ドリーム小説
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吟酔 =4= 庭院へ出ると、すでに辺りは青く変化していた。
先日は気がつかなかったが、ここも手入れがされておらず、至る所に草が生えている。
その一角、比較的草の少ない所に、卓子と椅子は置かれていた。
と入れ替えに、桓タイは一度中に入った。
すぐ戻ってきたが、その時には何か包みを持っている。
「昨日堯天に降りたんだが、その時酒の肴になりそうなものがあったので買ってきた」
そう言いながら卓子の上で包みを広げる。
乾物が数点と、小さな包みがあった。
「この小さいのは何ですか?」
「開ければ分かる」
そう言った桓タイを見ながら、包みに手をかけた。
包みを開けると、饅頭が出てきた。
「女性は甘いものが好きだろうと思って、一応買っておいた」
「わあ、ありがとうございます」
にこりと微笑んだ。
桓タイは照れたように頭を掻いて横を見る。
「まあ、とりあえず吟酔だな」
取り繕うようにそう言うと、酒瓶に手を伸ばして蓋を開ける。
ゆっくり酒杯に注ぐとに渡し、自分の分も注いだ。
「では頂きます」
は横に頭を傾け、微笑みながら酒杯を見る。
一口含むと、芳醇な香りが広がった。
「わあ、不思議な味ですね。でもおいしい」
喉元をするりと通り抜けたそれは、酒と言う感じがあまりしなかった。
とても軽くて飲みやすい。
酒杯を持った時には感じなかったが、冷えているように感じるのは何故だろうか。
吟酔(ぎんすい)とは不思議な酒であったのかと、は頷きながら納得した。
「あまりに飲みやすいので、進みますね」
気が付くと酒杯は空いていた。
桓タイは笑っての酒杯に新たな吟酔(ぎんすい)を注ぐ。
しばらくは味を堪能していただったが、向かいに座って飲んでいる桓タイに目を向けると小さく言った。
「将軍はとても力持ちなんですね」
すると桓タイは少し顔をあげ、しばらくを見ていた。
拙いことを聞いてしまったのだろうかと、不安に思い始めてようやく、その瞳が逸らされた。
「半獣、だからな」
「でも私の知り合いの半獣は非力でしたよ?小さい頃、隣に住んでいて、仲の良かった子がいたんです」
正面に戻ってきた桓タイの顔が、興味深い眼差しでを見た。
「仲が良かった?半獣と?」
「ええ。おかしいですか?」
「いや、むしろ嬉しい」
同じ半獣としてそう言ったのだろうが、は少し頬を染めた。
「だって、同じように考える事が出来て、同じように生きている。獣の姿を持っているのだって個性だわ。半獣を差別すると言うのなら、麒麟だって同じじゃない…って、小さい頃は思っていました。あ、これは台輔には内緒ですよ」
くすりと笑い、口に人差し指を当てて片目を閉じた。
「もちろん、内緒にしている…と言うより、とても言えない」
「ふふ、それもそうですね。でも、本当にそう思っていたんです」
「偏見がないのは嬉しいな。半獣などに誘われて、迷惑ではないかと…」
立場上、断ることが出来ずにいるのではないだろうかと考えていた。
「迷惑だなんて…そう思っていればここにいませんよ。だって、将軍は私を助けて下さったでしょう?それなのにお酒までご馳走になって」
「助けたも何も、俺のせいで…」
「いいえ、将軍のせいではありませんよ」
そう言うとはまた酒を口に含む。
香りはまだ消えることなく漂っている。
世界はすでに暗く、灯りのない庭院では桓タイの表情が分かりにくい。
「灯りを持って来ましょうか」
「いや、大丈夫だ。時期に月が昇る。今日は満月だろうから、灯りがなくとも明るいだろう」
桓タイの言うとおり、しばらくすると月の光が射し込んでくる。
「将軍は…月がよく似合いますね」
「え?」
「何というか…その…夜にお会いすることが多いからでしょうか?」
そう言うとは甍(いらか)の端に見え始めた月を仰ぐ。
桓タイも習うように見上げた。
玉鏡は美しく二人を照らし出す。
満足げに酒を煽ると、それが最後だと気が付く。
新しい物を、と言って一度中に入った桓タイ。
棚から新しい別種の酒を持って戻る。
はまだ月に魅入られているようだ。
卓子に肘をついて眺めている。
さわりと吹く風は、柔らかそうな髪を揺らしていた。
その様子に、桓タイは思う。
こそ、月が似合うのではないかと。
そんなことを考えていると、が振り返って微笑んだ。
「将軍はお酒に強いですね。酔ったりしないんですか?」
まだ酒杯に残っている吟酔(ぎんすい)を飲みながら、はそう問いかけた。
「酔わない事はないが…我を失ったりはしないな」
「へえ、凄いですね」
「は?」
「私は強くないので、この吟酔で丁度良い感じです」
そう言うと、またしても微笑み、首を少し傾げる。
その諸動作に、桓タイは少し胸が鳴ったような気がした。
それからも二人の酒は進む。
甍を掠めて現れた月は、すでに中天に達しようとしていた。
やがて夜も深まった頃、はそろそろと言って立ち上がる。
「送っていこう」
「いいえ、そんな」
「夜も遅い。女性を一人で歩かせる訳にはいかない」
「でも、国府ですよ?滅多なことはありませんでしょう」
