ドリーム小説
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千草の糸 =18= ふと目が覚めると、何かが動く気配がする。
体の上に女が乗り、衣を剥がそうとしていた。
「何をしている」
「お客さまですから。これが目的でしょう?」
「何もせんと言ったはずだが?」
「…」
女の動きは一向に止まらなかったが、尚隆はなされるがままだった。
おかしなことに、体が動かなかったのだ。
気だるくて、動かすのが億劫に感じる。
「他の客には何もせんだろう。眠りに誘い、夢を見させる。朝、さも現実だったかのように振舞って、その者を送り出す」
ぴくり、と手の動きが止まり、覗き込むために顔が引き上げられた。
「何故そのようなことを?」
「お前は何だ?何故妓楼にいる」
「花娘が妓楼にいては、おかしいですか」
「お前は花娘ではないだろう。仙籍にあってここにいる理由を聞いておるのだ。郷長の女と言うのが、花娘と同じだと言うのなら別だがな」
「…」
「まただんまりか。お前の正体を見せろと言っているわけではない。何故この女の体を使う。を操って、それ以上にこの女を使うのは何故だ」
覗き込まれた顔は、まだ無表情のままだった。
「…あの体は、私の手に余る。抵抗がいつまでも消えないから。同情する心につけいって、時には使う事ができるけど…ずっとは使わせない。何かを危惧して意識を呼び戻す」
「お前が俺を殺すのではないかと、そう危惧しておるのだろう。まあ簡単にやられてはやらんがな」
「…今なら、簡単に殺せます」
きらりと光るものを確認した尚隆は、動じる様子もなく笑いながら言う。
「楽しんでから、と言うのはどうだ?それが目的だろう?恥も外聞もかなぐり捨て、抱いて欲しいと人を操ってまで言ったのだから、ただ殺すとあっては惜しい気がせんか?」
「動かせば、私が危険でしょうから」
「ではこのまま好きにするがいい。抱いてやろうと思ったが、抱いてくれるのなら代わりない」
それを受けて、女はしばし逡巡を見せる。
ややして、駮弾琴を構えて音を掻き鳴らした。
今度は指ではなく、撥で演奏している。
尚隆の頭部を、鈍い痛みが走った。
だが、その痛みが通りすぎると、体は軽くなっていた。
「抱いて欲しいと言うことか」
女は表情を変えずに頷く。
「まだ名を教える気にはなれんか?」
それにも黙って頷く。
「では、女。どう抱いて欲しい。無言で抱いて欲しいのか、愛を囁いて欲しいのか。―――それとも、欲望のためだけに抱いて欲しいのか」
欲望のためだけに抱いたのは、未だ名を思い出せぬ花娘。
無表情だったあの女。
目前の女と、そこだけが酷似している。
「昔のように…抱いて下さい」
心なしか羞恥の混じった声色だったが、やはり表情に変化はない。
だが、尚隆は立ち上がって女へと歩み寄る。
駮弾琴を抱えた体ごと押し倒し、襦裙を剥ぐこともせずに無理矢理手を押し込める。
それでも軽く嬌声の上がった声を聞きながら、女の喉元に噛み付くように唇を這わした。
妖しく漏れる吐息をそのままに、決して優しくない愛撫を与えていった。
その昔、光州で同じように無表情な花娘を抱く時も、このようにして抱いていた。
求める気持ちが膨大に過ぎ、吐き出すようにして自分を注ぎ込んだ。
それでも女は感じているようだった。
昔のように、僅かに顔を歪める。
それを確認した尚隆は、首裏に手を入れて頭を引き寄せる。
駮弾琴を脇に避け、荒い口付けを落として、再びその体に沈んで行こうとしていた。
だが―――
「違う…」
呟かれた声によって、尚隆は動きを止めた。
「何が違うと?」
「口付けが違う…全然違う」
無表情の瞳からは、涙が溢れ出していた。
「昔のようにと言ったのではなかったか?」
