着替えて出ると、はきちんと座して待っていた。「おはようございます」改めて言われた利広は、少し驚きながらも返す。「おはよう。…先にここを出ようか…」「はい」丁寧に言って、は立ち上がる。荷物も何もない彼女は、身一つで何処にでもいけるという事を忘れており、出ようと言いだした利広は慌てて自分の荷物を取りにいった。舎館を出て、外で昼を兼ねた朝餉を取った二人は、街から出て少し歩く。しばらくして騎乗し、利広はを引き上げながら問うた。「空に上がるけど、大丈夫かな?」「は、はい」心なしか緊張した声が返ってくる。「では奏へ向かおう」 空を駆ける白と黒の獣。は未だ不思議でならなかった。翼もないのに、どうやって飛んでいるのだろう。それに海の色もおかしい。黒かったはずの海の奥に、明らかに違う色の海が見えていた。「今度の海は…白い?」「そう。あれは白海と言う」「白海…」海の色までもが、に異世界にいるという事実を、教えているようだった。ただ眺めることしか出来ず、は無言のままであった。小さな街で地に降りた頃、空は赤銅色を濃くしていた。白海を見て絶句して以来、の口は開かれていない。利広は街に入るとすぐに舎館を探し、騎獣を預ける。「わたしは少し街を歩いてくるよ。はどうする?ここで待っていてもいいけど」はどうしようかと一瞬考えたが、すぐに首を横に振って、着いていくと言った。一人で舎館にいるのは不安だったのだ。二人は赤く染まる街並みを歩き始めた。「ここは恭の南の方だよ。明日には次の国、範へと抜ける」利広は恭の説明をしながら、と街を散策し、は黙ったまま頷いて、それを聞いていた。やがて陽も暮れた頃、二人は舎館に戻る。夕餉の後も少しこの世界について触れ、その後は分かれて臥室に入った。 翌日、昼前に舎館を出た二人は、再び空にいた。長い山脈が眼下に広がり、これが国境なのだと教えられる。「では、ここはもう範と言う国ですか?範…範…範西国?」「そう。世界の西に位置する、四大国、範」利広は恭の時のような大きさの街で降り、すぐに舎館を探し始めた。は何も言わず後についていき、ただ利広の行動を観察していた。手頃な舎館を見つけたのか、利広は舎館に入っていく。後について入ったは、何やらやりとりしている様子の利広に気がついた。しかし、あまり聞こえてこない上に、舎館の者の言葉は理解出来なかった。しばらくすると、利広はため息混じりに戻ってきてに言った。「今日は空きがないらしくて…まあ、後でいいか」そう言って利広はを促し、舎館の外に出た。 遅い昼餉を取るために飯堂に立ち寄った二人。その後も利広は街をくまなく歩き、何かを観察しているようだった。かと言って、観光のようには見えない。何かを見極め、見聞しているようなその行動に、不思議に思いながらも後をついて回った。しばらく観察していると、国の様子を見ているのだと気がついた。夕刻までを散策に費やし、利広は舎館へと向かう。「何か成果がありましたか?」「成果?どうして?」「え…いえ。なんでも…なんでもないです」「そう…」西日の入る窓を開け、利広は外を眺めていた。何気ないその行動もまた、観察しているように見える。ただぼんやり眺めるのではなく、様々な場所に視線が動く。飯堂に居るときも、隣人の話を聞いていたようだったし、何かを調べているようにしか見えない。やがて頷いた利広に、は我知らず言っていた。「問題はない…?」「え?」「あ、そのような頷きに見えただけですから…気にしないで下さい」そう言ったは、慌てて下を向いてやり過ごそうとした。利広はその様子を見ながら考え、しばらくしてに質問した。「はどう思う?」何をどう思うと問われているのか、には理解できなかった。首を傾げて利広を見つめ返す。「この国を、どう思った?」問われた意味が分かり、は少し考えて言った。