ドリーム小説
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千草の糸 =8= 明るい光に、意識が呼び覚まされる。
急いで正寝を後にし、地官府へと向かうと、驚いた面々がを迎えた。
「小司徒。お倒れになったと聞きましたが…大丈夫なのですか?」
地官の一人が駆け寄って、まじまじと顔を覗き込んでいた。
「大丈夫です。ご迷惑をおかけ致しました。合議はどうなりました?」
「今しがた、明日に延ばそうかと言っておりました…ですので、全員が揃っております」
「よかった。今から始めましょう」
「はい!でも、本当に大丈夫ですか?顔色があまりよろしくないようですが」
「そうでしょうか?大丈夫ですよ。合議の方が大切ですもの」
はそう言って、地官の集まっている所へ向かった。
合議を取り仕切り、報告をしながら今後の方針を決めていく。
年々豊かになっているというのに、難しい問題は次々と浮上してくる。
それらと戦いながら、地官達は頭を抱えて合議を終えた。
大司徒の声でようやく散会となったのは、夜を随分と回った頃だった。
さすがに体が重くなったのか、は足を引き摺るようにして歩く。
ふと、軽い耳鳴りがした。
「え…?」
徐々に大きくなっていく音に、不安を覚える。
びいぃいん
びいいぃぃん
「これは…」
もはや、弦の切れる音なのか、かき鳴らす音なのか分からなかった。
だが口付けている訳でもないのに、この音がするとは、どうゆう事なのだろうか。
軽く頭を抑えたの視界の先に、知った顔があった。
「尚隆さま…」
「大丈夫か」
遠くからかけられる声に答えようと、は尚隆に歩み寄ろうと足を出した。
だが、足が根を張ったように動かない。
びいいいぃいん
また一つ音が大きくなった。
尚隆が訝しげな表情で歩いて来る。
「―――――」
びいいいぃいいぃいん
あまりの音の大きさに、途中からはかき消された尚隆の声。
「―――――――――――」
びいいぃぃぃいいいぃぃん
「あっ…!」
またもや意識を手放しかけた。
その場に崩れ落ち、膝を打ち付けた痛みで覚醒する。
だが、尚隆の声は聞こえない。
口の動きを目が追うが、何と言っているのか判然としない。
所々僅かに聞こえる程度のものとなっていた。
尚隆が近付くたびに、頭の中で音が鳴り響く。
「失礼を…お許し…下さい」
差し出された腕を跳ね除け、はよろりと後ろに引く。
「それ以上、私に、近寄らないで下さい…」
びいいいぃいぃいぃぃぃぃぃぃいんん
頭の中で鳴り続ける音は弾けるようで、ただの音だと言うのに、尚隆を傷つけてしまいそうな錯覚を引き起こす。
尚隆の口が動き、再び手が伸ばされる。
だが、もうすでに何も聞こえなかった。
「駄目…です…」
の頬を涙が伝う。
瞳は愁訴(しゅうそ)に染まっている。
その光景は、五十年以上も前の再現のようだった。
駄目だと言い、尚隆の手を振り解いて去って行く後ろ姿を、追わずに見送ったあの夜。
「!」
崩れる体を受け止めた尚隆。
過去とただ一つ違う事だった。
女は逃げなかった。
逃げる気力どころか、意識そのものがない。
ぐったりとしたを抱えて、尚隆は後宮へと向かって行った。
幽光に誘われて、尚隆は房内から張り出した露台にいた。
欄干に軽く腰を降ろし、雲海を黙って眺めている。
は後宮に運んだ。
身の回りの世話を天官に預け、政務に戻らぬように一時停職を命じてある。
だが、取れる措置と言えば、それぐらいだった。
尚隆は何も分かっていない。
五十年前、手に取るように分かっていたの気持ちが、今は一向に掴めないのだった。
過去に駄目だと言ったのは、まだ蓬莱の大火がを支配していたからだ。
死んでいった者を思い、幸せになろうとするのを拒む感情が、を渦巻いて支配していた。
だが、今は一体何だと言うのだ。
尚隆を拒絶している訳ではない。
だが、受け入れる事が出来ない。
体が拒否を起こすのだから。
五十年も待って手に入れたはずの者は、僅か数日足らずでその手から離れてしまった。
その喪失感は大きい。
吹き付ける条風に身を晒していた尚隆は、立ち上がって庭院を後にした。
こっそり宮城を抜け出して、関弓へと降りて行く。
満たされぬ欲望を吐き出すためだけに、妓楼へと入る。
だが、時間が遅いのもあり、何時ものように花娘達も来ない。
手の空いている者を適当に指名して、房室に通されて早々に横になる。
情緒も何もありはしないと、ぶつぶつ言う声を無視して、その体に手を伸ばしていった。
非難めいた声が、嬌声に変わってもなお、決められた作業のように動く。
一度この手に抱いた体を想い、愛しい唇を想う。
男に慣れた感じの動作に多少興醒めたが、それでも構わずに抱いた。
激しい動きに反応する女。
ではありえない事だと思いながらも、動きを止める事はなかった。
今までこうやって満たして来たのだから。
やがてぐったりとした女の体を横に置き、汗をかいたままぼんやりとしていた。
眠れるだろうかと瞳を閉じる。
しかし、静かな寝息が横から聞こえてきて、尚隆は閉じていた瞳を開けた。
満たされていなかった。
これまでとは違って、何故か今日は満たされない。
やはり、一度手に入れてしまったからだろうか。
もう、待つ日々は去ったのだと、心が訴えているのだろうか。
眠れぬ夜を抱いたまま、尚隆は朝を迎えようとしていた。
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