにと思ったが、は慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい!」
男は右肩を押さえながら言った。
「いてえ…いてえなあ…肩が動かないじゃねえかよお」
にやにや笑いながら言う男に、は訝しげな表情を向ける。
「とりあえず、こっちに来いや」
路の端にを引いて行ったその腕は、痛いはずの右であった。
「お?なんだ、その目は?疑ってやがんのか?」
まじまじと右肩に目を向けながらも、は路の端に移動を終える。
「あ…いえ…」
否定はしたものの、は男の右肩から瞳を反らさずにいた。
「お前…久しぶりにむかつく目つきの女だな」
「…どうゆう意味でしょうか?」
「過去にお前みたいな女に、官府に突き出された事があってな」
「それは…あなたの品性の問題なのでは。このような事を繰り返していれば、当然のように思われますが」
「こんな事だあ?どんな事なのか教えてもらおうじゃねえか」
「わざとぶつかって来たのでしょう?右肩が動かないと言いながら、右手で私をここまで引いてきた…浅はかな行動だとは思わなかったのですか?」
「はあ?何を言ってやがる。お前を引いてきたのは、この左手でやったに決まってんだろうが!」
左手を出しながら言う男に、は深く息を吐いて言う。
「あなたのような人種は…何処の世にもいるのですね」
「何処の世にもだと?…お前、海客か?」
「…いいえ」
「ふん、そうかい」
男はそう言って、に一歩近寄った。
は警戒の色を強めて、一歩後退する。
じりじり寄ってくる男に対し、一定の距離を保とうと後退しながら、は男に問うた。
「何をするつもりなのです?」
「何もしねえよ」
にやりと笑った男の顔に、焦りを覚え始めたは辺りを見渡す。
いつの間にか串風路に追い込まれており、往来からは離れていた。
だが、まだ叫べば気がついてもらえる距離だった。
は助けを呼ぼうと口を開く。
その瞬間、男は一気に距離をつめて目前に迫っていた。
「甘いんだよ」
男がそう言った直後、腹を大きな衝撃が襲う。
じゃら、と連珠の音がする。
「あ…」
霞む視界の中でせせら笑う男を見たが、は何も出来ずにその場に沈んでしまった。
どれほど経過しただろうか、薄く意識が覚醒される。
横たわったまま開かれたの視界には、薄暗い場所が映し出されていた。
高めにつけられた窓からは、僅かな光が差し込んでいる。
その明るさから、夜である事を知った。
「これは…」
両手を後で拘束されている。
辺りに人の気配はなかった。
は身を起こして辺りを見回し、そこが厩舎であることを知る。
しかし何の気配もなく、辺りは静寂に包まれていた。
不安がどんどん膨らみ始めたが、立ち上がって戸口を探す。
一カ所にだけ扉があり、はそこへ向かって歩く。
後ろ向きになって扉に手をかけるが、びくともしなかった。
「思った通りだけど…どうすればいいのかしら」
今度は窓の方へと移動し、覗き込むようにして背伸びをした。
「駄目…届かないわ」
それでもなんとか外を見ようと跳ねたは、均衡を崩して積まれた藁の上に倒れる。
がさっと大きな音と供に、尻餅をついてしまった。
すると戸口の方から人の気配が近づき、閂が開くような音が聞こえる。
重々しく扉が開き、肩をぶつけた男が中に入って来た。
「目が覚めたようだな。へへ…。気を失ったままじゃあ、面白くねえからな」
「何…?何の話をしているの…」
男は後手で扉を閉め、の目前に歩み寄る。
「さてなあ」
にやにや笑いながら近づく男に、は尻餅を着いたまま後退する。
「あ、あなたは…」
「俺は元々海客や荒民を売りさばいて、生計を立てていたのさ。まあ、十年ほど前に邪魔が入って、しばらく罪人扱いされていたがなあ」
「罪人扱いって…罪人でしょう…人を売りさばくなんて、何処の国でも認められていないわ」
がそう言うと、男は小刀を出してちらつかせ、さも面白いと言った調子で言った。
「それがなあ、何処の国でも買う奴がいるから困ったもんだな。この国は豊かだから、荒民が押し寄せて大変だろう?それを俺が助けてやってるんだ。感謝してもらいたいぐらいだぜ」
「あなた…自分の言っていることが分かっているの?」
「もちろん分かっているさ。まあ、お前も売り払う予定だがな、その前に楽しんでもいいだろう?」
「良いはずないでしょう!私に触ってごらんなさい。この場で自害しますから」
「へえ、出来るもんならやってみな!」
男はそう言うと、一気にに襲いかかる。
口をこじ開けられ、布を詰め込むと、乱暴に襦裙を切り裂いた。
声に鳴らない小さな叫びが出るが、厩舎に木霊する事はなく、藁の擦れるような音によってかき消された。
出来うる限り抗うも、押さえつけられる力は男の方が数倍も強く、体を捩ることさえ難しい。
それでも抵抗を続けるに、男の嬉しそうな声が降る。
「もっと嫌がれよ。そうだ、へへへ…」
押さえつけたまま上から眺める男。
足に力を入れて上に逃げようとした。
しかしあっさりと引き戻され、きらりと光る小刀が目に入り込む。
躊躇うことなく振り下ろされた小刀は、襦裙と一緒に肌をも切り刻む。
痛みと恐怖が心を支配し始めた頃、扉が乱暴に開かれる音を聞いた。
驚いた男が振り返るよりも早く、何かが男の体を斬りつけ、の上から取り除かれる。
次いで口に詰まった布が外され、はそこに利広の姿を見た。
「り…利…」
その名を呼ぼうにも、声が上手く出てこない。
「遅くなった…すまない」
利広はそう言うと、に背を向けて男を見る。
しかし最初の一撃で、男はすでに意識を失っていた。
背中が大きく割れて、鮮血が辺りを染めている。
利広は上に着ていた物を脱ぎ、に被せると体ごと抱え上げ、そのまま厩舎を出る。
まっすぐ国府のほうへ向かう利広に、かろうじて出たの声。
「り…あの人…あのまま…」
「大丈夫だよ。たいした傷じゃない。尤も、死んでしまっても構わないけどね…」
前半の口調は優しかったが、後半は表情共々、厳しいものだった。
「だ…けど…」
「大丈夫。すぐに夏官の手配をするからね。先にの傷を見ないと…」
そう言われてようやく、胸元が疼くように痛む事を思い出した。
じくじくと痛む傷に、はもう何も言うことなく、瞳を閉じて耐える。
騎獣に跨った利広は真っ直ぐ宮城へと登り、すぐに瘍医を呼びに行った。
利広が離れた隙に、は胸元を捲って傷を見る。
胸に三本の傷があった。
一番上が深く、今も血が流れている。
よく見ると襦裙は殆ど残っておらず、先ほどの情景を思い出したは、すっと意識が遠のいていくのを感じていた。
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