そう言っては立ち上がる。
少しおぼつかない足取りで官邸の中へと入っていった。
「送っていく。こけたりしては大変だから」
言いながら後を追ってくる桓タイ。
それにくすくすと笑う声が答える。
「こけたり致しませんよ。子童ではありませんから」
「うん。でも送っていく」
強く言いきった桓タイに、はそれでも笑っていた。
酔っているのだろうか、それ以上遠慮することはなかった。
ゆっくり下る二つの影。
やがて見え始めた外朝に、桓タイは少し寂しい思いを感じながら歩く。
は相変わらず微笑んだまま、やはり頼りない足取りで進んでいた。
「きゃ…」
小さな叫びが聞こえ、の体が傾く。
桓タイは急いで腕を伸ばし、その体を受け止めた。
「…ついてきてよかった」
そう呟くと、笑ったの顔が桓タイを振り仰ぐ。
「これでは子童と変わりませんね」
大丈夫だと言ったのに、こけそうになった自分が滑稽だった。
「あの、将軍。少し休憩してもいいですか?」
は右に伸びている小道を指さしてそう言う。
細い道がどこに伸びているのか、桓タイは知らない。
「では道案内を頼む」
そう言うとを抱え上げて小道に入っていく。
驚いて言葉を失っただったが、照れたように俯いたまま指さす。
しばらく歩くと、拓けた場所に出る。
平らに均された、何もない円形の台地。
見張りのために造られたのか、見通しがよい。
そこは外朝が一望できた。
夜の闇は月の明かりによって緩和され、穏やかで優しい光を二人に送り続けている。
台地の端には柵が設けられ、その下には誰かの官邸がある。
柵に腕を置いて瞳を閉じる。
吹く風が頬に触れ、それを気持ちよさそうに受けている。
桓タイは景色を見ることも忘れて、瞳を閉じたを見つめていた。
何故こんなにも気になるのだろうかと考えながら。
そう、何故か気になって仕方なかった。
危険な冬器がその体を襲い、下敷きになって気を失った時はもちろん心配だったが、回復してからもその様子が気になっていた。
それが体力に関する心配だったかと考えると、少し違うような気もする。
ただ気になって、その顔が頭を離れなかった。
そう、あの時からだ。
眠っているを、ただじっと眺めていた時から…。
「気持ちいいですねえ」
瞳を閉じたまま、首を傾げるようにして風を受けている。
まただ、と自らの胸元に目を落とす。
大きな鼓動が聞こえたのだった。
眠っている穏やかな表情。
それが動き出すと零れるような笑顔が向けられる。
この感情がさすものと言えば…。
「まさか…」
「え?」
気付かぬ内に声に出ていたのか、の瞳が開けられる。
月華の中で、不思議そうな顔が桓タイに向けられた。
「あ、ああ…いや。なんでもない」
誤魔化すようにそう言った桓タイは、景色を眺めるように顔を背けた。
「夜の気候が昼も続けばいいのにな」
「ええ、本当に。よく大宗伯に怒られますから」
「大宗伯に?どうして大宗伯に怒られる事が…」
「あ…それは、その…暑いものですから、少し…なんと言いますか…その…はだける、と言うか…」
「はだける!?」
叫ぶような桓タイの声に、驚いてしまった。
「あ、いや…すまん。その…はだける…とは…?」
「少し襟元を緩めまして、風を送るのですが…大宗伯に叱られてしまいます」
恥ずかしそうに言ったは、顔を下に向けて頬を染めている。
しかしその様子を桓タイが見ることはなく、宙を見据えたその視線の先には想像という世界が広がっていた。
ただの想像とは恐ろしいもので、が言ったそれよりもずっと露わである。
自らの想像、いや、妄想と言っても過言ではないそれを、慌てて消すように首を振る。
その動きに気がついたは、桓タイに声をかけた。
「どうかなさいましたか?」
下から覗き込んで問いかける。
その視線、諸動作すら、動揺を煽る。
「あ、いや…ちょっと…」
そこから顔を逸らし、あらぬ方向を見つめる。
しかしはさらに詰め寄って桓タイを覗き込むように見ている。
「でも…何かお顔が…まさか今になって酔いが回ってきましたか?」
「い、いや。大丈夫だ…なんでもない」
あまり近付かないでほしいと思うのは、桓タイの心の独白であった。
「本当に大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込む顔を直視出来ず、月を仰いでやり過ごす。
少し情けないような気もするが、それ以上どうしようもなかった。
「も、もう遅い。明日に障るといけない」
そう言って歩き出す桓タイ。
一人進んでしばらく、思い出したように立ち止まって振り返る。
少し遅れてついて来るを振り返って手を伸ばした。
「大丈夫か?」
「あ…はい」
にこりと笑い、照れたように伸ばされたの手を取り、支えることが出来るよう隣に並ぶ。
再び小道に戻り、下山を再開した。
の自宅に到着したのは、それから瞬く間であったような気がした。
最後に軽く礼をとって帰っていく後ろ姿を、寂しいような、安堵したような複雑な心境で見送り、一人内朝へと戻っていった。
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