ドリーム小説
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千草の糸 =11= 後宮へと担ぎ込まれたは、瘍医の手に委ねられた。
「目を覚まさないうちに、退散いたしましょう」
そう言った朱衡に促され、三名は後宮を後にする。
「あの琴の音は一体…」
正寝に戻って開口一番、それを言ったのも朱衡だった。
「聞き覚えがあるな。何処であったかは忘れてしまったが」
聞き覚えがあると言った主に、二人分の目が向けられた。
「お前達はないのか?」
問われた二人は、しばし記憶を探っていた。
だが、首を横に振ってないと答える。
「では、楽士の類ではないのだな」
「それは、どうでしょうか」
朱衡は不思議そうな声で答える。
「どうゆう意味だ?」
横から帷湍が口を沿え、尚隆も朱衡に目を向ける。
「楽士達の演奏と言っても、取り立てて一つの旋律を聞く事など、稀でございましょう?練習用の曲もあれば、合奏用の旋律もある。先ほどの旋律が独奏用のものであるのか、合奏用のものであるのか、楽士ではないわたしには、残念ながら判断できませんが…」
なるほど、と呟いた主の声を最後に沈黙が降りる。
しばらくして、帷湍が口を開く。
「ともかく、朝議が始まる。終わってから再度…」
帷湍が最後まで言い終わらぬ内に、扉が開かれる。
「六太か。どうした?真面目に朝議に出るのに、道連れにでも来たか?」
「…」
軽口に何も返答がなく、六太は黙って主の顔を見ている。
「黙っていては分からんぞ」
「何でもない」
六太はそう言うと、ふいっと踵を返す。
「何を感じた?」
唐突に尚隆の問いが投げられる。
昨日に引き続き、六太が様子を見に来たと言う事は、何かを感じ取ったのだろう。
六太は足を止めて、尚隆を振り返った。
しばし逡巡して口を開く。
「…お前…何を持ち込んだんだ?」
問われている意味を図りかね、三つの顔が宰輔を見つめていた。
「昨日の晩にも、微細な力を感じた。ちょっとやな感じだな…。今朝も起きたら同じ力を感じた。正寝の方からだったんで、見に来たんだけど…もう、今は何も感じない」
「やはり麒麟は敏感だな。俺が持ち込んだかどうかは分からぬ。が持ちこんだやもしれぬ」
「が?」
今度は六太が意味を図りかねているようだった。
朱衡と帷湍から簡単に説明が施され、六太は後宮の方へと足を進めようとしていた。
しかし、朱衡によってそれは阻まれた。
「今から朝議ですから、その後になさいませ。今は眠っておられます」
「でも…」
「宰輔におかれましては、朝議に参加するのは三日ぶり。これまでのたまった奏上がございます。それが終わってからでなければ、断固として後宮へ近付くことは許しません」
「のため、だぞ?」
「朝議が終わってからでも、遅くはございませんでしょう」
「遅かったらどうするんだ?」
「その時はその時です」
意外と無責任な発言をした朱衡に、諦めきれぬ六太の視線が刺さっていた。
だがそれを気にも留めず、朱衡は六太の腕を掴んで歩き出した。
黙って見送っていた尚隆と帷湍は、ふと目を合わせた。
すぐさま逸らした尚隆に、帷湍は意地悪く笑う。
「まさか、台輔のように引き摺って行かなくとも、きちんと朝議には参加するのだろうな?」
「やっぱり出るのか?」
「当たり前だ!」
「毎日真面目に出ておるだろう。一日くらい…」
「毎日だと!?昨日の朝議には王も宰輔もいなかったんだぞ!!」
「そうだったか?」
「忘れたとは言わせんからな!!!」
「まあ、そう怒るな」
体中の血が頭に集まった帷湍を見ながら、尚隆は朝議へ向かうために歩き出す。
帷湍は途中で夏官に主を任せ、朝堂へと向かっていった。
朝堂には、全員が集まっていた。
朱衡が成笙に事情を説明している。
帷湍は二人に近寄っていき、成笙に見張りを強化するように言う。
「どうやら心当たりがあるようだからな。いつ抜け出してもおかしくない」
鼻息も荒く言った帷湍に、成笙は真面目に分かったと返す。
朝議が終わると、朱衡は楽士を集め、弦楽器を中心とする者ばかりを引き連れて、王の許を訪ねた。
独奏を命じ、物悲しい旋律のものを中心に、一人一人に演奏させていった。
しばらくすると、げんなりとした声が横から聞こえてくる。
「こうも静かなものばかりだと、眠くてかなわん」
そう言った主に苦笑しながら、朱衡は一度中断させる。
楽士一同を見渡し、自分が聞いた旋律を思い出しながら、知らぬものはいないのかと問う。
そこへ、飛び込んで来るものがいた。
「尚隆!」
勢いよく開いた扉の前に、肩で息をする六太がいた。
「なんだあれは?どうなってんだ?」
その表情から、朱衡は春官達を退がらせた。
それを待って、尚隆から声がかかる。
「の事か?」
「怨嗟の類だぞ、あれは…が恨みをかうとは、思えないんだけどな…だけど、あれは間違いなく怨嗟だ。怨嗟と呪詛が同時に渦巻いている」
「怨嗟と呪詛?」
「そうだ。近寄ればそれぐらいは分かる。昨日感じ取った力は、からだったんだな…でも、今日の方が怨嗟は強くなってるんだ」
今、王を目の前にして、やはりその力が消えていることを知った。
後宮からここに来るまでの間、ずっと感じていた力が、ぷっつりと切れてしまった。
王気には、呪を消すような力もあったのだろうか?
