ドリーム小説
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金の太陽 銀の月 〜銀月編〜 =8= 庭院にある石案に座ったは、簡単に敬茶を用意し、利広に茶杯を差し出す。
「はここで、何をやっているのかな?ここで生活している?」
「はい。おかげさまでなんとか。官府に届けを出した時に、翌日も尋ねてくるように言われていたのです。それで尋ねて行ったら、前日、港で五星紅旗だと言った人物かと聞かれて」
はそう言うと、茶杯を手に持って一口飲んだ。
「その後、海から流れてくる物を、鑑定して欲しいと頼まれたのです。そのまま県城の一角に居院を借り受けております。話が出来ないと不便だと言うことで、今は仙籍の末席に。州の冬官に在籍しているようですが、州司空とお会いした事はございません」
それでよく通ったなと思いながら、利広はを見ていた。
「なんでもこちらの県正が、州侯にとても信頼されているようなのです。お話だけで大丈夫だったと聞いたのですが…」
尚も見続けている利広に、は首を傾げて見つめ返した。
「あの…何かおかしな事を言っておりますでしょうか?」
「え?あ、いや…なんだか別人と話をしているように思ってね」
「別人?」
「うん。、変わったね」
「そう、でしょうか…?」
「良くなったよ、とても」
「…ありがとうございます。とても嬉しいお言葉です」
「そんなに堅く話さなくてもいいよ」
ですが、と言っては利広を見る。
「いいよ。元々丁寧だったけど、そこまで堅いと、本当に知らない人と話をしているみたいだ」
「そうでしょうか?」
「うん。名も呼び捨ててくれて構わない」
「でも、利広さんは私よりも随分年上でしょう?」
「どうしてそう思うんだい?」
「それは、利広さんを取り巻く雰囲気が。私のような若輩者とは違う…もちろんこの県城に居る人達とも少し違う。でもね、似た雰囲気の人はいるのですよ」
「へえ…それはどんな人?」
「三名ほどいらっしゃいますが、どの方も三百年は生きておられるご様子ですね」
にこりと笑ったの顔に、哀愁も寂寥も見受けられず、何故が少し眩しく感じた。
「そうか…でも関係ない。気軽に呼んでくれて構わないよ」
「…ひょっとして、六百年以上生きておられる?」
「さあ、どうだろう」
上を向いてそう言うと、はくすりと笑う。
「利広さんは、いつも本当の事を言わない。言えない理由があるのでしょうか…」
「本当の事を?」
「いつもはぐらかすもの」
悪い癖、と頭の中で声がする。
「そうだったかな?どうやら癖みたいだよ」
はそうですか、と言って一度言を切ったが、すぐに思い出したような声をあげて言った。
「私、何度か利広さんと連絡を取ろうとしたのですよ。でも、何処に住んでいるのか知らなくて…探しに行くのにも、遠いですし」
「わたしが先に探し当てたわけだね」
「はい。驚きました」
嬉しそうに言うは、もはや半年前の面影を微塵も残していない。
どうやら心配する必要はなかったようだった。
では、半年も探し続けた自分は何だっと言うのだろうか。
酷く滑稽な気がしたが、利広は微笑んでに言った。
「、街に降りてみないかい?」
「街に?そうですね…久しぶりに、行ってみましょうか」
笑顔で立つに習い、利広も立って庭院を後にした。
二人は港町を散策するように歩き、柔らかな日差しを受けながら港へと出た。
赤海は今日も瞬き、はそれを良く見ようと海に近づく。
「気を付けて」
利広が背後から声をかけると、は海の間近で立ち止まり、利広を振り返った。
「銀の夜を、覚えておりますか?」
きらきらと反射する海は眩しく、そのせいで振り返ったには影が落ちていた。
その表情は見えなかったが、口調から笑っているのだろうと想像し、利広もまた微笑み、頷いて答えた。
「あの時、私は初めてこの世界の美しさを知りました。白海も赤海も銀の光に包まれて…とても、綺麗だった」
懐かしそうに言うは、でも、と言って続けた。
「その海の何処かに、私の母が眠っております」
その言に、利広は我知らず微笑みを消していた。
「五星紅旗を見たあの日から、ごく希にですが、崑崙の物が流れ着くようになりました。ここ数日も、なぜか次々と流れ着いております。私にとっては他国の事だったはずなのですが、意外と知っている物なのですね。これが私のもっていた、この世界で役に立つ唯一の知識。こことは違う摂理の世界の常識」
は赤海に向き直り、利広から体を背けた。
「…先日、衣類の切れ端が流れ着きました。…母のものでした」
