翌日の遅朝、利広は宮城に戻ってきた。今回の旅はさほど長くなく、その大半はと一緒だった。我ながら珍しいと思いながら、利広は騎獣を厩へ戻しに行く。典章殿に戻ると、ふう、と大きな息を吐いた。「おや?」利広のため息に、反応する声があった。「利広?なんだ帰ってきたのか。少しは反省したようだな」声をかけて来たのは、どちらかと言うと、今、一番会いたくない人物であった。「あ、やあ…兄さん。居たんだね」「お前、何引きつってるんだ?」「いや…引きつるなんてとんでもない」利広の言を無視して、利達はしかし、と続ける。「わたしの言った事を真に受けて、まさか本当に宮城を出るとは思わなかった」「真に受けた訳では…」「で、何処に行っていたんだ?」「恭の方に…」「数日で戻って来るとは珍しいが、山客でも拾ったのか?」「ど、どうしてそれを…」「なんだ。本当に拾ったのか…呆れた奴だ。蝕の被害はどうだった?」利達に呆れたと言われたくない、と利広は思ったが、言には出さずに蝕についてだけを答えた。「あまり影響はないようですね。恭の黒海沿岸部でも船が何艘か流されただけで、被害は留まったようです」「そうか。良かったな。ところで、山客はどうした?」「どうしたって?拾ったとは…」「どうして知っているのかと言っていなかったか?」動揺していた為に、すでに自らの発した言を忘れている。「そんな事言ったかなあ…?港町で別れたよ」「別れた?大丈夫なのか?」「どうだろう…でも、彼女の意志だったからね」不思議そうにしている利達に、諦めた利広は掻い摘んで説明する。「なるほど…それは辛いだろうな。利広、たまには様子を見に行ってあげるんだぞ」「え?」「お前以外に話の出来る者がいないのだろう?不安だろうに」「それはまあ…」「拾った責任だ。身を立てることが出来るまで、定期的に会いにいくように。ああ、だからと言って長い間、宮城を空けるんじゃないぞ」利達はそう言うと、さっさとその場から姿を消した。「まいったなあ…」そう呟いたものの、利広自身も気になっている。一緒にいた時のことを思い返すと、記憶の大半が泣いた顔だった。しかし、を思い出そうとすると、最後の笑顔が出てくる。このなんとも奇妙な現象に、利広は失笑して自室に戻って行った。翌日、利広の許に訪ねてきた人物があった。「利広?今いい?」振り返った利広は、そこに利達の想い人を発見した。「ああ、姉さん。どうしたんですか?」「姉さん!?どうしたの、急に?今までって呼んでいたのに」「…。改めようと思ってね」「ふうん、まあ、それはいいわ。さっき利達から聞いたの。山客を拾ったって…」「あ…ええ。でも蓬莱の方ですよ」「蓬莱の?え?でも、山客なのでしょう?」「ええ。何でも旅行中だったとか」「まあ、そうなの…。可哀想に」利広はその様子を見ていて、ふと思った事を口にする。「姉さんは…まだ帰りたいと思う?」「いいえ、思わないわ。流されて三ヶ月目に、二度と戻れないって聞いてから、すっかり諦めてしまったもの」「三ヶ月で諦める事が出来た?」「…正確には違うと思うわ。ただ表面上で納得しただけで、心の何処かでは帰りたいと思っていたのかもね。でも、私は不可能な事は望まない主義なの。それに勉強が忙しくて、考える暇がなかったのかもしれないわね」「ああ、なるほど…三ヶ月目から小学に行っていたんだった」「ええ、そうよ。その人は、流されてきたばかり?」「そのようだよ。黒海で溺れそうになっていたから」「じゃあ…本当にこちらに来たばなりじゃないの…不安でしょうね。今は何処にいるの?」利広はそう問う姉に、港町での出来事を説明する。「まあ…そんな事が…」姉はそう言ったきり、絶句してしまった。利広が静かに言う。「蝕に巻き込まれて、見知らぬ世界へ投げ出された感覚は、わたしには理解出来ない。どれほど辛いのかも分からない上に、親の遺品が流れ着いたのを見た人物に、何と言って声をかければいいのか…」「そうね…流されてきた感覚なら分かるけど…私と彼女は別の人間だもの。環境も感じ方も随分と違う。きっと、痛みさえも違うわ…」「そうだね…ちなみに姉さんはやはり、随分と辛かった?」「ん〜、辛いと言えば辛いのかな。でも、あまり辛いと思った事はなかったわ。優しい人ばかりに囲まれていたもの。感謝の気持ちの方が大きかったから、問題ないわ。初めに拾ってくれた巧の人、たくさんの事を教えてくれた舎館の人達、なによりも典章殿に移り住むようになってからは、いつも隣に太陽があるもの」彼女は強いと、利広は改めて思った。過去に名乗らず、彼女の働く舎館に行ったことがあった。はぐらかす利広の言もまったく気にとめないで、利達の家族だといとも簡単に見破った。まだこちらに来て浅いだろうに、軽快に会話したのを覚えている。笑顔の印象が非常に強い。なにしろ、匪賊に斬られてなお笑っていたのだから。だが、山客のは違った。泣いている印象が強いのだから。「私の場合は何が何だか分からないまま旅に出ちゃったから、あまり悲観している暇がなかったのかもね」はそう言うと、利広をじっと見る。視線に気がついた利広が顔を起こすと、にこりと笑って問うてくる。「そう聞くって事は、泣いていたのでしょう?」「…正解。相変わらず、鋭いね」「彼女は強いわね。うん、私なんかよりもずっと強いわ」「え?姉さんより?」「ええ、だって私は、半分夢だと思っていたのよ。さっき言った通り、現実を受け入れることが出来なかったの。勉強に打ち込んだのも、現実を考えないようにしていた…ただ、それだけだったのかもしれないわ。自分でもよく分からないけど…でも、彼女は現実を受け入れた。涙が出るなんて当然よ。二度と家族や友人に会えないのですもの」でもね、と利達の想い人は続ける。「私が太陽に出会ったように、彼女にもきっと支えになるものが現れるわ。利広がそうなるかどうかは、分からないけどね。利達の言う事なんて関係ないのよ?変な同情だけなら、会いに行かないほうがいいわ。期待だけさせるのって、実はとても酷いことだと思うから」「…そうだね」「実のところ、利広の気持ちはどうなの?」「気にはなるんだけどね…会いたいのかと問われると…どうかな?」「こうして悩んでいるのだから、相当気になっているように見えるけど?」「…」くすりと笑う声に、利広は対面している人物を見る。「利広はすぐにはぐらかす。悪い癖だわ。自分の心まではぐらかすんだから」はそう言うと立ち上がり、利達の許へ戻ると行って扉に向かう。「ああ、港町に行くならさんによろしくね」振り返ってにこりと笑う顔に、驚いた利広は思わず問う。「!…どうして名前を?」「急に姉さんなんて言うからよ。同じ名前だと踏んだの。よかったわ、正解で」ころころと笑いながら出ていく姉に、何も返せないまま見送っていた利広は、しばらくしてから、ぽつりと呟いた。「本当に鋭い…」
続く
当初は利達の登場だけで、
前作『太陽編』のヒロインさんが出てくる予定はなかったのですが…
折角シリーズにしているので、もったいないと思い直しました。
なので、また出てきます。
美耶子