ドリーム小説
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金の太陽 銀の月 〜銀月編〜 =14= 翌日、利広と供に県城に向かった。
官府では待ち受けていた、馴染みの者が出迎えていた。
「こちらは国府の…冬官の方なのです」
適当に言ったは、利広と目配せをしてくすりと笑う。
あっさりと納得され、二人は奥に通された。
その間、範で蝕があったと説明を受ける。
「やはり、蝕があったのですね…」
「ええ。人里離れた場所で起こり、さほど被害は出ていないようですが」
「そうですか…」
説明が終わった頃、いつもが居た房室に通され、少し待つように言われる。
まだ一ヶ月ほどしか離れていないと言うのに、その房室は懐かしい思いをに与えている。
軽く房室を一周したは、五星紅旗の前で立ち止まる。
五星紅旗は壁に貼り付けられており、高い位置にあった為に見上げねばならなかった。
見上げていたは、ふと鈍色の空を思い出す。
「蝕…。あの時も…」
崑崙…中国は北京の暗空が、五星紅旗の背後に見えていた。
流される直前の事を思い出していると、房室に誰かが入ってくる。
「国府から遙々お越しいただき、恐悦至極にございます」
礼を取って入ってくる男は、も知った人物であった。
背後にいる男もまた、には馴染みの人物である。
「あ…お久しぶりでございます。どうかそのまま、楽になさって下さいませ。国府に上がったと言っても、身分の低い位置におりますれば…」
に被せるように男は言った。
「いいえ。わたくしどもから比べれば…」
今度はが被せるように言う。
「慣れないので、止めていただけますか。お元気でしたか?」
男は少し笑って頷き、利広に礼を取ってからに向かう。
「早速で申し訳ないが、こちらを」
背後に控えた男から、瓶が手渡される。
瓶は傷だらけだったが、亀裂はなく水も入っていない。
はその中に入った紙を取り出し、瓶を脇に抱えてそれを広げた。
「蓬莱の文字ですわ。よかっ…」
そう言ったきり、は紙に釘づけられたように見入っている。
利広も男達も、長い間待ってそれを見ていた。
しかし、背後に控えていた者がついにはしびれをきらし、に問いかける。
「あの…どうかなさいましたか?」
「あ…い、いえ…。これは…手紙です。個人に宛てた物で…蓬莱や崑崙の何をさすものでも…役に立つ物でもございません」
「そうでしたか。わざわざご足労頂いたのに、申し訳ございません」
男はそう言ったが、利広は口を挟んでに問う。
「何に驚いていたんだい?」
は利広を見ずに、未だ紙を見つめていた。
「これが…この手紙が、私に宛てられた物だからです」
そう言うと、は男に顔を向けて言う。
「こちらを、いただいてもよろしいでしょうか…」
「え…あ、あの…」
戸惑う男に、は泣きそうな顔を見せて言った。
「これは、私の家族が…私に宛てた手紙です。偶然にもこの国に流れ着いたのですね…」
手紙を胸元に抱え込んだは、はらはらと落ち始めた涙をそっと袖で拭う。
「個人的な物なら、こちらに保管していても意味のない事。どうぞ、お持ち下さい」
「ありがとう…ございます…」
瓶をことりと卓上に置いたは、そのまま官府から退出する。
利広が後を追って来ていることも、気がつかずに歩いていた。
官府を出たは、真っ直ぐに港へ向かう。
赤海が広がり初めた頃、何かに気がついて足を止めた。
慌てて振り返ったの視界に、苦笑した利広の姿が映る。
「利広…ごめんなさい…置いてきてしまったのかと…」
「構わないよ。海を見に行くんだろう?」
利広はそう言うとの隣に並び、軽く背を押して歩き出す。
赤海の広がる場所…いつも利広と話しをしていた場所まで、無意識のうちに足を進めていたは、いつも座っていた辺りに腰を下ろし、再度紙を広げる。
横に利広が座ったのを感じ、紙を利広に差し出した。
そこには、利広の見知らぬ文字が書かれていた。
ごく希に読める字もあったが、内容はさっぱり分からない。
