ドリーム小説
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吟酔 =3= 静まりかえっているのは、内朝も外朝も同じだった。
その一角に現れた、左将軍の官邸に招き入れられた。
しかし緊張は瞬く間に消え失せてしまった。
だが、やはり何も言えないでいる。
その、あまりの想像を絶する光景に。
そもそも内朝に官邸を頂く高官に、招かれるほどの友好を持っていない。
その官邸たるや、さぞ大きいのだろうと思っていた。
広く煌びやかで、個人的な下官が多く仕え、夜中でも灯火がある。
そんな勝手な想像をしていた。
しかし桓タイの招き入れた官邸に人の気はなく、月明を頼りに進むしかない。
桓タイが灯りを点すと、ようやく中の様子が見えた。
そしてはそこで言葉を失ったのだ。
「散らかっているが、適当に空いている場所に座ってくれ」
この若い人物が禁軍の左将軍に就任したのは、半年前ではなかっただろうか。
「あの…あまりこちらへは帰っていないのでしょうか?」
「ん?あ、いや…。そんなこともないが」
が見渡したそこは、とても一言では語れない。
竹を編み込んだ箱からは、袍らしきものがまばらに見えており、何に使うのか、竹そのものが刺さっている。
すぐ横の木の箱からは木の棒が数本出ており、椅子が片足をつっこんでいる。
食器らしきものがいくつか見えるが、それを使う気には到底なれない。
床には脱ぎ捨てた袍がいくつか。
すぐ横に卓子が有ることに気が付かなかったのは、その上に積もる埃のせいだった。
漆黒であろうはずの物が白い。
「将軍?何故箱から色々な物が溢れているのでしょうか」
「あ〜、…何をどう片付けていいのか分からなくてな。持ってきたままで、必要なものが有るたびに直接出しているんだが…」
「はあ…そうですか…」
積み上げられた荷をかき分けるようにして、何かを探している。
「この辺にあったと思うんだが…」
「一緒に探しましょうか?」
「そう…あ、ああ、あった」
半分ほど減った酒瓶が中から出てきて、将軍は振り返って笑う。
次に酒杯を探し始めた。
しかしこれはなかなか難航しているようで、あらゆる所を探し回っている。
「やあ、おかしいな。この辺にあったはずなんだけどな」
「…」
「こっちかな?」
「…」
「ないな…どこにいったのか」
「…」
「いや、こっちだ!」
「…」
「あ、違ったか」
「…」
「う〜ん」
「…せん」
小さな声に動作を止める桓タイ。
「え?」
「もう堪えられません!!」
「!」
がそう叫んだ瞬間、棚の上から紙の束が降ってきた。
夜目にも分かるほどの粉塵が舞う。
口端が僅かに歪んだが、視界の悪くなった房室で言った。
「片付けましょう」
「え?」
「大掃除です!!」
しらみ始めた空を見上げ、心地よい疲労と爽快感に身を包む。
空から目を反らして房内を振り返る。
きちんとたたまれた衣類。
綺麗に積まれた器類。
塵はすっきり取り除かれ、卓子の上にはもう、何も乗っていない。
「こんなに広かったのか…」
我が家の広さを正確に知らなかったとは…情けないやら感心するやらと言った心境か。
それを満足そうな表情で眺める。
光沢のある卓子に顔を映し、桓タイを見てから眩しいほどの微笑みを見せる。
しかしすぐに表情を改めて言った。
「好き放題やってしまって申し訳ございません」
頭を下げてそう言うに、桓タイは同じように頭を下げ、さらに手を置いてから軽く掻いて言った。
「いや…こちらこそ悪かった。今度は本当に良い酒をご馳走するから、それで勘弁してもらえるか?」
「もちろんです!」
満面の笑みを桓タイに向けた。
それに軽く目を見開いた桓タイ。
そのまま見とれたのか、しばらく無言でいた。
口も僅かに開いている。
「明後日…」
「え?」
小さな声に問い返す。
「明後日はどうだ?」
「あ…ええ。大丈夫ですよ」
「じゃあ、明後日、飲み直そう。散らかさないように気を付けておく」
桓タイがそう言うと、くすりと笑う声が答える。
「二日程度で散らかったりしませんよ、普通は」
「ま、まあ普通はな…」
窓から射し込む朝日が、桓タイの瞳にかかる。
「とうとう明けてしまったか」
「徹夜のお掃除でしたね」
「大丈夫か?」
「私は本日お休みを頂いておりますもの。将軍のほうこそ、大丈夫ですか?」
「体力だけは自信があるからな。大丈夫だ」
そうですか、と小さく呟くと、は腰を折って礼をし、桓タイの官邸を退出する。
少しおぼつかない足取りで下山していった。
そして約束の日が瞬く間にやってきた。
朝から少し緊張していた。
いつものように暑い日であったが、この日ばかりは一度も窘められることはなかった。
だれることもなく、てきぱきと仕事を片付けていく。
しかし夕方になって、桓タイと連絡をとる手段がないことに気が付いた。
待ち合わせる場所でも決めておけば良かったと後悔し始めた頃、の許へ大宗伯が訪ねてきた。
「、二日前はご苦労だった。何か災難があったとか」
「あ、大宗伯!」
慌てて立ち上がり、礼をする。
