ドリーム小説
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千草の糸 =12= 六太が王の自室に駆け込んで来たのは、後宮に向かってさほど経過していない頃合だった。
「早いな。さては逃げられたか」
笑いながら言う王に、六太は黙って頷いた。
「女官達に後宮を探させてる。すぐに見つかるだろうけど…それよりも、分かったんだ」
「分かった?何がだ」
「から発せられている怨嗟が、どう出てくるのか。尚隆に近付くと起きる。それと、尚隆の事を考えても起きる。恨みをかったの、お前じゃねーの?が尚隆の事を考えると、怨嗟が大きくなる。何かが邪魔したいのか…分からないけど、考えるだけで怨嗟が大きくなるんだから、近付いていけば実害となって現れるんだろう。それが音だったり、痛みだったりするんだ」
「なるほどな…では、何がそれを引き起こしているのかが問題か」
「心当たりあるんだろ?」
「ありすぎて分からん」
きっぱりと言い切ったそれに対し、六太は呆れた視線を寄越していた。
「そうだよな、お前ってそうゆう奴だよ」
溜息混じりに言った声に、尚隆は畳み掛けるようにして言う。
「見直したか?」
「阿呆!呆れてんだよ!!」
とにかく、と言って六太は踵を返した。
「早くなんとかしてやれよな!」
そう言って六太は後宮へと戻って行った。
六太が後宮に戻ると、はまだ戻っていないと言う。
焦った六太は他の天官にも協力を仰ぎ、かなりの人員を裂いてを捜索した。
しかし、後宮を隅々まで探しても、はいなかった。
これはいよいよ王に報告をしようかと考え始めた頃、が戻ってきたと報が入る。
急いでの許に向かうが、女官に遮られ、今は会えないと言われてしまった。
「大丈夫なのか?」
「かなり調子は悪いようでしたが、意識ははっきりしておられます」
「そうか。じゃあ、後は頼んだぞ」
「はい」
六太が後宮を退出してまもなく、はそっと房室から抜け出していた。
「さま」
呼び止められたは、焦るような気配もなく、ゆっくりと振り返った。
抜け出したのを見咎めた女官に、呼び止められたのだった。
「大丈夫ですよ。少し夜風に当たって一人になりたいの。すぐに戻って来るから一人にして…もう、取り乱したりしませんから」
その口調に、若干違和感を覚えながらも、女官はそれを受け入れた。
監禁している訳ではないのだし、そもそも後宮に留め置けという命は、体を休ませるためだと聞いている。
それならば、常に監視している必要もない。
倒れないかだけが心配だったが…
「では、体調がすぐれぬようでしたら、すぐにでもお戻りください」
「分かったわ」
ふらりと歩き出すを見送って、女官は戻って行った。
暗くなった宮道を歩き、は正寝へと向かっていた。
王を尋ねると、驚いた主がを見ている。
「。大丈夫なのか?」
「もうすっかりと」
にこりと微笑むに、尚隆はまだ警戒していた。
歩み寄った瞬間に倒れるのではないかと思うと、迂闊に動くことが出来ない。
だが、そんな尚隆の思考を無視して、は自ら歩み寄る。
尚隆の目前まで来て、微笑んでいる。
背に腕を回し、胸元に顔を埋めるに、変化はないように思われた。
「本当に大丈夫なのか?」
「ええ。なんともないわ」
「…。逢いたかったか」
「とても…とても逢いたかった…」
顔を上げたの瞳は、涙を蓄えていた。
そっと瞳を閉じて、口付けを待っている。
しばし動かずにその様子を見ていた尚隆は、その顎を固定して口付けを落とす。
唇が触れても、の体が動くことはなかった。
ゆっくりと離すと、再び胸元に頬を預け、は小さく呟く。
「私を…抱いてください」
尚隆はの腕を掴み、その体を引き離した。
まじまじと顔を見て、何も言わない尚隆に、は不思議そうな表情を向けた。
「あの…なにか…?」
「いや…」
ふっと顔を逸らした尚隆は、再びその体を腕に抱きとめ、静かに聞いた。
「いいのか?」
「はい」
短い返答を待って、手を引かれる。
臥室に移動し、牀榻の中へと連れて行く。
牀へと横たわった女は、尚隆を見上げていた。
何も言わず、ただ見上げている。
いつかのように、上から組み敷くような体制のまま、口付けを落とす。
徐々に深くしていく口付け。
それを受けた女の舌が、僅かに動くのを感じた。
唇を離した尚隆は、再び女の顔を見た。
動きが止まった事によって、の瞳が開かれる。
「どうかしましたか?」
眉を顰めて、何でもないと答えた尚隆は、再び唇を奪う。
そのまま舌を這わせて、下降していく。
首元に到達した唇は、軽く肌を吸い上げる。
「あ…」
僅かに漏れる声。
胸元に手を這わすと、それに反応した体が動く。
だが―――
尚隆はぴたりと動きを止めた。
体をから起こし、その顔を覗き込む。
「お前は、何者だ」
女は答えない。
「何者かと聞いておるのだが」
「どうして、抱いてくれないのですか?」
「ではないからだ。意識のない女を抱くような趣味はない」
「ずっと求めていたのに?」
「求めていたのはであって、お前ではない」
「…何故…?」
「何故とは?」
「何故、ではないと…」
そう言われた尚隆は、完全に体を起こして笑った。
「気がつかぬと思うか?まるで違う。男に慣れないから比べれば、お前は花娘(ゆうじょ)のようだが?」
「花娘では、いけませんか…」
笑っていた尚隆は、ぴたりとそれを止めて女に向き直る。
「そうゆう問題ではない。の体を使って、何をしようとしている」
「何も…ただ、貴方に抱かれたいだけ…」
