ドリーム小説




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その日の夜、はいつになく、穏やかな気持ちに満たされていた。

斎王を忘れられずにいたこの三百年を、そっと振り返ってみるが、昨日までの苦しさは薄れていた。

「本当に良い方々だわ」

自らの言った音に、はっとなっては固まる。

『本当に良い方だわ』

昔、呟いた事がある。

それは紛れもなく、遵帝に対して発した音だった。









違う、ここは奏なのよ…









言い聞かせるように、何度も心中で呟いたが、捕われたかのように思い起こされる。

穏やかな気持ちは費え、知らず握り締められた手。

こんな時の対処方法は一つ。

「体を動かせば…」

舞う為に扇を持ち、弔いの心境を胸に、は立ち上がって、自室を出る。

また露台に向かおうと思っていると、前方から歩み寄る人物がいる。

「こんな時間に…?」

そう思って見ていると、それは利達であった。

「このようなお時間まで、ご政務ですか?」

かけられた声に驚き、書面から眼を離してを見る利達。

「ああ、いや、少しだけ残っていたので。明日でも良い事だったのだが…」

「ご苦労様です。お夜食でも、おつくり致しましょうか?」

「いえ、それには…」

及びませんと言いたかったであろう利達の声は、腹の鳴く声で途切れた。

くすくす笑いながらは、お待ちくださいねと言って、その場を離れた。

赤面したまま、利達はどこで待てばいいのだろうと、しばらくはその場に留まっている。









やがて軽食を携えて戻ってきたは、その場で突っ立っている利達に驚いた。

しかし、先ほど抱えていた書面がない事を見て、一度自室に戻っていた事を理解する。

庭院のほうに移動し、草地に腰を下ろした利達を見て、も隣に座った。

「本当に、簡単な物ですけど…」

「いや、申し訳ない」

そう言って、つまみ始める。

「美味しいな。母さんが習いたい訳だ」

「いえ、そんな…」

照れたように笑って俯いただったが、ふいに顔を上げて利達の名を呼ぶ。

「あの、利達様?」

何か問いたげな表情のに、利達は口の物を飲み込んでから振り返る。

「ありがとうございます」

唐突に礼を言われて、利達は驚いて言い返した。

「こちらが礼を言うほうなのに…ありがとう。これでぐっすりと眠れそうだ」

「あ、いえ…」

どうやら思考がすれ違っているようだが、利達にはどこで何がすれ違っているのか、さっぱり理解できずにいた。

褒めた事に対して、わざわざ改まって言うはずもないだろうし…

しばらく考えてみるが、やはり判らず、ついに疑問は口を突いて出る。

「何に、礼を?」

「みなさまに…とても温かい気持ちを頂きました。奏の民ではないのに、これほどのご温情を賜って…」

なるほど、と利達は頷いた。

「それは気にしないほうが良い。奏国民であるとかないとかは、恐らく関係ないだろうな。母さんは個人的な老師として雇ったのだし、老師とうまくやっていきたいと思うのは、良き生徒の証なのではないかな?文姫も姉が欲しいと言っていた事もあったから、楽しそうにしているしな」

もっとも、と利達は付け加える。

「三百年以上前の話だが…」

はくすくすと笑ってそれに答える。

「では、先新様が登極なさる前ですね?」

はその頃を知っているのだろうか?」

笑うにつられて、自らも笑いながら、利達は素朴に思った疑問をぶつけてみたが、の表情に驚いて笑い顔を消した。

「存じ上げております。その頃、私は斎王にお仕えしておりましたから。蓬莱渡りの役に立ちそうな物を、指導して技師に作らせては奏上する。それが私のお仕事でした」

卿だと言っていたのを思い出し、利達は問う。

「小司空?」

「さすがでございますね。はい、冬官でございました。海客だと言うのが役に立つ国があろうとは、思ってもいませんでしたが」

は気遣わせた事を悟り、慌てて笑顔を作る。

「遵帝は…徳の高い方とお聞きした。登避された時は、驚いたが…

利達は少し改まった感じで、の名を呼ぶ。

「わたしは、が幸せになることで、遵帝へのご恩返しが出来るのなら、と思う。奏が豊かになったら、いずれご本人にと思っていたのだが、それは叶わない夢となった…すまない」

