ドリーム小説
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金の太陽 銀の月 〜銀月編〜 =4= 「ああ、そうだ」
利広はふいに窓からに視線を移した。
その利広を観察していたと、視線がぶつかった。
慌てて反らした視線に構わず、利広の声が房室に響く。
「申し訳ないんだけど…今夜は一間になるよ」
「一間?」
「そう。空きがなくてね。は臥牀を使ってくれていいから。わたしは床にでも寝よう」
「そんな訳には…それなら私が床で結構です」
「女性を床に寝かす訳にはいかない」
「で、では…、一緒に…」
「…そうか」
そうかと呟いてはみたものの、利広は考えこんでいた。
恭での事は、どうだったのだろうか。
単純に一緒に寝てしまっただけなのか…それとも、その後も…
「まいった…」
小さく呟く声に、の返答はない。
聞こえていないのか、あえて答えなかったのか。
記憶をなくすほど飲んだつもりはなかったのだが、まったく覚えていないのだ。
どの間合いで臥牀に引きずり込んだのか、それが要点となる気がした。
赤い顔で臥牀に横たわるを見て、利広は窓を開けた。
一間だけの小さな舎館。
しばらく外を眺めたまま利広は固まったように立っていた。
だがついには覚悟を決めたのか、の眠る臥牀へと向かった。
間をおいたのが良かったのか、は穏やかな寝息に包まれていた。
ほっと息を吐いて中に入り込む利広。
その動きによって、寝息は途絶えた。
ぎくりとした心情に体の動きを止めた利広は、そのままの体制で観察する。
胸の鳴りかたが、通常とは違う事に苦笑したい気分でもあったが、それすら出来ずに固まっていた。
「あの…私、あっちの椅子で寝ましょうか?」
そろりと身を起こしたは、そう言って利広を見る。
それによって溶解された利広は、ふっと笑みを作って言った。
「いや、大丈夫。気を遣わせたね。すまない」
「いえ…私も少し緊張していますから、お気持ちはよく分かります」
「そうか…うん。寝よう。何も考えずに、寝てしまおう」
「は、はい」
衾褥の中に戻ったに続き、利広も中に入る。
なるべく体に触れないように気を付けて横になった。
もぞもぞと動くことも出来ずに、利広は横になったまま姿勢良く瞳を閉じた。
その頭の中はやはり恭での事であった。
しかしいくら考えても、何も思い出せない。
自らが衾褥に入った瞬間すら覚えていないのだから、仕方がないのだろうが。
「酒癖は悪くないはずなんだけどなぁ…」
小さく呟いた言に、返答する声はない。
代わりに穏やかな寝息が聞こえている。
そっと首を向けると、の顔はこちらを向いていた。
まだあどけなさの残る表情は今、悲しみに歪んでいる。
じっと観察していると、閉じた瞳から涙がこぼれ落ちてきた。
しばしどうしようかと悩んでいた利広は、すっと手を伸ばして涙を拭い始める。
すると擽ったいのか、笑ったような表情に変わっていった。
そして桜色の唇は甘そうに見え始める。
「まいったなぁ…」
の頬から退いた手は、そのまま利広の顔を覆った。
翌日、あまり眠ることが出来なかった利広は、より先に目が覚めていた。
そのまま起きあがり、身支度を整える。
その音で目が覚めたのか、の動く気配がした。
「…おはようございます」
「おはよう。よく眠れた?」
「は、はい…利広さんは…?」
「わたしもよく眠れたよ」
「そうですか…」
そんな会話の後、二人は軽い朝食を取り、舎館を後にした。
しばらく範を散策した利広は、再び空を行く。
海岸添いに行っていると、はじっと白海を見ていた。
「まだ違和感があるのかい?」
「少しだけ…とても不思議で…」
「そうか…、今日は夜に飛ぼうか」
唐突に言った利広の言に、は振り返って理由を聞いた。
「嫌かな?」
「嫌では…でも、大丈夫ですか?利広さんはずっと手綱を取っているでしょう?それに夜は危険じゃなかったんですか?」
「…うん。範は安定した国だから大丈夫だよ。妖魔も出てこないだろう。近くの街に寄って、仮眠を取るから大丈夫」
「大丈夫なら、私は構いませんが。あ…急いでいるんですね…それなのに私のせいで…」
「違うよ。特に急いでいない。だけど…そうだな。見せたい物があって」
「?」
不思議そうにしているをそのままに、利広は一度街に降りる。
すぐに舎館は見つかった。
利広は軽く食事を取ると、そのまま寝てしまった。
昨日は眠れたと言っていたが、眠りに落ちるまでの早さから、はそうではないのだと思った。
「本当は…あまり寝てないのでしょうか?」
寝顔に語りかけたは、一人立ち上がって窓に寄った。
よく利広がしているように、外を眺める。
昼下がりの街並みはざわめく声に溢れ、行き交う人々は誰もが忙しそうにしている。
日々の生活、日常の風景。
ここはの知り得なかった異世界だ。
しかしそこに生活している人々は、の存在した世界に生きている人々と、あまり変わらないように見える。
ただ常識や文化が違うだけ。
恐らく言葉も違うのだろうが、旅行に行った中国でも、同じように感じていた。
髪や目の色は多種に富んでいたが、それ以外はどうなのだろうか。
人という生き物自体に、大きな差があるとは思えなかった。
買い物をしてきた様子の年輩の女。
仕事だろうか、急いで歩いている男。
物を売っている店員。
楽しげに話す若い娘達。
天の摂理までもが違うこの世界でも、やはり人の本性は変わらない。
帰れないのなら、なんとかこの世界で生きていかねばならないのだ…
幸運にも親切な人に拾ってもらった。
