ドリーム小説
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金の太陽 銀の月 〜銀月編〜 =15= は窓を開けて雲海を眺めていた。
広がる景色の何処を捉えるでもなく、ただ波の音を聞いている。
灯りの点されていないその房室に、利広が入ってきた事にも気がつかないで。
「…」
背後からかかる声に振り返ったの表情は、背後の月灯りのせいで伺えない。
「何か食べないと」
「…ありがとう。でも、今はいいわ」
「そう…ここに、居てもいいかな?」
「…ええ」
は立ち上がって房室の中央へ進む。
同じように進んできた利広の体に腕を伸ばし、力を入れて抱きつく。
「…?」
「ごめんなさい…大丈夫よ」
「無理をしなくてもいい」
「うん…でも、本当に大丈夫だから…」
消えそうな声で言うは、存在までもが危うい気にさせる。
蝕が浚ってきた山客は、何もない所で消えようとしているのではないかと、そんな気にさせる。
「浚わせない…」
「利広…?」
「月がを浚っていきそうだ。月の光は…蓬莱への道を開く…」
「え…?」
過去に教わった事が、急激に思い出された。
しかし、人に呉剛門を開く事は出来ないといった事も、同時に思い出された。
神獣ですら月の呪力を使うと。
だからこそ、ここにはもう一人の蓬莱人がいるのだ。
「利広…ごめんなさい。心配ばかりかけて…ごめんなさい」
「…」
何処にも行かないと、は言わない。
母の遺品と口にしなかったように…その心情を読みとるのは、簡単な事だった。
蓬莱に戻りたいと思う気持ちが、大きくなってを支配している。
これまで以上に…
「わたしの存在など…」
取るに足らないと思った。
最後まで言うことはなかったが、この世界に繋ぎ止めるにはあまりにも頼りない。
利広はを欲しているが、今のに必要な存在は利広ではないのだろう、母の存在がなによりも大きいのだから。
月の光は、太陽が昇ると消えてしまう。
にとっての太陽は母だ。
それなら、利広が隣にあっても気がつきはしまい。
今、太陽は隠されている。
は決してそれを見ることが出来ない。
だが、人は強く夜明けを望むもの。
「」
利広はを強く抱きしめる。
この手から逃れてしまわないように、しっかりと包み込んだ。
冷たい月が、ただ黙ってそれを見ていた。
翌日、は一人で露台に座っていた。
雲海から目を離すことが出来なくなったのか、じっと遠くを見つめている。
誰も声をかけるのを躊躇われる空気を漂わせ、寂寥の面持ちは陽が暮れるまで変わることはなかった。
夕餉の席では普段通りに振る舞っていたが、誰もがの心情に気がついている。
何も言えぬ事柄に、どこか張りつめた空気のようなものが漂っており、早々に自室へと戻ってしまったを、追う事は出来なかった。
そしてそのまま数日が過ぎた。
このままではいけないと、自ら気を紛らわせるために隆洽の街に降りて行った。
もちろん利広も同行し、二人は喧噪の漂うまっただ中を歩く。
会話もなく、ただ歩き続ける。
しばらくして、口を割ったのはの方だった。
「あの日…ゆっくり見ることが出来なかったのだけど…隆洽はやはり首都ね。港町とは随分違うわ」
は利広に笑顔を向けて言った。
その笑顔の中には、寂寥の気配が見え隠れしている。
しかし利広はそれに気がつかないふりをして答えた。
「そうだね。あの港町も、わたしは好きだけどなあ」
「どういった所が好きなの」
「が居たから。何度も探したよ。舎館から始まって民居まで。それに、何度も一緒に歩いたからね。思い出深い分、とても好きになったよ」
利広はを見て微笑み、それを受けて俯く赤い頬に視線を移した。
数日ぶりに戻ってきた軽やかな空気に、ほっと胸を撫で下ろした利広は、立ち止まったに危うくぶつかりそうになっていた。
「…っと。?」
立ち止まったの視線を追っていくと、泣いている少女が居た。
「迷子…かしら?」