問いかけようとした利広の視線は、伸びてきたの指を追い、紙の上部へと移された。
「これ…私の名前なの。へ…って…書いてあるの」
の指は、その下に移動する。
「五星紅旗の下で消えてしまった、私の最愛の娘。世の中には、不思議な事があるものです…。人が消える事があるのなら、この手紙もまた消える事があるかもしれないと思い、こうして瓶に詰めて流しています。もう、七度目でしょうか。最初は五星紅旗の近くに置いて、そのまま帰りました。次は中国の川に流し、海に流し…日本の海にも、何度か流しました」
の指は、紙の中程を進む。
「人に言うと笑われてしまう事かも知れませんが、私はそれを止めることが出来ない。何処か私には行けない場所で、生きていると未だ信じているのですから…。あの日、辺りは雷が落ちて、数人が怪我をしました。私も服がボロボロになるほどだったのです。逃げまどう人々の群れに押されたせいか、アクセサリーも気がつけば無くしていて、何よりも一番大切な娘まで失ってしまった…」
の声はくぐもってきたが、指はさらに下降する。
「その後、天安門には幾度も足を運びましたが、無くした物は何一つ戻ってきませんでした。だけど…私は信じています。が何処かで生きていると…信じているのです。いつも幸せを願っております。他に出来ることはないけれど、何処かで生きている、の幸せを願っています。母より…」
の指は文字の最後で止まり、静かに引かれて行った。
「お母さんは…死んでいなかった…」
肩を震わせて泣くに、そっと腕を伸ばした利広は何も言えず、ただその様子を見守っていた。
陽が傾き初めてもなお止まらぬ涙に、は何度も謝る。
「いいから…好きなだけ、泣いてもいいから…」
あやすように動く利広の腕が、を包んで涙を誘う。
利広に体を預けたまま泣き続けたは、辺りが暗くなってようやく顔を起こした。
「ごめんなさい…」
利広は笑ってそれに答え、再度を包む。
何も言わない利広の優しさが嬉しかった。
その後、二人は舎館へと戻り眠りについた。
翌日、宮城へと戻るため、二人は空行する。
の瞳は赤海に向けられ、見えなくなるまでずっとそれを追っていた。
港から帰ってきた二人を、典章殿で迎えたのは宗麟だった。
昭彰は泣きはらした様子のに、心配そうに寄ってきて問いかける。
「何があったのですか?」
説明しようとしたは、再び溢れ出す涙に言葉が詰まり、利広が簡単に説明をした。
昭彰は痛ましくそれを聞き、の肩に手を置いた。
利広がを促し、そのまま自室へと向かう。
再び溢れた涙を止めようと、は手を握って気を紛らわそうとした。
しかしその日は夕餉を取らず、は一人で過ごしたいと言って自室に籠もってしまった。
夕餉の席では利広が説明をする。
「可哀想…」
文姫の声に頷く面々。
しばらくすると、明嬉がぽつりと言う。
「死んでいた人が生きていると知ったら、本来なら嬉しい事なのだけど…会いたいと思うだろうねえ。それにその内容では、心配にもなるだろうし…」
「そうですね…」
利達がちらりと横を見る。
その視線を受けた隣の人物…海客のは静かに言う。
「会いたくとも、会うことは出来ない。でも…」
利広に向けられた顔は、柔らかく微笑む。
「支えとなってくれる人がいるなら…乗り越える事が出来るのではないかしら?時間もかかってしまうけれど、それをしなければ、彼女はずっと暗闇に閉ざされてしまうもの」
「姉さんにとって、兄さんがそうだったように?」
利広がそう言うと、は少し頬を染めて言う。
「そうよ。だから利広、すぐに行ってあげなさい」
軽く睨んだ姉は、利達に目を向けて笑う。
安心したような利達が、それに答えていた。
利広はそれを見ながら立ち上がり、果物を手にとって言う。
「何も食べようとしないから、持っていくよ」
「ちゃんと剥いて食べるんだよ」
明嬉の言葉に苦笑しながら、利広は夕餉の席を離れた。
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