赤い瞬きはなお煌めきを増し、を包もうとしていた。
そのまま、身を投げるのではないかと危惧する心が、利広の体を動かす。
背後に立ち、の身体を引き寄せ、そのまま後退した。
「利広…さん?」
名を呼ばれてようやく、自らの行動に気がついた利広は、その身体をそっと離す。
「飛び込むのではないかと…思った」
そう言うとは驚いたように利広を振り返る。
ふと小さく笑うと、利広を見つめて言った。
「初めて聞いた気が致します。利広さんの、心の声を」
「わたしの?」
「はい。本心と言いましょうか…とりあえず答えるというものではなく、本当に思っている声でした」
はそう言うと、先ほどの話を再開させた。
「母の衣類を見て、これで終わったのだと思いました。私はここに留まって、母の生死を確認したかった…。身につけていた物…イヤリングやネックレスが流れついている間は、まだ可能性を信じていました。どこかで手放したのだと自分に言い聞かせていたような気もします」
蓬莱の言葉が混じっていたが、通じているだろうとは続けた。
「だけど、日に日に母の物が増え、ついには衣類まで流されてくると…可能性が微弱になっているのは、嫌でも分かります。後は、母の身体くらいしか、残ってないのですから」
だが、この港に人が流れて来たことは、まだ一度もなかった。
「海で遭難して…衣類は流されたけど、のように何処かで生きているかもしれない…」
利広がそう言うと、は薄く微笑んで言った。
「ありがとう…でも、それはきっとない。私はとても幸運だったのですね。利広さんがあの時いなかったら…きっと同じ運命を辿っていた」
「…」
「母の衣類を見ても、私は泣けなかったのです。少しずつ、希望は薄れておりましたし、心のどこかで覚悟を決めていたのでしょう。その代わりに、私は赤海を美しいと思わなくなりました。きっと…白海も。それは銀の光を持ってしても、恐らく…」
は俯いて続ける。
「夜の白海と赤海は蓬莱の海とは違って、怖い印象を持ちませんでした。でも、どんなに美しい海でも、どんなに輝いていても、海には違いなかったのです。海は母を飲み込み、帰そうとはしてくれませんでしたから…」
顔を上げたは、利広に微笑みかけて言う。
「折角来て頂いたのに、暗い話になってしまいましたね。申し訳ございません」
その微笑みはせつなく、痛々しい。
利広はいたたまれなくなって、を引き寄せる。
抱きしめて、静かに言った。
「わたしの知り合いに、蓬莱の人がいる。昔流れて来たその海客の人は…決して人に涙を見せない人で…泣くのは、太陽の胸元だけと決めていたらしい。わたしは、の太陽になれないかな?」
「え…?私の…太陽?」
「半年前、泣いた時よりもずっと、今の方が辛そうだ」
「…私には分からない」
「恭からこの港町までくる道中、はずっと暗闇の中にいるように見えていた。だけど今日会ってみて、そこから抜けたのだと思ったよ。でも、わたしの気のせいだったようだね。の心は、まだ深い闇に閉ざされている。誰かが照らしてあげないと…」
「…」
言葉が出ないのか、は何も言わない。
「わたしでは、役不足かな?」
そう問うと、利広の胸元では無言のまま首を振った。
「役…不足だなんて…でも…違うのです」
「違う?それは…」
「暗闇を照らすのは、太陽ではないのです」
伏せたままのの顔を見ようと、利広は少し体を離した。
の伏せられた瞳に、反射した光が見える。
「暗闇を照らすのは、月の光です。そしてあなたは私にとって、月であるには眩し過ぎる…輝きに負けて、私という存在が消えそうに感じます」
風が吹けば、いとも簡単に浚われてしまいそうな印象が、再びを包みこんでいた。
利広は一度離した体を引き寄せて力を入れる。
風か赤海が、を連れ去って行きそう思ったのだ。
「利広さん…」
の肩が微かに震え始めた。
「はき出せるものがあるのなら…どうか、そのままはき出してほしい。は充分強くなったよ。この世界に順応し、生きる術を身につけた。頑張ってきたのだから、今は泣いてもいい…わたしはの涙を知っているから。弱いところを見ているから、何も気にせずに泣いてほしい。もしわたしの光が強すぎるというのなら、目を閉じて見なければいい」
音もなく、の肩は震え続けた。
水面の反射も、風の囁きも、もはやには届かない。
唯一、人肌の温もりだけが、心に染み入るようだった。
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