ドリーム小説
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千草の糸 =3= 翌日、昼過ぎに禁門へと向かう。
すでに待ち受けていた尚隆が、夏官の一人と、和気藹々と話をしていた。
「成笙さまがお認めになられたのですか?」
近付きながら問いかけるに、尚隆は目を向けて言う。
「お目付け役がおるからな」
が目付けと言うことなのだろう。
成笙が認めたと言うことは、他の二名も知って認知しているのだ。
黙ってこっそりと抜け出すような事にならずに済み、はほっと胸を撫で下ろした。
たまに騎乗して、二人は空を翔る。
光州は雁の北方に位置する。
雁国北東の地では昨今、工事が盛んに行われていた。
治水ばかりに手を取られていた雁も、今では土地を整備する余裕が出ていたのだ。
里から里へと道を開き、地を均し、土地を切り開く。
民も国も力を合わせてやってきた。
その結果、緑を取り戻した現在の雁。
今の時期には美しい光景が広がる。
上空から眺めると、黄金色の穂がたゆとう。
色付く山容(さんよう)は鮮やかに、実り豊かな秋を迎え、飢える事のない冬の到来を待っている。
「今回の調査は何だ?」
「道の事で。案件が出ているのですが、同時に施工する事は出来ないのです。それで必要な所からと言う話になったのですが、調査書を見ていても、どこから手をつけて良いのやら、さっぱり分からないと言う事でしたので。実際見て必要性の優越をつけ、施工の順番を決めとうございます」
「ふむ…ならさっさと終わらせてしまおう」
「早く帰りたいのですか?でしたら…」
「俺がそのように考えると思うのか?」
「違うのですか?」
「違うな。は宮城におらんし、帰っても面白くないだろう」
「帷湍さまや朱衡さまが、お待ちなのではないでしょうか?」
「あのな…」
「政務がございましょう?毎日の」
わざとそのような事を言っているのだろうかと、訝しんで顔を覗いてみたが、真に分からないといったその表情に、ただ苦笑するしかなかった。
「紅葉でも見に行くか」
「今から…でございますか?」
「早く終わったら、だな」
それを受けたは、満面の笑みを浮かべて尚隆を振り返った。
「ありがとうございます」
「俺が見たいのだから、礼を言うにはおよばん」
「でも…嬉しいのです」
「紅葉は好きか?」
「はい。母も好きでした。小さい頃、よく連れて行かれたものです」
「ほう…」
珍しいと思った尚隆は目を細めて、今はもう前方を向いているを見ていた。
が自分の事を話すというのは、今までなかった。
大内の事ならば、近しい位置にいたせいか多弁にはなるが、家族の事となるとさっぱり聞いたことがない。
「母君もやはり、大内に仕えておったのか?」
「はい。若様の乳母でございました。乳母の子なのです、私は。ですからお小さい頃から若様のお傍におりました。そのせいか、若様は他の方に一向に慣れなくて…」
昔を語るの口調は、いたって冷静であった。
やはり昨日主上と言ったのは、長年の癖だったのだろう。
幸せになろうとしている心を、知らぬ内に自制しているのではないかと危惧したのだが、どうやらそれもなさそうだった。
「母君は…」
「母は、病に倒れました。父は戦で。戦乱の世であったのですから、致し方ない事でしたが…」
は遠くを眺めながら、後ろの尚隆に言う。
「戦火は何も残しません。耕した土地を焼き払い、愛した人を奪い取り、力を競う。壊してしまう事は簡単だと言う事に、誰も気がつきはしない」
「簡単?」
「ええ。壊してしまうのは簡単でございましょう?」
そう呟くようにして言ったの視線は、遥か遠くを見つめている。
「私はまだ、尚隆さまの半分しかこの国にはおりませぬ。まだまだやらねばならぬ事は山積しておりますが、この五十年で、雁は豊かになりました。しかし、五十年もの歳月が過ぎていったのです。決して短い期間ではございません。なれど…それを壊してしまうのは、いとも簡単なのだと…他国を見ていると思うのです」
「確かにな…」
「ですから主上」
改まった言い様に、尚隆は前方からに目を移す。
「長生きして下さいませね」
「さて、それは次第だと言ったら?」