本性が変わらないのなら、順応する事は可能だろう。
「もっと…この世界を受け入れなくては。もっと、好きになれるといいんだけど」
常識、人種、言葉、服装、食事。国が違えば、それらが変わるのは当たり前のこと。
受け入れられないと思っても、すでにこの世界に存在するのだから、受け入れて行かねばならないはずだ。
は往来を見つめながら、そう決心した。
その後も姿勢を変えることなく、ただじっと外を見つめて夕刻を迎えた。
「」
いつの間に起きたのか、気がつくと背後には利広が立っていた。
「おはようございます」
はようやく往来から目を離し、利広に向き直った。
「そろそろ行こうか」
「はい」
二人は舎館を出て、閉門が近づいた街を出る。
騎乗し、空に舞い上がった。
「眠くなったら寝ていてもいいよ」
後ろからかかる利広の声に、は頷いて答えた。
飛ぶように流れる雲は茜色に染まり、空を透かして青い雲と、陽を透かして赤い雲とが折り重なり、幾重にも鮮やかな世界を作り出していた。
「綺麗…」
「ん?」
ぽつりと呟いた声に、利広は反応し、はそれに気がついて追言した。
「夕陽は、どこの世界も変わらず美しいですね」
「そうだね…。ああ、そう言えば、同じように言った人がいたな」
「同じ事を…?ではその人も、私と同じ山客ですか?」
「いや…彼女は海客だったよ。だから、出身を言えば同じかな。蓬莱から流されて来て、結構悲惨な旅をして奏に来た。ああ、でも違うな。彼女はこの世界の夕陽が美しいと言ったのだった」
「そう…その人は今?」
そのように問えば、背後で利広が笑ったのが分かる。
微かな振動をそのままに、利広は言を繋いだ。
「太陽と暮らしているよ」
「太陽と?」
「そう。心を照らし出す太陽。空を見上げれば微笑み、見守っていると、太陽を見るたびに思い出したそうだよ。今はずっと隣にあって、互いを照らし続けている」
「その相手の人は、この世界の人ですね…?」
「そう。お互いをとても大切に思っている。その海客の人は蓬莱にいた頃、あまり空を見上げた事がなかったと言っていたかな。だからこちらに来てからは、よく見上げたって」
「…そう」
その人は、地に足をつけて生きているのだろうか。
地上から空を見上げ、郷里に思いを馳せたのだろうか。
はこうやって空行する時以外は、天を仰ぐ事などない。
いや、空の上にあってなお、下を見ている。
そう…海を見ている。
だがその心境は、絶景が見たい訳ではなかった。
ただ理解出来ぬ物を、視界に入れているに過ぎない。
初め見た海は黒かった。
それがこの世界の海の色なのだと思い始めた頃、また違う色の海に遭遇した。
「私とその人は…きっと随分違う人なんでしょうね…同じ蓬莱で育っているはずなのに…」
「共通点はあるけど…どうだろう。わたしはそこまでその人に詳しくないし、についてもあまり詳しくないからね」
利広のその言に、は頷いて答えた。
「私も、利広さんをよく知らない…でも、とても親切で、変わり者だと言う事だけは分かった」
「やっぱり変わっているのかなぁ…?」
「普通の人は山客を拾いますか?」
「どうだろう」
はぐらかすような言い回しに、は知らず口を開く。
「…利広さんは…ううん。なんでもないわ」
は言いかけた事に気がつき、途中で口を閉ざした。
が口を閉ざすので、利広も口を閉ざしてしまった。
二人は無言のまま空を行く。
陽は影を落とし、世界に夜が訪れようとしていた。
無言でいたため利広に背を預けて、いつの間にか眠っていたは、肩を揺すられて目を覚ました。
「あ…ご、ごめんなさい」
「いいよ。眠っていてもいいと言ったのはわたしだからね。それよりも、ほら」
背後から利広の右腕が伸びてきて、前方をさす。
丁度月が目に入り、その位置から随分下を飛んでいるのだと気がついた。
利広の腕は右から左に移動し、後ろに引いてしまった。
「あ…」
世界は、銀に輝いていた。
月の光に照らされて、白海は銀に輝く。
波間に浮かぶさざ波も、月の光を反射して銀色だった。
月までもが銀の色をしており、は可能な限り目を開けてそれを見つめていた。
赫然たる月光は心を奪い、それを受ける白海もまた、ため息を誘っているようだった。
「すご…い…」
「これを見せたかったんだ。少しでもこの世界を、好きになってくれると嬉しい」
そう言った利広に、は何も返すことが出来なかった。
息をするのも忘れて、ひたすらその景観を見つめていた。
玉鏡の光は優しくを包み込む。
辺りを見回すと、海以外には何もない。
蓬莱で見た夜の海は、恐怖だけをに与えていた。
大きな波に浚われれば、二度と生還出来ないのだという気にさせる、恐ろしい印象があった。
だが、ここはどうだろうか。
真珠を敷き詰めたその海は、欠片ほども恐怖を引き起こさない。
「利広さん…」
か細い声が利広を呼ぶ。
「気に入らないかな…?」
「いいえ。…いいえ!」
初めて聞いた強い口調に、利広はその続きを待った。
「ありがとうございます。本当に…ありがとう」
はそう言うと、利広を振り返った。
その表情に、利広の胸が鳴った。
これも初めてだった。
の心からの笑顔。
寂しく笑う以外に、こんな表情が出来るのだと、この時初めて気がついた。
まるで花が開いていくような顔は、月の影になっている。
しかし明るい表情に助けられて、気にならない程だった。
それからもはずっと海を見つめていた。
利広はそれを見ながら、月華の中を南に下る。
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