ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
吟酔 =2= どれ程眠っていたのだろう。
ふと目を開けると、辺りは暗闇だった。
物音一つ無いその様子に、しばし自分の置かれている状況が飲み込めないでいた。
ここは何処だったろうか。
「ここは…」
「ああ、気が付いたか」
ほっと安堵したような声が、すぐ側から聞こえる。
は声の方に顔をむけたが、そこに何も見つけることは出来なかった。
ただ漆黒の闇が見えるだけで、空間の感覚さえ危うい。
これはまだ治っていないという事だろうか。
そう思っていると、ふと灯りが点された。
房室の隅に、禁軍の将軍がいる。
「あ、将軍…」
「書状は大司馬にお渡しし、事情を話して春官府へ使いをやった。大宗伯からの返事もすぐに返ってきて、明日は一日ゆっくり休むようにと、大宗伯からの伝言だった…その、本当に申し訳ない」
改めて頭を下げる将軍。
は少し恐縮しながらその様子を見ていた。
ひょっとして、この人はずっと側にいてくれたのだろうか。
は牀からゆっくり足を降ろし、立ち上がってから言った。
「あの…ありがとうございました。もう、大丈夫です」
「そうか。そこまで送っていこう」
「いえ、そんな恐れ多い。一人で歩けますから」
そろりと足を出し、歩いてみせる。
本当にもうなんともなかった。
頭の痛みもすでにひいている。
「送らせてくれ。それぐらいしか出来ないからな」
「でも…ずっとついていてくれたんですよね?それで充分です」
にこりと笑って桓タイを見ると、扉に向かって歩いていく。
しかしが扉に到着するよりも早く、桓タイが扉を開けて待った。
同じように歩き出す桓タイをちらりと見たは、あえてそれ以上断ることはせずに黙って歩き出した。
すでに灯りはなく、射し込む幽光だけが宮道を照らす。
視界の悪い薄暗い宮道を、小さく躓きながら先に進んでいく。
それを勘違いしたのか、心配そうな気配が後ろから追ってくる。
ただ黙って歩いていると、少し気まずくなってきた。
大丈夫だと言うことを証明する事と、その空気を打破することを兼ね、立ち止まって桓タイを振り返る。
「将軍」
「ん?」
併せたように立ち止まる桓タイ。
「将軍はどこの将軍なんですか?」
はそう言うと再び前進する。
和んだ空気が背後から追ってくるのを感じた。
「禁軍の左軍だ」
「え!じゃあ…」
は再び足を止めてしまった。
しかし今度は振り返らない。
禁軍左軍の将軍となれば、将軍の中でも筆頭になる。
しかもこの将軍、王直々に禁軍へ任じられているのだ。
慶が初めて迎えた、半獣の官職としても有名である。
現在の禁軍も、この将軍を基に構築されていると聞いている。
軍人の中では尤も王に近い存在ではないのか。
「や、やはり私はここで…もう、平気ですから、送って頂かなくても結構です!」
「ひょっとして、迷惑だったか…?」
「いえ!そんな!!」
慌てて振り返る。
射し込んだ月明が桓タイの頬を照らしている。
「あ…」
思わず声を失った。
柔和な笑顔がそれを見つめる。
首を傾げて次の言葉を待っているようだった。
「あの…やはり恐れ多くて…そ、それに私の自宅は外朝にあります。将軍は内朝にお住まいでしょう…?」
「気にする事はない。半年前までは禁軍に所属することすら、ありえない身分だったのだから。それよりも、俺のせいで痛い思いをさせてしまったのだから、何かお詫びをしたい」
「詫びなどいりません」
「それでは気がすまない」
「そう申されても…」
は顎に手を当てて考える。
何も思いつかなかったが、このまま下山させるのは、本当に申し訳ないと思った。
「それでは、いつかご馳走してください」
唐突に思いついた事を口にだしていた。
慌てて口を塞ごうとしたが、桓タイは笑みを浮かべてそれに答える。
「分かった」
「で、では私はこれで」
はそう言い残すと、逃げるようにしてその場を去っていった。
「はあ、き…緊張したぁ…」
外朝に抜けると一気に脱力し、その場で座り込んでしまった。
将軍と自分の身分の違いを考えると、気さくに話してよい相手ではない。
それを送るとまで言わせてしまったのだ。
倒れたのは、自分の迂闊もあたったのではなかろうか。
もっと機敏に動いていれば、避けることが出来たはずだ。
そもそも、変な好奇心など起こさず、冬器になど近寄ってなければよかったのだ。
「大丈夫か?走ったりして」
「きゃあ!!」
座ったまま蹲るようにして身を縮める。
頭上から振ってきた声に驚いたが、その声に聞き覚えがあった。
おそるおそる瞳を開け、見上げたそこには…
「将軍!な、何故…」
「急に走ったりするから、気になって追って来たんだが…気が付かなかったか?」
「ま…まったく気が付いておりませんでした」
「そうか。驚かせてしまったな…。でも追ってきて良かった。気分が悪いようだから」
そう言って座り込んだを見下ろす桓タイ。
勘違いされていることに気が付いたが、口は開いたままで何も言えない。
「立てるか?」
「…あ!!はい、立てます!大丈夫です!!」
急いで立ち上がった。
それに安堵したように息を吐いた桓タイが問いかけた。
「心配だと言うことももちろんあったのだが、実を言うと…好きな物を聞く前に駆け出してしまうから、思わず追ってきてしまった。何が好きなのか教えてくれるとありがたいんだが…」
少し照れたように頭を掻いた桓タイ。
月華の中で見る将軍は、素朴でどこか憎めない笑顔をに向けている。
「好きな…もの、ですか…?」
おずおずと問い返すと、嬉しそうに頷く顔。
それが少し可愛いと、不謹慎にも思ってしまった。
自らの感情に動揺したが、また何も返せないのでは気まずい。
そこでやはり、頭に浮かんだ物を口に出していた。
「その…将軍は麦州の出身とか。麦州特産の吟酔ってご存じですか?」
吟酔の話が出たのは今朝の事。
ふいに麦州との繋がりを思い出したのだった。
「吟酔?それはもちろん。ああ、確か家にあったな」
「本当ですか!?」
「数日前に飲んだような気がしたから、間違いないとは思うんだが…」
「実は今朝知ったばかりなのですが、一度飲んでみたいと思っていたんです。もし将軍がお嫌でなければ、一口飲ませて頂けませんか?」
「そんなものでいいのか?一口と言わず、何杯でも飲んでくれて構わないが…それで詫びになるだろうか?」
「ええ、充分でございます」
にこりと笑ったの顔もまた、月明が照らし出していた。
桓タイは少し横を向いてに言う。
「…確か、明日は休みだったな。今から飲みにくるか?」
「え?いいんですか?」
「あ、でもまだ衝撃が残っているなら、やめたほうがいいか」
「いえ、体の方はもう…本当に何ともないんです。これでも一応仙ですからね」
「そうか…じゃあ、行くか」
そう言って桓タイは踵を返す。
また内朝へと戻るため歩き出した桓タイに、駆けるようにしてついていく。
しばらく歩調を合わせるのに苦労したが、桓タイのほうがそれに気が付いて歩みを緩めた。
その時になって初めて、将軍の官邸に向かっていることに気が付いた。
しかし今更逃げる事も出来ず、緊張した面持ちで登っていく。
|