ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
麹塵の袍 =12= が金波宮に戻ることが出来たのは、慶に冬が訪れた頃だった。
慌ただしく動いているだろう宮城は、正統な新王を迎えて浮き足立っていた。
しかし以前感じていた剣呑とした雰囲気は、未だ健在のようである。
「大卜、よかった。戻って来ることが出来たのですね。台輔から伺いました。酷いお怪我をされていたとか」
春官正丁を訪れたに、春官の一人がそう言って寄ってくる。
その後ろには大宗伯もいた。
「大宗伯、それに皆様。お久しぶりでございます。新王朝に戻って来ることが出来て、大変嬉しく思っております。どうぞ、これからもよろしくお願い致します」
「大卜として、これからも梧桐宮をよろしく頼む。台輔に叱られたばかりで、今は代理を幾人か寄越している。霊鳥をお世話するに相応しい人物がいれば、選抜して申し出てほしい」
「かしこまりました。ありがとうございます」
挨拶をすませると早々に梧桐宮へと向かった。
元々静かであった梧桐宮は、一層その静寂を深めてひっそりと存在した。
忘れられた宮のように、何の物音もない。
まず二声宮に向かったは、門前を固めていた夏官と挨拶を交わし、一人中へ入って行った。
白雉は無垢な羽に頭を埋め、静かに体を上下させていた。
瞼は上げられており、安らかな寝息が聞こえそうである。
しかし宮の中はあまり褒められた状態ではなかった。
は白雉の声を二度聞いている。
一度目はその末声であったが、二度目は輝かしい一声だった。
この目前で眠る白雉も、一声を鳴いたばかりだ。
そう簡単に、末声を鳴いてくれるなと思うのは、三つもの王朝を見てきた官吏としては当然の思惑であった。
が仕えてきた王朝は、すべてが女王の許に統治されていた。
予王が登極する前にも囁かれていた、次王は男がよいと言われていた事は、またもや崩れ去ったのである。
の知らない四代前もまた、治世が短く女王であったと言う。
「天は…慶の様子をご存じだった」
諷詠は慶の梧桐宮をおとない、弱っていた霊鳥に救済の手を差し伸べた。
蓬山に於いて治療が行われていたは、伝説の中に住む女仙の長に仕える友と再会した。
蓬山の事を諷詠は語らなかった。
口止めされているのか、自らの判断で語らなかったのかは分からないが、そう言った話にはならなかった。
聞かない方が良いだろうと判断したもまた、それをあえて聞いたりはしない。
しかし、天は確実に存在するのだろうと、漠然と思うことがあった。
それは諷詠の言葉の切れ端であるのかもしれないし、滞在していた場所の持つ、不思議な力のせいかもしれない。
そこでが思った事は、天も人の世も変わらないのではないだろうかと言う疑念だった。
それならば、真実、天命とは何を指して言われるのだろうか。
民意の具現だと言われる宰輔は『民の意』を受けて王の選出をしているのだろうか。
新王の登極は、確かに慶国民の悲願であったことだろう。
しかしながら、女王を疎んじる風潮があるのも確かだった。
加えて偽王の乱が起きたことによって、国庫は目減りしている。
民は貧しいが、そこに手を差し伸べる余裕が、国にはない有様だった。
これで悪辣な官吏を締め上げれば、少しは国庫の足しになるのかもしれないが…。
「女王であらせられる上に、この国で育っていないとは…」
これでは現状を飲み込むのに時間がかかろう。
この静寂が包む宮のように、ひっそりとして何も動いていないように見えても、その実水面下では思惑思考が渦巻くようにして存在する。
そこに引き込まれた時、果たして新王はどのように対処するのだろうか。
前王のように逃げなければよいが…。
久しぶりに戻ってくる事が出来たと言うのに、そのような暗い思いに囚われて動けない。
梧桐宮にいると言うのに、嬉しい気持ちが萎えていくようだった。
窪みに落ち込んでしまったように、しばらくその場を動けないでいた。
それを振り払うように、すべての宮を見て廻った。
翌日から、は梧桐宮のすべてを廻りながら、霊鳥の世話をする事となった。
これまで放置され続けて荒れている所は多く、揃えねばならないものが多大にあった。