「お前は誰だ」
「名を言っても分からないでしょう…いつから気がついたのですか?」
「二言目からだ」
そう言うと、女はふっと沈む。
意識を失ったのだ。
「―――ま…」
小さな声が女の口から発せられ、尚隆の見守る中、はっきりと口が動く。
「わ…様…若様…お逃げになって…やめて…やめて!」
「!」
はっと目が開かれる。
目を見開いたまま、の表情は固まっているようだった。
「、大丈夫だ。ここは周防ではない」
が戻ってきている。
尚隆はを腕の中に抱きとめ、その背をあやすように叩く。
「しゅ…じょう…」
自分で言った声が現実を呼んだのか、の体が動く。
「尚隆さま…お逢いしとうございました…」
腕が尚隆の背に回り、微かに震えを伝えている。
「音は聞こえぬのか?」
「音…そう言えば…今は何も聞こえておりませぬ…」
はそう言って、しばし間を置いてから尚隆に問いかけた。
「私は…何故こちらに居るのでしょうか…?後宮で台輔とお話をさせていただいていたはずなのですが…」
尚隆はしばらく沈黙を守った。
言ったものかどうかを迷っている。
「覚えておらぬのか」
「…はい。台輔から、音の原因らしき物を伺いました。怨嗟と呪詛だと仰って、尚隆さまの事は考えないでほしいと…。お苦しそうでございました。ですが、考えるなと言われてしまうと、逆に考えてしまって、台輔を苦しめる原因になっていたようなのです…台輔から離れようと、房室を出たところまでは覚えております…ですがその後が判然としないのです…」
「今見た夢のことは?」
「今…?夢を見ていたのは、なんとなく覚えておりますが…どのような夢だったのかは…」
「周防の夢のようだったぞ」
「また、周防の夢を…?」
「夢から覚めると、必ず名を呼ばぬ。五十年間、守り続けていた呼び方に、戻るようだが」
「あ…確かに、先ほど私は主上と…何故でしょう…」
「自制の心が働いているのだろう。恐らくそれも呪詛の一つだな」
尚隆を思う気持ちを、萎えさせようとしているように思われる。
黙って聞いていたは、分からないといった表情をそのままに、体を起こした。
はらりとした感触と供に、肩が肌蹴るのを感じた。
驚いて絶句した。
慌てて衣をかき集め、胸元を隠している。
「隠さずともよかろうに」
「こ、これは…何故…あの…」
真っ赤になっているのが、暗闇の中でも分かった。
「迫ってきたのは、からだぞ?」
からかうように言って、その腕はの体を包み込む。
「わ、私がでしょうか?」
「そうだ。やけに手馴れた感じではあったがな」
「て、手馴れて!?」
慌てて尚隆の腕の中から、逃げ出そうとする体を、しっかりと包み直す。
「。何かがお前の中にいる。女だと言う事以外は分からぬが…それがを苦しめている」
動きを止めたは、頭だけを動かして尚隆を見上げる。
「その何かは、私に何を求めているのでしょう?」
「俺に抱かれたいようだな」
目を見開いただったが、ややしてその顔を伏せた。
「その方は、尚隆さまをお慕いしておりますのね…確かに、音色の中にそのような感情を、感じたような気も致します。でしたら…」
「体を貸そうなどと、言い出すなよ」
「ですが…」
「自分の意思がなくなってしまうぞ」
「でも願いが叶えば、消えるのではないでしょうか?」
「人の体を乗っ取ってまで思いを完遂しようする者が、たった一回だけで満足すると思うか?欲望は果てしなく広がるものだ」
「そう、でしょうか…」
そう言ったきり、は黙ってしまった。
「」
呼ばれた声に、ふと顔を上げる。
見上げた双眸を、尚隆の漆黒の瞳が捕らえる。
その瞳が僅かに戸惑いを含んでいる事に、は気がついて口を開く。
「尚隆さま…恐らく、今は大丈夫かと…」
尚隆はの頬に手を沿え、顔との距離を縮めていった。
静かに、優しい口付けが落とされた。
びいいいぃぃいぃん
「あっ…つ…」
またしても鳴り響く音色。
どうやら口付けが、呪詛の合図になっているようである。
頭を抑えたままのは、なんとかそれに耐えようと体を強張らせている。
「今は、鳴っておるのか?」
「いえ…今は大丈夫でございます。一度鳴ったきり…」
「最初の状態に戻ったというわけだな。、庭院に近付くな。あそこで倒れる度に、呪詛が強くなる」
「は、はい…。あの、尚隆さま…」
は遠慮がちに言って、冷や汗を薄っすらとかいた額をそのままに、尚隆に目を向けた。
「今は、私の中に入り込んだ誰かが、眠っている状態なのかもしれませぬ。いつまた再発するやも…その者は、確実に尚隆さまをお慕いしているのでしょうか?」
「確実にとは言えぬが…恐らくはな」
「では、その者が目覚めたとて、尚隆さまに危害を加えるような事は…ないと思ってよろしいでしょうか?」
「それは分からぬが、おとなしくやられてやるほど、優しい気性ではないからな、俺は」
「で、では…今夜は…こちらに居てもよろしいでしょうか…?その、もし…」
尚隆はが言い終わらない内に、その体を引き寄せて言う。
「嫌な理由など、あろうはずもない」
ほっと漏れる安堵の息を聞き、尚隆はその体を抱く腕に力を入れる。
「怖いなら、怖いと素直に言えばいい。寂しいのなら、寂しいとな」
「はい…」
は尚隆に体を預け、その胸元でそっと瞳を閉じた。
もう何年も触れていなかったように思う。
腕に抱かれる安心感が、これほど強いものだったのだとは、つい先日まで気がついていなかったのだが。
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