ドリーム小説




Welcome to Adobe GoLive 5



麹塵の袍


=16=



手の空いた天官は通り道の扉を開き、先に進んで湯浴みの準備をさせた。

の指示によってである。

体を洗って血を流し、新しい袍に着替えてもらったが、苦しそうな表情は変わらない。

牀に横たわって、喘ぐような呼吸が続いている。

黄医が駆けつけてきてようやく、天官と供に退出した。

「大宗伯、ありがとうございました。とっさのご判断、見事でございました」

「いえ…驚きましたが、夢中で差し出がましいことをしてしまいました」

「差し出がましいなど、とんでもない。我々だけでは、きっと狼狽えて何も出来なかったでしょう。本当にありがとうございます」

「いえ、お役に立てたのでしたら光栄ですわ」

治療の行われている房室の扉を見てそう言い、春官府に戻ろうと再び歩き出す。

しかし仁重殿を抜ける直前、報告に来た者と出会い、その報告を受けてしまった。

中に入れないからと、報告を持ってきた人物はすぐさま戻り、この場に留まっていて良いのか分からないもまた、しばらく動けないでいた。

しかし届けなければならない報告だと判断し、再び治療の行われている場所まで戻った。

先程いたはずの天官はすでにおらず、房室の前に立ち再びどうしたものかと考える。

すると、どこからともなく声が聞こえた。

「大宗伯」

首を左右に振って声の主を捜したが、見つける事が出来ない。

軽く首を傾げていると、再び声がした。

「台輔のお側についていて戴きたい。我々は多く血を被りすぎた。主上の警護に戻ると、そうお伝え願えますか」

内容によって、景麒の使令だと分かった。

姿を現さないのは、驚かせない為だろう。

「はい。どなたがそう言っていたと伝えればよろしいのでしょう」

「驃騎がそう言っていたと、お伝え下さい。芥瑚は宮城に戻りますが、しばらくは出てくる事ができません」

「確かに賜りました」

がそう言った所だった。

房室の扉が開いて黄医が出てくる。

に目を止めると、安静にしていれば良いと言って退がった。

は黄医と入れ替わりに房室に入った。

中では景麒の苦しげな息づかいが聞こえている。

そっと歩み寄って覗くと、薄く瞳が開かれた。

熱があるのか、顔がうっすらと赤い。

しかしそのせいか、少し潤いを帯びた瞳の色合いは澄んだものだった。

深いその色合いに魅せられて、はしばらく動くことが出来なかった。

見つめ合ってしばし、景麒が口を開く。

「ご心配をおかけしたようで」

「いえ。お苦しそうでございますね。何かご用命があれば、遠慮せずに言いつけてくださいませ。それから台輔に伝言です」

その会話によって、ようやく反らせることができた視線。

椅子を引き寄せながら驃騎に頼まれた事を伝えた。

それを受けた景麒は、天蓋を見つめながら呟いた。

「芥瑚」

「お側に」

苦しそうな女の声が、どこからともなく聞こえた。

「驃騎や班渠は」

「さほど影響はないかと思われます」

「そうか」

安堵の息が漏れ、景麒の表情が少し和らいだ。

しかしはまだ伝えていない事があった。

瘍医の診断結果を持った報告を受けていたのだ。

景麒がこうして倒れる原因となった少年の容態を、告げなくてはならない。

「あの…台輔。さきほど、瘍医の許から来た官吏から伝言を預かっておりまして」

静かな視線がに注がれる。

「息はあるようです。ですが…助かるかるものかどうか…」

小さな男の子だと聞いた。

一体何があったのだろうか。

「瑛州固継の里家にいた子童で…」

の疑問を読みとったのか、そのように語り出そうとしている。

苦しそうに眉根を寄せた景麒に、は次の言葉を手で制して言った。

「今は台輔もお休み下さい。かように眉を寄せておられては、回復いたしませんよ」

そう言うと、ふっと笑う顔があった。

「眉と体調とは関係ない」

よほどおかしかったのか、そう言いながらも顔は笑っている。

「いいえ。全身の力を抜かなければなりません。体調の悪い時は、沈むように寝るのが一番ですわ」

「大卜もやはり同じように?」

「ええ。今は体調など崩しませんが、ただ人であった頃はそうでございました。つい数ヶ月前も…ただ人でありました。ゆえに、蓬山で眠り続けておりましたでしょう?台輔に起こしていただくまで…」

一瞬、息を呑む音が聞こえた。

「わたしが起こした訳では…」

「いいえ。台輔のおかげで目覚める事が出来たのです。私を呼んで下さった」

「声はさほど…」

出せなかった。

その景観に溶け込むように存在した、に魅入られてしまったからだ。

「聞こえたのです。何度も、何度も…心の声が。瞳を見ずとも聞こえてきたのです。台輔の声に呼ばれて、お顔を拝見したくなったのです。呼ばれるままに意識を向けると、瞳を開くことが出来ました。そして見えたのです」

青い花の舞い踊る世界に、金の髪が揺れていた。

瑠璃色の瞳はどこまでも深く澄んで、を映しだす。

煌めく星、青い罌粟、金の髪。

すべてが鮮明に思い出せる。

夢を見ているのだと思わせるほど、現実味のない景色だった。

…」

ふいに呼ばれた名に、は息を呑んで景麒を見た。

「水を」

喉が痛いのか、再び眉には力が入っていた。

急いで水差しを取り、景麒に差し出そうとしたが、思いとどまり言った。

「失礼を」

首の後ろに手を添えて、そっと持ち上げると、ふと景麒が笑うのが分かった。

何だろうと疑問に思ったが、先に水を飲ませて、首を降ろした。

水を飲み終えた景麒に、は問いたげな視線を投げる。

「逆だったか…」

ぽつりと景麒が言うので、首を傾げて言う。

「逆、とは?」

「今と逆だった。蓬山では、わたしがの首を持ち上げ、諷詠が薬をのませていた」

「で、では私は、台輔に薬を飲ませて頂いたのですか?」

小さな頷きがそれに答え、は赤くなって俯いた。

しかしそれに気がつかないのか、景麒は追い打ちをかけるように続ける。

「だから、今のの心境がよく分かる。きっと、同じであっただろうから」

それによって、ますます赤くなるのを、どうやっても止めることは出来なかった。

今のの心境とは、景麒を気遣う事はもちろん、早く良くなってほしいと思っている。

だが首を持ち上げる際に、限りない愛しさが込み上げてきた。

そこまで分かって言っているのだろうか。

「もちろん、分かっている」

「台輔…とても…嬉しく思います。少し気恥ずかしいですが」

赤いなりにも顔を見せ、にこりと微笑みを見せる。

「でも台輔。話はそろそろお止めになって、瞳を閉じていただきませんと…お体に障りますから」

「まだ、大丈…」

「こ、これ以上は…私が恥ずかしさで参ってしまいます」

微かに笑う景麒の瞳が、徐々に閉じられていく。

ほっと安堵したは、それでもその場から動かずに見守っていた。



続く






100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!