「私、次第でございますか?そうですね…」
は俯いて考えていたようだが、すぐに顔を上げて振り返る。
「秋には金の穂を。冬には暖かい民の里を。春には花々の咲き乱れる野を。夏には緑の大地を…それらを見に連れて行って下さいますか?」
「約束しよう」
笑って再び首を戻したに、尚隆の声が降りかかる。
「六太のような事を言うのだな」
「そうでしょうか?官吏とは元々そのために存在するのでは?王にしても同じでございましょう?」
「そうだな。俺もそれを見ていたい」
やはり、とは心中で笑う。
自分など、そもそも関係ないのだ。
この人は民が豊かになるのを熱望している。
それは過去に治めた国で、果たせなかった思いなのかもしれなかったが…民が豊かになるのを見ることは、この人の生きがいのようなものではなかろうか。
尚隆もまた、同じ事を考えていた。
の見たいものは、民の喜ぶ顔なのだと。
泰平の世で、国が豊かに発展していく。
それが嬉しいのだ。
だから国政から引く事が嫌なのだと、充分に理解している。
政に携わっていたいのも、ただ傍観しているのが嫌なのだろう。
「尚隆さま。お慕いしておりますわ…」
突然の告白に、少し驚いた尚隆だったが、片手を空けてを引き寄せる。
密着した体から、早くなった鼓動を感じながら、光州までを飛びきった。
「何?いない!?」
「俺から許しがあったのだそうだ。一両を丸々騙ましこんで、堂々と出て行ったようだぞ」
「どうゆうことだ!!」
大司馬成笙に向かって怒鳴っているのは、先ほど移動のあったの元上官、現在の太宰であった。
怒りで赤くなった帷湍に、成笙はただ知らぬと答える。
だがその表情は憮然としていた。
「なんだってお前の所の官は、そう簡単に騙されるんだ!」
「俺の所の問題じゃないだろう!天官の受け持つ朝議の時にも、その天官全員を巻き込んで騒動の挙句、台輔共々逃げ出しただろうが!」
「古い話を!あれは台輔が協力しておったからだろうが!」
「いい加減になさい」
ぴしゃりと声がして、ため息交じりの朱衡が現れる。
「と一緒ですから、大丈夫ですよ」
「そうは言ってもな、それを餌に出て行ったんだぞ!」
帷湍は朱衡にも、遠慮なく怒りをぶつけていた。
「お目付け役だと言って出たのでしょう?あながち間違えでもないでしょう。それに…」
「それに?」
途中で言うのを止めた朱衡に、帷湍が続きを促した。
「先ほど成笙の言った天官の朝議の時は、どれほど帰って来なかったと思っているのです?しかも、何故あの時に出奔したのか、分かっておりますか?」
「何故も何も、仕返しだろうが」
思い出したのか、ぎりぎりと歯を鳴らしながら帷湍は言う。
「では今回は?純粋にの護衛のつもりで行ったのでしょう。我々の事を考えぬ彼女ではないと思いますし、何よりも新しい案件が出るかもしれませんよ」
過去の件をもって思い当たった帷湍は、それによって口を噤んだ。
だが、成笙が分からない様子をそのままに、朱衡に問いかける。
「出るとどうなるのだ?」
「すぐにでも戻って来ますでしょう」
うんうんと頷きながら、帷湍は地官に居た頃を思い返していた。
確かにそうだ。
謀反の後は、あえてについて行くのを止めなかった。
どのみち勝手に行くのだから、止めようがないが…
ただの調査なら一日か二日で終わる。
それからゆっくり帰って来ても三日。
もしが何か思いついたのなら、その日の内に帰ってくる事もある。
新案を動かすために、早々に帰って来るのだ。
これが、なかなかに出来たものだった為、早く実行に移したいと思ったのだろう。
本人はもちろん、王自身も。
彼女は著しく発展を遂げるために、必要な人物と言っても過言ではなかった。
新案が出る、王は早くに戻ってくる、国は大きく前へ進む。
「とは言え、夏官を騙したのですから、それ相応の事はしていただきましょう。もう二度と、そのような考えを起こさないような事を」
朱衡は穏やかな口調でそう言うと、にこりと微笑んで退出していった。
残された二人はすでに言い争う気力もなく、ただ朱衡の出て行った方面を見つめて立ち竦んでいた。
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