周りにいた官も立ち上がり、に習って礼をしていく。
はそれらを待って、ゆっくり顔を上げて大宗伯に答える。
「災難と言うほどでも…私の不注意もあったのです」
「今日の朝議で、大司馬から改めて聞いた。何の訓練も受けていない者が、とっさの判断を持って避けることは難しいと報告を受けたそうだ。夏官のように甲冑を身につけておらず、その刃に貫かれなかった事が、唯一の救いだったと」
そう言われては、立て掛けてあった冬器を思い出していた。
たしかに満月の刃を振り下ろされれば、危険だったのかもしれない。
改めて思うと背筋が寒くなる。
たんこぶ一つで助かったのは、運が良かったのだろう。
「そこで夏官から一人こちらへ寄越すと言われた。冬器の下敷きになった女官殿の現状確認と、詫びを兼ねて挨拶に来られるようだ。恐らくもう来るころだろうが、わたしはこれから天官府に行かねばならない。そこで当の本人に相手を頼みたい。、頼んだぞ」
「え?」
唖然とするをそのままに、大宗伯はそのまま去っていった。
椅子に座り直す同僚達の中、だけが立ったままだった。
「そ、そんな事言われても…」
「詫びのためにわざわざ訪ねて来るとは、よほどの目にあったんだな。本当に大丈夫なのか?」
横の春官がそうに問いかける。
「ええ、もう何ともないわ。だからそんなに大層な事をしてくれなくてもいいのに…」
言いながらはようやく席に着いた。
やりかけの書面に目を向けて筆を走らせ、それを終えて横に置く。
「律儀だな。さすがは武官と言ったところか」
横の官も同じように書面を置き、に顔を向けて言う。
「ええ、本当に…」
がそう答えた直後、さきほど大宗伯の立っていた入口から声が聞こえる。
「失礼致します」
扉が開き、その向こうで起礼をとるのは文官であった。
「左軍に所属しております、青辛と申します」
幾人かが顔を見合わせて入口に目を向ける。
文官は挨拶をすると頭を上げた。
そこには桓タイの顔がある。
「しょ、将軍!」
叫ぶように言ったの声に、数人が慌てて立ち上がって卓子の前に出る。
一斉に礼を取る春官達の中で、だけがやはりその場で呆然としていた。
「、」
前に出ていた文官が頭を下げたままを振り返る。
「残りはおれ達がやっておくから。将軍を入口に立たせたままではいけない」
「あ…は、はい!」
慌てて前へ出るに、桓タイは手を前に出して制するように言う。
「終わるまで待っているので、そのまま続けて下さい。お騒がせして申し訳ない」
「いえ。もう終わりの刻限が近付いております。どうぞ遠慮なさらずに。さ、、早く」
「はい。将軍、こちらへ」
桓タイを連れて退出する。
「申し訳ない。かえって騒がせてしまったようだ」
「将軍にお目にかかる事など、あまりない事ですから」
はそう言うと春官府の出口を目指す。
今頃、同僚達は安堵の息をついているのではないだろうか。
「将軍はもう終わりですか?夏官は人手不足でお忙しいと聞きましたが…」
「あ…ああ、うん。大丈夫だ」
の言ったとおり、毎日が忙しい。
だが、今日は他の者に頼んで抜けてきたのだ。
もちろん、と過ごすために。
「では、さっそく飲ませて頂いてもいいですか?」
「もちろん」
笑って答えた桓タイはの前を歩いて誘導していく。
内朝にある桓タイの官邸は近い。
すぐに着いた官邸へ入り、辺りを見回した。
袍が一枚、籠に掛かっている以外は、先日と何も変わりない。
綺麗に整えられたままだった。
「庭院で飲むか、中で飲むか。どちらがいいかな…」
そう言いながら辺りを見回す桓タイ。
外に運べるものを探しているのだろうか。
宵の刻限に庭院で飲むのは、気持ちが良いだろう。
しかしこの官邸にある卓子は大きく、持ち運ぶには人手が足りない。
椅子だけならなんとかなるだろうかと思いながら、は桓タイを振り返る。
「椅子だけ運んで庭院で飲みましょう。良い風が吹きましょうから」
「卓子は?酒を置くための」
「小卓はございますか?」
「いや、これしかないが…」
そう言いながら桓タイは卓子に手を掛ける。
何をするのだろうかと考える間もなく、軽々と持ち上げられた卓子。
あまりにも軽々と持ち上げてしまった将軍に、は唖然と口を開く。
「どの辺りに置くかな」
楽しげにそう言うと、桓タイはさっさと庭院へと向かう。
その様子に我を取り戻し、椅子に目を向けた。
ずっしりと重厚感のある椅子だったが、これくらいは運ばねばと手をかける。
一つを持ちあげるのに必死になり、なんとか桓タイの消えた方へと向かって歩いた。
少し進むと、すぐに戻ってきた桓タイ。
もう運んだと言うのだろうか。
「ああ、悪い。椅子も運ぶから、そっちの棚に置いてある酒だけ頼む」
軽く息が上がっているに、桓タイはそう言って椅子を引き受けた。
少し離れた所にあったもう一方も持ち、再び庭院の方へと消えていく。
は感心しながらそれを見ていた。
だがすぐに棚へ向かい、酒と酒杯と取って後ろから着いていく。
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