ドリーム小説
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麹塵の袍 =11= 「まだいたのか」
諷詠と同じように声をかけてきたのは主だった。
しかし声をかけられるまで、全くといって良いほど気が付かなかった。
「主上」
「また迷った」
新王はそう言うと、景麒の横に座ってを見る。
しばし眺めて、ぽつりと言う。
「延王に教えて頂いた鸞と言う霊鳥は、春官大卜の管轄になるのか?」
「はい」
「ひょっとして、鳥の為の宮がある?」
「はい」
「へえ…あ、でも、今は違う人がいるのか…」
「いえ、今は誰もいないようです」
「誰もいない?その宮に?」
「霊鳥は梧桐宮に住まいます。その梧桐宮を守る春官の長を大卜と言いますが…その梧桐宮には、現在春官がおりません」
「ひょっとして、みんな女だった?」
「全員ではありませんが…絶望して国外に出た者もいたようです」
「じゃあ、大変なんだ…」
「ええ、恐らく。霊鳥が弱っていたようですから」
ふうんと言って、新王はを見る。
「彼女は…元気になったら、戻ってきてくれるだろうか」
ぽつりと言われた言葉に、驚いた景麒の顔があった。
王によって追い出されたが、王によって帰って来ることになれば…なにやら不思議な感じが拭えない。
「なんだ?変なこと言ったか?」
「あ、いえ…そうですね、恐らくは戻って来ましょう。前々王の時代から、霊鳥を守ってきたお方ですから」
「そうか。よかった」
本当ならば、景麒よりも早く金波宮に帰っていてほしい。
白雉の一声を、再び聞いて欲しいと思った。
しかしそれは難しいだろう。
未だ目覚めないのだから。
「おや?」
ふと、不思議そうな声を出す主を、景麒は無意識に見た。
「ふふ、一輪だけ違う花があるな」
すっと指さされた先に、確かに罌粟ではない花が揺れていた。
何時の間にか、そこには水仙が現れている。
淡青色の水仙。
それが意味するものとは。
「瑞花…」
「え?」
「これは瑞兆の一種です…天勅はまだだと言うのに…」
「めでたい印?」
「はい」
景麒がそう返事をした所で、一際強い風が吹いた。
夜目にも鮮やかな青い罌粟が舞い上がる。
岩盤を通り抜けて天を望み、吸い込まれるようにして消えた一片(ひとひら)を景麒の視線が追う。
「景麒」
ふいに呼ばれて、見上げていた顔を元に戻し、呼んだ主に瞳を移した。
「体調が戻ったら、是非戻って来てほしいと頼んでくれないか」
「は…?」
「偽王の乱のせいで、人員が減っているだろうから。景麒の様子を見る限り、信用して良い方なのだろう」
ちらりとに視線を移した新王は、にこりと笑んでその場を去った。
急に言い出した事に唖然とし、去りゆく主をじっと見送ってしばし。
消えてしまうまで、何故か動くことが出来なかった。
しかし、に視線を戻してすぐ、異変に気が付いた。
腕が動いているように感じたのだった。
胸元に組まれていたはずの手が、今は下に落ちている。
いくつかの罌粟をなぎ倒して、力無くのびている腕。
諷詠に言われて、首を持ち上げた時に腕が落ちたのだろうか。
記憶を辿ってみるが、確かな事は思い出せない。
だが、さきほど王が取った行動を思い返すと、何も無いことがむしろ疑わしい。
そう思い始めると、何やら落ち着かなくなりそうだった。
「…」
小さく呟かれたその名。
「はい…」
微かに返された声。
その唇が動いたのを見なければ、風の音に消されてしまっただろう。
しかし確かにの唇が動き、小さな声が発せられた。
「」
もう一度名を呼んでみる。
「台輔…?」
答えると同時に、薄く開かれる瞳。
「!」
「台輔が見えるなんて…なんて幸せな夢…なのでしょう…ここは…夢の国なのですね…」
「ここは夢ではなく蓬山。新しい王と供に、天勅を受けるべくここにいる」
「まあ…主上が登極する直前の夢なのね…。この後、金波宮の白雉が鳴くのだわ…私が聞いた、白雉の人語…よもや、予王と言う謚号を付けられる事など、考えもしなかっただろう、幸せな瞬間を垣間見ているのですね…」
「舒覚さまではなく、新王は蓬莱から戻られたお方。の行きたがっていた、蓬莱で育ったお方」
「王…新王…?慶に…新王が…?ではこれは…」
「夢ではなく、ここは蓬山。諷詠がを助けた」
「諷詠…諷詠…が?」
頷く景麒を見つめる瞳が大きく開かれる。
それでもまだ、通常よりはあがりきらないようだった。
見つめる瞳は景麒を吸い寄せるように突き動かす。
の頬に手を当てると、安堵の為に深い息が漏れた。
「目覚めたら伝えて欲しいと主上が」
「え…私に…私にですか?」
小さな頷きとともに、景麒は新王の言を繰り返す。
「戻ってきてくれるだろうかと、金波宮に」
「また…戻っても良いのでしょうか…。鳳凰や白雉のお世話をする事が出来るのでしょうか」
「もちろん」
煌めく空の星が、の瞳の中で大きくなり、歪んで流れ落ちた。
「これは…夢ではないのですね…本当に…台輔がそこにおられるのですね…慶は…新しい王を迎えることが出来た…」
ただ頷く景麒の姿を、今のは映していない。
それでも静かに溢れ、零れ落ちる涙は幾多もの星を映しだしていた。
その煌めきはいつまでも絶えることなく溢れ、ただ無言で見守る景麒を少し不安にさせた。
「あまり泣いては、お体に障ろう」
「はい…はい…」
頷けないのか、声だけで答えたは涙を止めようと瞳を開ける。
青い罌粟は二人を包み、穏やかな風に揺られて花が舞う。
岩盤から覗くようにして見えている夜空は、静かにそれを見守っていた。
慶国の上空に瑞雲が現れたのは、が目覚めた二日後のことだった。
歓喜の渦巻く国土を思いながら、治療に専念する。
本来蓬山は、ただ人が何の目的もなく居てもよい場所ではない。
そのため、出歩くことは禁じられていた。
尤も、自らの足で立つことはまだ出来ない。
諷詠の計らいで罌粟苑から近い宮へと場所を移し、牀の上での治療に切り替わっていた。
そしてある日を境に、驚くべき早さで回復していった。
「これはひょっとして仙籍に入ったのではないかしら」
諷詠がそう言って剥いた桃を差し出す。
受け取りながらは首を傾げる。
「主上を拝見した事がないもの。それはないと思うわ」
「あら?言わなかった?景台輔と一緒に罌粟苑へ何度かいらっしゃったのよ」
「え?本当に?」
「ええ、迷われて偶然」
の驚いた顔を笑って、諷詠は桃を食べるように促す。
「しっかり治して、早く慶に戻らなくてはね。王も宰輔もお待ちでしょうから、大卜」
「大卜…」
大卜、その響きがにもたらしたものは大きい。
「ええ、そうね。また…春官として金波宮に戻ることが出来るのね」
ひっそりとした宮に、小さな笑みが溢れていた。
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