「口付け以外は、昔のまま。でも、口付けが違う。激しい動きに翻弄され、受け入れる事など不可能だと思わせるその行為を、私が受け入れることが出来たのは、優しい口付けがあったから。私を思う、優しい口付け。それが至高の喜びを運んで来たというのに…今のこれは違う」
固まっていた尚隆は、身を起こして女から離れた。
女は涙を流したまま、ただ天井を見ている。
口付けが優しかったとは、尚隆自身も気がついていなかったが、言われてみれば納得出来なくもない。
無表情の顔はを呼び起こし、彼女の変わりに抱いていたのだから、口付けは必然と優しくなったのだろう。
もう、それもあまり覚えていないのだが。
しかしまだ一度とは言え、五十年待った者を手に入れてしまったのだから、その捌け口を求める事はできない。
「昔のように抱く事が出来ないのなら、あなたの思う人を抱くように、抱いて下さい」
「そうすれば、を解放するか?」
「…」
「せめて…思いを遂げさせてやろうと思ったが。どうやらそれも叶わぬようだな。昔のように、のようにと言わなければ、ただ思い出だけを抱いて逝く事も出来よう」
そう言うと、尚隆は袂に手を入れて、包みを取り出した。
はらりと布を開けていくと、そこには木の欠片が乗っている。
はっとした女は、慌てて駮弾琴に手を伸ばした。
だが、尚隆によってそれは阻止され、先ほどとは違った意味合いで、体を押し倒された。
押さえつけられたと言ったほうが正しいか。
「この駮弾琴は、華明であったころ愛用していた物だな。光州の花娘の体を乗っ取り、華瑟を乗っ取った。郷長に頼み込んで、正寝の庭にこれを埋めたのか?」
「郷長がどうやれば正寝まで忍び込めると?」
「さてな。俺が郷長なら、なんとかして忍び込んでやるがな」
尚隆はそう言うと、駮弾琴を手にとって女から離れた。
距離を保って腰を降ろした尚隆を、女は追う事も出来ずにただ言った。
「それを、返してください」
「分かった、と言うと思うか?」
「…」
「すべてを話すのなら、これは返そう。処罰もせんし、望みも叶えてやろう。ただし、誰かが死ぬような事は無理だがな」
女は無表情のままだったが、睨んでいるかのようにも見えた。
逡巡しているようにも見えたが、しばらくすると口を開く。
「すべてを、お話します。だから、今すぐに返して下さい」
女の言った事に対し、尚隆は呆れたように目を向けた。
「俺もそれほど莫迦ではない。話が先だ」
そう言うと、女は静かに頷いた。
「ではまず問おう。お前は誰だ。華明か、それとも華瑟か。一番近い印象をうけるのは、どちらでもないがな」
「分かりませんか…」
息を呑む音が僅かに聞こえる。
「駮弾琴の名手であった華明が呪詛を身につけ、楽士と言う立場を利用して、正寝の庭院にこの木片を埋めた。恐らくはと即興演奏をした後、さほど経過していない頃だ。五十年も前から、用意されていた。もし、の思いが通じる事があれば、すぐさま発動するようにか…。駮弾琴を使った呪詛とは、感服せざるを得ないが」
尚隆はそう言って、無表情の女を見た。
「庭院に木片を埋め、仙籍を抜け、その体を捨てた。だが、お前は誰かに乗り移った。それが誰かは知らないが、次に俺とあったのは、光州の妓楼だな。その後も、俺のよく行く妓楼を転々としていたのだろう。最終的に華瑟になったのがいつかは知らんがな」
「そこまで分かっているのなら、何故華瑟を捕らえない?」
「こうして対峙するのは初めてだったと思うが?郷長に問い合わせたところ、行方が分からないとの返答だった。他の人間も操る事ができるのだな」
先ほどの眠気も、動かぬ体も、やはり呪の一種なのだろう。
「駮弾琴に魂を込めて弾けば、さほど難しい事ではないので。相手の体を意のままに操り、その心までをも支配する。この呪が効かなかったのは、延王唯一人のみ」