「は起きていたか?」
「話をしたけど、さっぱり心当たりはないってさ」
「まあ、そうだろうな」
尚隆は椅子に深く座りなおし、腰を沈めていった。
思い出せそうで思いだせない、寂寥の旋律が分かれば、この糸口になるのだろうか。
「そのさ…逢いたいって、泣いてたぞ?」
「…それは出来んな」
「なんでだよ!」
怒りに赤くなった六太を、朱衡がなだめて事情を話す。
「え?近寄れない?琴の音?」
難しい顔をして考えこんでしまった六太は、しばらくして踵を返した。
「もう一回、に会ってくる。なんか閉じ込められて、かわいそうだからさ」
「大丈夫なのですか?」
「うん、大丈夫だ。血の臭いがする訳じゃねーし」
そうは言ったが、実際にを目前にすると、若干の息苦しさがある。
それでも六太は再度向かおうと心に決め、その場から離れていった。
後宮につくと、まっすぐにの許を訪ねる。
再度訪問してきた宰輔に、は驚きを見せていたが、先ほど泣いてしまった事を恥じ入って、膝をついて謝った。
「いや、いーよ。それより、起き上がって大丈夫か?」
「はい。体のほうはもう何ともないのです」
は立ち上がって、六太に敬茶を入れるために動く。
先ほど感じていた力がさらに影を潜めている事に、六太は気がついた。
息苦しくもなく、僅かに違和感を残すに留まっていた。
「台輔、桃はお嫌いですか?」
「桃!おれ、桃好き」
「では、一つ剥むきましょうね」
微笑んで言うは、まったく通常と変わらない。
先ほど対面していた時とは、雲泥の差だと思った。
今にも消えてしまいそうだったのに、今はしっかりと存在を示している。
剥いた桃と、茶器とを運んできたは、軽く六太に微笑みかける。
一先ず笑って返しておいて、六太は桃を頬張った。
は茶器を二つ置き、茶杯を満たして、一つを六太に差し出した。
そして、静かに口を開く。
「台輔。ありがとうございます」
微弱だった力が少し大きくなったような気がして、六太は噛む口の動きを止める。
「お気遣いをさせてしまった事、心よりお詫び申し上げます」
「い、いいって。堅くなんなよなー」
明るく言って、その力を撥ね退けようとした六太。
「主上だけではなく、朱衡さまや帷湍さまにまでご迷惑を…」
また、力が強くなる。
「気にすんなよ。みんなやりたくて勝手に動いてるんだから」
「はい…そう言っていただけると、少しは楽になったような気が致します」
「そ、そうか?」
少し増した。
先ほどよりも怨嗟の力が。
息苦しさを感じる。
「…ところでさ、は地官から移動しねーの?」
ふと投げかけた質問。
六太自身、特に問いたい事でもなかったが、思い悩んだの気を紛らわそうと、関係のない質問をしたつもりだった。
「ありがたい事に、色々とお声をかけていただいて、とても困ってしまったので…勢いと言いましょうか、そのまま地官に留まると言ってしまったのです。でも、地官のお仕事は楽しくて好きですから、無理に移動をしなくてもよいのですが…」
力が急激に弱まり、六太は知らず安堵の息を漏らしていた。
「でも、迷惑をかけておりますわね。合議の後から出ておりませんもの」
はそう言って、地官府の方向を見ていた。
気を紛らわすつもりで聞いたのだが、悲しそうな顔に戻ったに、六太は一瞬焦った。
だが、先程との違いに気がつく。
「あれ?」
不思議そうな声を出した六太に、は地官府の方から視線を前に戻した。
「どうかされましたか?」
「あ、うん…。いや、なんでもない」
手を前に立てて、そう言ってはみたものの、何かが引っかかっている。