それに加え、新たな官吏の登用も考慮していかねばならない。
祭祀用の雉も揃えておかなければならず、どこから手を付けようかと困るほどだった。
新王朝を憂いてる暇などない。
「まずは灑掃(さいそう)から行わねばなりませんね」
春官の代理の者に指示を出しながら、各宮を灑掃していく。
塵が無くなると、幾分かましになった。
無いものは後日揃えるとして、代理の者たちに質問をして、このまま梧桐宮に移動しても良いと考える人物を捜す。
五名ほどがそれに答え、ひとまずは大宗伯に報告に行った。
「ではその三名、明日にでも主上に是非を問い、移動できるように取りはからおう」
「よろしくお願い致します」
が選出したのは、五名中、三名であった。
もちろん、霊鳥の世話を誇りに思えるような官吏ばかりを選んだのである。
翌日の夕刻。
選出された三名の人物を見回し、は言い聞かせるように口を開いた。
「鳳(ほう)飢えても粟(ぞく)を啄(つい)ばまずという言葉を、しっかり刻みつけて下さい。麹塵の袍は、誰でも着られるものではない。梧桐宮に勤める者だけが許された袍なのですから」
真剣な眼差しがそれに答えていた。
の掲げたものは、今の金波宮には必要である。
内宮に勤める者である以上、王との距離は近い。
女王であるがゆえに疎まれる声が、の思った以上に大きい。
だからといって何かあってはいけない。
許される事ではない。
台輔が信じて連れ帰って来た人物なのだから、もそれを信じなければならないと思っていた。
「麹塵の袍を身に纏う覚悟を、各々感じて頂きたいのです」
内宮であり、王に近いと言うことを自覚せねばならない。
また、外交を司る場所でもあり、その要でもある。
ここが動かねば、どことも連絡がとれない。
すべてが王を中心に動き、王のために存在する宮なのだと説明をする。
「ああ、確かにそうでございますね。霊鳥をお世話する事が、そのように重要な事に繋がるのですね」
左に立って居た者が、頷きながらそう言った。
それに同意を示す頭の動きを見ながら、はそれぞれに言う。
「新たに登用されて来た者にも、この精神をしっかりと教えねばなりません」
賛同の頷きを確認して、その日の務めに入った。
その翌日の事だった。
忙しく宮を渡り歩いているの目前に、どこかで見たような人物が現れた。
しかしすぐに分かった。
慌ててその場に跪き、深く頭を下げて伏せた。
「主上」
「大卜?よかった、元気になったんだ。景麒に聞いてはいたけど」
「…台輔は私が戻っていることをご存じなのでしょうか?」
「もちろん知っている。ああ、体を起こしてくれないか」
体を起こせと言われて、何か理由があるのだろうかと訝しんだ。
伏せた顔をゆっくりと上げ、王を見上げるとにこりと微笑む顔がある。
「そんな所に座っていたら、冷えてしまうから。普通にしてくれて構わない」
「ですが…」
「いいんだ。慣れないから」
困惑しつつも立ち上がり、王に向かって再度礼を取った。
予王よりも、はっきりと喋る王だと思った。
「この度は、再び大卜をお任せ下さいまして、誠にありがとうございます。それに…随分と早くに仙籍に上げてくださった…」
「戻ってきてもらうつもりだったし、傷も早く治るだろう?気にしないでいい…あ、ああ、それよりも鸞はどこにいるのかな?友達に送りたいんだけど」
「では、お持ち致しましょう」
「お願いします」
軽く頭を下げて言う王に、は驚いた。
「私どもは主上の民なれば、礼を言っていただくには及びません。どうか、頭を上げてくださいませ」
慌てたがそう言うと、新王は笑って言った。
「大卜は景麒の使令のような事を言うんだな」
「え…」
さらに驚いたは、王の目を直視する。
そしてそのまま、魅入ってしまった。
予王よりもずっと若く、その若さが頼りなさを強調するようだった。
しかし、内に秘められた強いものを感じる。
その、翠の瞳の中から。
「主上は…とても不思議な瞳の色をしてらっしゃる」
知らず、そのように呟いていた。
「え?不思議?翠は珍しいのか?」
「あ…。申し訳ございません。どうか忘れて下さいまし」
自ら言った事を思い返し、否定の為に手を振る。
鸞をと残して踵を返した。
|