片眉を上げた尚隆が、それに答える。
「ほう。何故俺には効かぬと?」
「やはり、神だからでしょう。他の仙とは格が違う。ただの仙ならば、この呪を跳ね返すのは並大抵の事ではない。現に苦しんでいるのでしょう?」
のた打ち回るようにして、頭を抱えていたの残像が浮かぶ。
「だけど、この呪には欠点があった。人を操れば、その者の表情を奪ってしまう。だけど、私にとっては都合が良かった。何故なら私の知っている女は、決して表情を変える事をしなかったから。怒りも笑いもしない。それが私の知っている女。奇妙な女。恐ろしい女。笑わぬ顔で楽しい事を言う。怒らぬ顔で人を諫める。皆に慕われていた。唯一、大丈夫だと思っていた王までもが、彼女を気に止めている。そうと知った時の、私の悲観など…分からないでしょう」
「まったく分からんな」
「あなたを手に入れる為なら、私は何だってやります。人を殺しても構わない。国が滅んだって構わない。それほど欲していると言うのに…」
「国が滅んでも、か。一つ聞くが、お前は体を捨てるのに、抵抗はなかったのか」
「体を捨てねば呪は完成しません。より強い力を求めるのに、何の抵抗があると言うのでしょう」
深い溜息を吐いて、尚隆は立ち上がる。
女を見下ろしながら、その目前にまで歩いて来た。
「その体はお前の物ではない。悪いが、俺の民を返してもらうぞ」
「俺の…民?」
繰り返された言を聞いた尚隆は、薄く笑って女の前で屈んだ。
「昔、俺に泣けと言った奴がおってな」
笑いながら言う男を、女は気味悪げに見ていた。
「王は民の一部だと言った。民もまた王の一部だと。民を失って、泣くことを我慢する必要はない。だから泣けと言われた。確かにその通りだ。民は俺の体と同じだ。その体を勝手に使う事は許さん。自由を奪うことも、勝手に命を絶つことも許さん。だからお前を許してやることは出来ん」
尚隆はそう言うと、駮弾琴を左手に持ったまま、女の肩に手を回して、優しく抱きしめた。
そしてそのまま言葉を繋ぐ。
「王という堅苦しいものをやっていなければ、体ぐらいはお前にくれてやってもいいが、生憎とそうはいかん。まだ国を潰す訳にはいかないからな」
優しく、しっかりと抱かれた女は、目を見開いてそれを聞いていた。
「だから、せめて安らかに眠れ」
ふっと力が抜けて、女の顎が静かに持ち上がる。
重ねられた唇に、見開いていた目はさらに大きく開かれた。
顎の支えは解かれたが、口付けはそのままだった。
荒い口付けでもなく、熱い口付けでもない。
ただ愛しむような、そんな口付けだと思った。
やがて女の目は、うっとりと閉じられる。
尚隆はそっと両手を動かした。
女の後ろに回した左の腕。
その先に握られた駮弾琴を引き寄せ、右手に持たれた木片がそれに重なる。
かちりと嵌ったような感触が手に伝わってきた。
「あ…ああぁ!!」
女の体が仰け反り、悲鳴と供に体の力が抜けていくのを、腕の中で感じていた。
やがてくたびれた体をそっと離し、手にもたれたままの駮弾琴を見る。
柄の欠けた部分に嵌った木片。
庭院の南東から掘り起こしたその欠片。
呪詛を実行に移した、最たる物と言って良いだろう。
いつか音を聞いた場所を頼りに、駮弾琴の欠片を探し出した。
冬官に問い合わせ、呪詛の一部だと知り、それを合わせる事で呪詛が解けるとの指示を得た。
問題は本体の駮弾琴を探すほうにあった。
だが、光州の妓楼で駮弾琴の奏者を探せばよかったのだから、さほど手間はかからなかったように思う。
何しろ難しい楽器だ。
早々弾ける者もおるまい。
「さて、これをどうするか…」
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