ふいに出てきた遵帝の名に、胸が締め付けられるようにして聞いていたは、謝る利達を驚いて見つめる。

「何故、利達様がお謝りになるのです?」

目を見開いて見つめるに、利達は苦笑しながら頷いた。

「確かに、わたしが謝ってどうとなる問題でもないが…辛い事を思い出させたようだ」

「いえ…こちらこそ…お気遣い、ありがとう…ございます」

溢れ出す物を堪えきれず、途切れがちになる言葉を必死に言い切った

利達はいたたまれない気持ちで、それを見つめていたが、ふと無意識に腕が伸びていた。

震える肩をすっと引き寄せ、気を落ち着けようと優しく撫でる。

「民を虐げた訳でもなく、道理をなくした訳でもない王が天の摂理に触れたというのは、とても痛ましい事だった。お傍にいた者なら、それを悔やまれる気持ちも判る。だが…。こんな事を言うのは愚かで、失礼に当たるとは思うのだが…もし、遵帝がご健勝なら、三百年もの間、それで胸を痛めているをどう思うだろうか…悔やんでくれ、泣いてくれと言うだろうか…」

は息を呑んでそれを聞いた。

心の中で利達の言った事を反復する。

忘れてもいいということなのだと、一瞬だけ考えた自分を思い起こす。

「利達様なら、どう、思われますか?」

「もし、わたしが同じ立場であったのなら…に泣いて欲しいとは思わない。むしろ、泣いて悔やむ姿を見れば、いたたまれまい。徳の篤いお方なら、なおのことだろうと思う」

は縋るような眼で利達を見つめていた。

「貴女の涙は、美しい真珠の色をしているが…悲しみの為に流されたのでは、濁ってしまう」

そう言って微笑む利達に、の涙は少しずつではあったが静まっていった。

その間、利達はずっと背を撫でていた。

やがて、涙の収まったは、小さな声で利達に言う。

「遵帝が身罷られたのは、青天の霹靂(へきれき)でございました。天の雷に打ち抜かれておしまいになった…私は、それを見ておりました。身罷られた後も、どこに誤謬(ごびゅう)があったのか、誰も知りえる事は叶いません。そして私は、範である言葉を聞きました」




―覿面の罪―




誰もその死を理解できず、疑問ばかりが飛び交っていた。

しかし才に新王が立ち、国氏が変わったのだと聞き及ぶ。

天罰が下ったのだと、その時初めて知った。

は、何故範に?」

「主上のご遺志を継ごうと…身分を隠し、範の王宮に潜り込んでおりました。いいえ、ご遺志と言えば聞こえは良いのですが、私は長閑宮に留まるのが辛かったのです。主上と台輔の死を悼み、嘆くにはあまりにも突然で…まだ、受け入れる事が出来なかったのです」

が範に向かってまもなく、範の国主も身罷った。

天命が尽きたのだった。

その後、荒民の救済に始まり、国土の傾きを止めようと必死になっていた。

だが、才に新王が立ち、遵帝の死が天罰によるものだと知ったは、自分でも気がつかないうちに範を出ていた。

それに気がついたのは恭であった。

恭の沿岸部で白海を見て、やっと気がついたのだ。

それからは放浪の身となる。

「私は…範で国政に携わり、荒民を助ける事で、自身の中で主上と台輔を、生かしたかったのかもしれません…」

それほどまでに痛嘆していたのだろうと、利達は思わずにはいられない。

「三百年の時を経て、今その罪は、遵帝の故事と呼ばれております…故事と」

にとっては、まだそれほど鮮明なのだな…だが、この手はもう、赤く染まっていない。わたしには綺麗な真珠に見える」

利達の手がの手元に移動し、そっと包みこむ。

言われたは、小さく戦慄き、目を見開いて利達に問うた。

「何故…ご存知なのですか…?」

驚愕ともとれるその声に、利達は軽く首を傾げた。

「知っていた訳では…ただ、そのように思っているのではと、危惧したまで」

利達の危惧した通りだったのだ。

が一番忘れられない記憶。

それは血に染まった自らの手だった。

主の血が、助け起こしたときの感触が、まだ映像として蘇る。

瞳を閉じるだけで、簡単に思い起こす事が出来る。

「忘れる事は出来ないだろうが…それを薄くする事は出来る。辛さを超えるほどの、楽しい思い出で埋めていけばいい。真珠の手から、赤い記憶が消えるほどの思い出を」

の手を持ったまま、それを引き寄せる。

「ここで、楽しい事をたくさん作っていけばいい。そのために、力になれる事があれば、何でも言ってくれていい」

「利達様…」

感謝の言葉を述べたかったが、それは涙にかき消されてしまい、声にならなかった。

だが、その涙の色は、透き通るような真珠色であったという。



続く






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お兄さま登場です。

忙しい方なので、なかなか出せませんでした…

と言い訳もした所で、背景は白梅。

色々とあるのですよ。色々と☆

                               美耶子