「さあ、どうだろう」
利広は首を傾げながらも、少女の方へと向かって行った。
続いても少女に近寄る。
その少女の身なりは、あまり良いとは言えなかった。
「君、どうしたの?」
膝を折って少女の目線に合わせた利広は、優しく問いかける。
しかし少女は泣きやむどころか、ますます声を荒げて泣き出した。
「ねえ、お母さんはどうしたの?」
がそう問えば、少女ははっと顔を上げる。
を見つめていた瞳が、再び手で覆われてしまった。
「迷子のようだね…」
利広はそう言ってを見上げる。
「探してあげましょう」
「お母さん…どこ?お母さん…」
少女の声に、の瞳が揺れる。
山の中腹になんとか立ち、黒海に向かって母を呼んだ自分の姿が重なったのだ。
「大丈夫よ…お母さん、きっと探しているわ。だから一緒に行こう。ね?」
泣いた少女につられて、も泣きそうな表情で答える。
少女はこくりと頷き、の手を取って歩き出した。
「お母さんとはぐれたのは、こっちでいいのかな?」
「うん…お母さん…」
少女の手を引くの後について、利広はそれを眺めていた。
しばらく歩くと、前方から慌てた様子で走り寄る女が見える。
名を呼びながらこちらに向かっており、その瞳は涙をいっぱいに蓄えていた。
「お…お母さん!」
少女はの手を振り解き、女の方へと駆け出す。
その離された手が、自分の事のように思いながら、利広はの横に立った。
「あ、ありがとうございます!本当に…ありがとうございます!心配したのよ…はぐれてしまって…」
女の身なりを見る限り、荒民のようだった。
今一番多く流れて来ている、慶の民だろうか。
しかし何も問うことはせず、二人は親子の前から離れていった。
親子の前から離れてしばらく、はぽつりと利広に言う。
「よかったわね、見つかって」
「そう…だね」
苦しい返答だったかもしれない。
だが、今の利広にはそれが精一杯だった。
「あんなに小さい子が…荒民でいるなんて辛いでしょうね。国が荒れるって、私にはまだよく分からないけど…国を捨ててでも、逃げるほどのことなのだと思うと、心が痛い…やっぱり慶は酷いの?」
隣の利広に目を向けたは、そう問いかけて返答を待った。
「…酷いね。前の王が女の国外追放を命じてね。そのせいで慶からの荒民は女と子童が多い。家族で国を出る人もいるけど…なかなか難しいようだね。慶は波乱の国だ。ここ最近、ちっとも落ち着かない。治世の短い王が続いているから、妖魔の数も尋常じゃない」
「そこまで知っておきながら、どうして慶に行ったの?利広が妖魔に遭遇して、手傷を負うのだから、囲まれるほどだったのでしょう?」
「まあ、ね。行ったから、ここまで分かったんだけどね」
誤魔化すように言った利広に、は悲しそうな表情で言う。
「まだ、内乱が続いているのかしら?」
「そのようだけどね。せめてもの救いは、麒麟が生きている事くらいか…」
「麒麟が生きている?ああ、そうね…えっと、禅譲だったかしら?」
「そう。前王が自ら位を退いた。だから新しい王が起っても、おかしくはないんだけどね。どうして内乱になっているのかなあ…?」
空を見つめながら言う利広の袖を、くっと引く感触がする。
利広が袖に目を向けると、の手がしっかりと掴んでいるのが見える。
「今、慶に行くと利広が言ったら、私は心配で夜も眠れなくなるわ…毎晩泣いて帰りを待つなんて…嫌よ?」
真剣に言うに、利広は微笑みかけて言った。
「泣かせたくないから、慶に行くのは自重しようかな。落ち着いた頃、一緒に行ってみるかい?」
「ええ。青海を一度見てみたい。蓬莱と同じ色なのかしら…」
「どうだろうか…それはわたしには分からないけど…」
「そう、よね…蓬莱の海も、わりと青いのよ」
「そうか…なら、似ているかもしれないな」
二人はその後、言葉を交わすことなく帰途についた。
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