ドリーム小説
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千草の糸 =7= 瞑漠(めいばく)とした房内で、静かに瞳が開かれる。
「気がついたか」
声の元を探って横を見ると、半分だけ体を起こした尚隆が見える。
「ここは…」
「俺の房室だが…覚えておらんのか?」
「…」
は何も答えずに、暗闇に紛れそうな顔を見ていた。
「何が起きている」
「分かりませぬ…ですが…」
口付けを受けると鳴る、あの音に何か関係があるのだろうか。
はそっと体を起こす。
「戻りますわ…」
そう言って牀榻から出ようとする体を、尚隆の腕が浚う。
「今日は帰さぬ。もう何もせんから、このまま寝ていけ」
「ですが…」
引き戻されながら、は微弱な抵抗を示した。
だがあっさりと負けて、腕の中に納まる。
穏やかな心境になり、深呼吸をしたは、そっと目を閉じる。
そのまま眠りに落ちるのは、幾刹那もなかったように思えた。
翌日、は朝の鐘が鳴る前に目覚めた。
女官達が起こしに来る前に、戻らねばならぬと思い、静かに牀榻を抜け出した。
房室を後にすると、いつもは居るはずの見張りが居ないことに気がついた。
気を利かされたのだろうかと思うと、顔が暑くなるのが分かる。
そのまま帰ろうとしていたは、ふと足を止めて宮道を逸れて行った。
庭院に出て来たのだった。
特にそこが気に入っている訳ではなかったのだが、ただ何とはなしに足が向いていた。
張り出した露台に腰を降ろし、白露に濡れる草花を眺める。
人肌を恋しく思う寒さだった。
身震いしたは草花から目を離し、雲海に目を向ける。
一週間前にも、こんな事があったような気がした。
「あの時…」
脳裏に何かが映ろうとしている。
靄がかかっている感じに、は首を傾げて思い出そうとしていた。
ふと、琴の音が響く。
その音色を聞いた事があった。
静寂なる、寂寥の音。
引き寄せられて歩いて行った庭院の隅。
薄暗い寺が見える。
煌く白刃。
大きな背と、小さな背を狙ったその刃先。
「やめ…やめて!」
の意識が遠ざかる。
僅かな冷風に目が覚めた尚隆は、隣に眠っていたはずの女の姿を探し、辺りを見回した。
だが、房内の何処にもその姿はない。
奇妙な駆り立てるものを直感で感じ、その意思に従って行動を開始する。
そしてほとんど本能のまま庭院に辿りついた。
「―――やめて!」
微かに聞こえた声に、そちらを振り返った尚隆は、倒れ始めたを見つけた。
駆け寄って抱きとめ、意識の抜け落ちた体を揺する。
かけられる力のまま、揺れに身を任せている。
堅く閉じられた目蓋は、ぴくりとも動かない。
抱えて房室に戻ろうかと考えていると、小さな声が耳を掠める。
「――か、さま」
殆ど聞こえてはなかったが、何を言ったのかは分かったような気がした。
「」
再び体を揺すって、頬を軽く打つ。
「!」
ぴくっと肩が動き、ゆっくりと目蓋が持ち上がる。
「主…上」
まただ。
また主上と呼ぶ。
だが尚隆は漠然と了知を得た。
以前も同じ場所で倒れていた。
目が覚めると名を呼ばぬ。
「。何があった」
ぼんやりとした表情をそのままに、は微かに口を開ける。
「分かりませぬ…」
「夢でも見たか」
「夢…?ああ、そう言えば、見たような気も致します…」
「蓬莱の…いや、周防国の夢を見ていたか」
「周防の?あ…若様が現れたような…」
尚隆は頷いて、抱えていた頭を引き寄せる。
ひんやりとした鼻頭が首に当たり、の体が冷え切っている事を知った。
「ともかく…」
冷たい体を抱え上げた尚隆は、そのまま来た道を戻っていく。
「尚隆さま…もう、戻らねばなりません。女官達が…」
「構わん。少しは体を厭え。今日は一日寝ていろ」
「ですが、合議がございます」
「明日にすれば良い」
「明日には合議がございません」
「では欠席だな」
「それは出来ません。私の報告を元にした合議なのですから…」
「では明日に引き伸ばせば良い」
宙に浮いたまま必死に抗議するが、一つも聞き入れてはくれなかった。
「あの、本当に大丈夫ですから」
尚隆は自室の前まで戻って来ていた。
器用に扉を開けて中に入る。
牀榻にを連れて行き、そっと横たわらせた。
衾褥を捲って自らも中に滑り込む。
引き寄せて腕に抱くと、ひんやりとした体温が伝わってくる。
「温かい…」
尚隆の腕の中で呟かれた声は、静かに温もりを取り戻していった。
「以前にも周防の夢を?」
「いいえ…見たような記憶はございません。それに、先ほど見たのも気のせいかと…問われたから、そう思っただけかもしれません」
「では何故、若と言った」
「そのような事を申しておりましたか?…もう、あまり覚えておりませぬ…」
申し訳なさそうに言って口を噤んだに、尚隆は黙って体温を与え続けた。
「そう言えば…」
小さく言ったの声に、尚隆の顔が上げられる。
その動きに反応した、の顔もまた上げられる。
「口付けて…いただけますか…」
当然言い出した事に、訝しげな顔の尚隆がいた。
「その、不躾ではございましょうが…」
が言い終わらないうちに、尚隆の手は頬に添えられていた。
強張ったの表情に口付ける。
額に口付け、頬に口付け、唇に…
びいいぃいいいぃいいん
「あっ、つ…」
再び鳴り響く音に頭痛を覚え、冷や汗がうっすらと浮く。
「やはり、音、が…」
は喘ぐ様に言う。
「音?」
汗を拭う様な手の動きと供に問われた。
「弦が弾けて切れてしまうような音が…頭の中で鳴り響きます…恐らく、口付けを受ける、と…」
そのまま意識が遠ざかるのを感じていた。
「」
尚隆が名を呼んでも、の意識は戻らなかった。
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