しばし考え込んだ六太は、小さく頷いて顔を上げた。
「尚隆がさ…」
そこまで言って、六太は場の空気に凍った。
再び怨嗟が舞い戻ってきた。
呪詛の力も、はっきりと感じ取る事が出来る。
「あ、いや、違った。朱衡がさ、春官に欲しいって…」
慌ててそう言った事によって、その怨嗟は急激に力を弱めた。
「春官にでしょうか?でも、何かの役に立つのでしょうか?」
すっかりと通常の空気が戻ってきて、六太はやはりと思う。
「さあ、わかんないけどな。でも、尚隆の評価も高いようだし…」
再び、空気が濁ったような気配がする。
「それは、かいかぶっておられるのですわ」
「治水の事では帷湍もかなり評価しているぞ」
急激に澄んだ空気に戻る。
「たまたま、思いついただけですから…太宰にはとても喜んで頂けるので、案を出すのが楽しいのでございます」
「そうか…成笙までもが欲しいと言っていたぞ?」
「夏官に、でございますか?私は戦い方など、存じ上げませんが」
「うん。そうなんだけどな。文官として夏官にいてくれれば、かなり助かるんじゃないかと言ってた。ついでに秋官からも、冬官からも欲しいって聞いたことがあるから、大変だな、今の大司徒は」
そういい終わった六太は、笑っていた顔を真顔に戻し、に正しく向き直る。
「。誰かに恨みをかった覚えは?」
突然問われたは、それが聞きたい本題なのだと思い、六太に習って正しく向かい合う。
「先ほどもそう聞かれましたが…記憶にある内ではございません。ですが気づかぬ所で、そのような事があるのかもしれませぬ」
「ただの確認だから、気を悪くしないでくれよな」
「とんでもないことです。お気遣い、感謝しております」
「頭痛の原因についてだけどな…」
場の空気が変わる。
怨嗟の力が微弱に現れる。
「怨嗟なんだ。それと、呪詛」
「怨嗟と、呪詛?私がそれにかけられているのですか?」
「そうだ。でも、心当たりはないんだろう?だとしたら、尚隆が原因じゃないか?」
微弱だった怨嗟の力は大きくなり、呪詛の力も表に現れている。
六太は仰け反りそうになる己の体と葛藤しながら、に続けて話す。
「今、頭の中で尚隆の顔が浮かんだだろ?きっと、尚隆の事を考えると、怨嗟は強くなるんだ。を呪ってる奴が、二人を邪魔してるんだと思う。帷湍や朱衡の事を思い浮かべる時には、何の力も感じない…」
息苦しいのか、喉元に手を当てている六太。
「台輔…どこかお苦しいのでは…?」
「だい、じょうぶだ…でも、できれば…尚隆の事は、考えないでもらえると、ありがたい」
そう言われて、は必死に違うことを考えようとした。
だが、変に意識をしてしまうと、思い浮かぶ顔は王の顔ばかり。
どうしようかと困ったは、ついに六太をその場に残し、扉を空けて行ってしまった。
制止する声を無視して、伸びてきた女官の手をも振り払う。
ただ無我夢中で走っていたは、かき鳴らす琵琶のような音を聞いて、ようやくその足を止めた。
王が近くにいるのだと、その音から分かった。
気がつくと、正寝の一角にいる事に気がつく。
音を避けていこうとする意思とは裏腹に、足は何故か南に下り始めていた。
ようやく足が止まった所は、が二度程倒れた庭院だった。
かき鳴らすような音は消え、代わりに寂寥の音が響いていた。
引き寄せられるようにして南東に向かい、その場で崩れ落ちる姿を、見たものは誰もいなかった。
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