「とても、美しい街だと思います。人々も安定していて、活気がある。だから、ここはいい国なのだと」「そうか」にこりと笑んだ利広の表情に、は言葉に詰まってしまった。どうしようかと必至に言を探す。「り、利広さんは…お役人なの?」「そう見える?」「私の頭にあるお役人と、こちらのお役人とは随分違うと思うから、こちらではどうか分かりませんけど…でも、お役人だから世界を巡っているのかなって…世界を回って、国に報告するお仕事の人なのかと思って…」「こちらの役人は、普段国から出ることはないよ。出るとしたら、王に使わされた者くらいだね」「国を出ない?じゃあ、他の国と交流はないんですか?」「ないこともないけど…頻繁にはないかな。隣国でもなければ、国交がないのが普通だよ」「そうなの…」気落ちしたのか、下を向いてしまったに、利広は微笑んで言う。「でも、確かにわたしは見聞しているね。他国の様子を。何か変わりはないか、傾いてはいまいかとね」「その結果…この国は大丈夫だったんですね」「そうだね。範は治世が三百年になる。このまま安定していれば、とてもいいんだけどね」「三百年?」「そう今の氾王が御位に就いて三百年。一人の王が長く統治すると、国は必然的に栄えるからね」「一人の、王が?」「この説明はまだだったかな?王はその国の生まれの者が、天意によって選ばれる。この話は?」兄もこうやって教えていったのだろうかと思いながら、利広はに問いかける。「はい。…麒麟と言う神獣が民意を聞き、天啓が下る…でした?」「そう。選ばれた者は神籍に入る。以後、老いも病もない。雁の王は五百年前に玉座についた。ああ、そうだ。彼はと同じ、蓬莱の生まれだそうだよ」「五百年前に、私のように流されて来たのでしょうか?」しまった、と利広は思ったが、説明のために口を開く。「いや。麒麟が迎えにいったようだよ。蝕については話したね?王が虚海を渡れば、大規模の蝕が起こる。だけど天啓が下ってしまえば、なんとしてでも渡ってもらわなければならない。王が玉座にいないと国は治まらないからね」「王は虚海を渡れる…でも、帰る事は出来ないのでしょう?」「…そうだね。玉座を捨てると言うことは、天意を捨てると言うことだから。帰ろうとすれば帰れる。多大な犠牲を払うことになるけどね。だけど、まず麒麟が死ぬだろうな。天意に背いた罰で。王と麒麟は一蓮托生だから、王も後を追って死ぬ事になる」それから、と利広は続ける。「王に仕える者は仙籍に入り、同じく不老不死になる。王に近い者ならば、天の許しがあって虚海を越える事が出来る。だけど…その国の民に限られる。その他の者は虚海を越えることが出来ない」「例えば、私のような山客とか?」利広は少し身構えてを見る。泣くのではないだろうかと思ったのだ。それほど、暗い声での問いだった。「そうだね…」しかしは泣く様子を見せず、じっと前方を見つめていた。王ですら帰る事は出来ないのだ。では、ただの山客である自分が戻れるはずがない。「奏は…」ややしてから、ぽつりとは言う。「雁と同じように豊かなのでしょう?それなら治世は同じくらい長いんですか?」「奏は雁よりも長い。六百年の王朝だよ」「六百年…気の遠くなるような時間でしょうね」「そうだね…」「利広さんは…王に仕えているの?」「え?」「なんだか、年齢に見合わない程、感慨深い。奏の人なのだと言うし…それなら、利広さんも長く生きているのかと…」「さあ、どうだろうね」「…」その後二人は黙ってしまった。利広はじっと窓の外を眺めている。
続く
私は後書きが苦手です。
サイトを立ち上げるときに、色々なサイトさまを参考にさせて頂き、
その殆どが後書きを添えているのを見て、書く物なんだと判断したのですが…
実際の所、どうなんでしょう??
美耶子