ドリーム小説
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麹塵の袍 =2= それから五日後の吉日。
下界では瑞雲が見られた。
金波宮に王がやってきたのだ。
細い線の大人しそうな女王であった。
その後ろには、宰輔が添うように玄武に乗って到着した。
諸官一同、長い空位の末に迎えた王である。
その思惑は違っても、一目見ようと控える数は多かった。
は特別に、大宗伯に呼ばれ控えていた。
そして到着した主と、自国の宰輔を交互に見て、大きな溜息をついた。
見惚れたのだった。
王はもちろんの事であるが、何よりも宰輔に目がいった。
麒麟は美しい獣だとは聞いていたが、これほどまでとは想像する事すら出来なかった。
いや、ある程度は想像していたのかもしれない。
しかし、その想像を遙かに凌駕するほどの高貴さ、清廉さを兼ね備えている。
そう思ったのは、だけではないようだった。
女王もまた、宰輔を振り返りながら、心許なさそうに小さくなっている。
もっと堂々としていれば、宰輔に決して劣らないだろうに、弱々しい感じは拭えない。
尤も、地に生活をしていた者が、いきなり王になれば当然の事なのかもしれないが。
小さくなりながらも、宰輔と視線が合うと慌てて反らす。
それに加え、恥じらったような表情を見れば、どのように見ているのかは分かる。
そんなやりとりをこっそり覗き見ていたは、王が去った直後、さっそく立ち上がって大宗伯と合流した。
天官が宮の説明をして周り、後に春官が霊鳥の使い方を教えに行くのだった。
それは梧桐宮にて行われる。
しかし梧桐宮は天官の管轄ではない。
よって、そのまま引き継ぐのだった。
麹塵の袍を整えながら、は大宗伯と王を待った。
しばらくすると、天官の先触れがある。
「主上は物珍しそうに見て回っております。後に梧桐宮へと向かいますから、我々に代わり、ご説明を。恐らくもう来られる頃かと」
「承りました」
大宗伯と供に軽く礼をしたは、去っていく天官を見送り、気を引き締めた。
天官の言った通り、王と宰輔はすぐにやってきた。
平伏していた大宗伯が許されるのを待って、も立ち上がって梧桐宮へと進む。
見慣れたこの宮が、今日は何故か輝かしく見えた。
静寂の中に心地よさが生まれる。
青桐の良い香りが広がる中、霊鳥の使い方を説明する。
大卜(だいぼく)として、満たされた瞬間であったように思う。
その気分は、白雉が鳴いてからずっと続いているものであった。
「景麒、これはどのように使うのですか?」
王が宰輔に問う。
「先ほど大卜が申し上げたように、銀の粒を与えるのです」
がにこりと微笑み、それに付け加える。
「主上、この鳥は王にしか使うことが出来ないのです。ご家族がおられるのなら、この鳥を使ってご報告なさると良いでしょう」
「でも景麒、銀の粒など高価な物、あたくしの家にはありませんのよ」
王がそう言うと、景麒は軽く溜息をつきながら言う。
「貴女は王になられたのです。銀ならご用意さしあげ、贈られるが良いでしょう」
「景麒が用意してくれるのですか?」
「わたしでなくとも、主上が命じれば…」
そのやりとりに、大宗伯が割り込んで言う。
「差し出がましいようですが、大卜に一任してはどうでしょう?この宮を任せている者ですから、主上もご安心でしょう」
「ええ、ではお願いします」
その時になって、ようやく王は宰輔から目を離した。
しかしその後、が説明している間にも、王は宰輔に逐一聞き直し、は何やら一人で話をしているような気分になっていた。
あれほどまでに感じていた、大卜(だいぼく)としての喜びは消沈してしまった。
いつしか、早くこの場から離れたいと思うようになっていた。
王は決してを見ない。
わざとではなく、見えていない。
ただひたすら宰輔にしか目がいってなかったようだ。
明日から始まるであろう、政…いや、官吏の派閥の中、暴利が密やかに蠢く中に入っていけるのだろうかと、そのような心配まで起こさせる。
ようやく重責から解放された頃には、黄昏が近かった。
再び天官に引き継ぐため、宮道を進む一行。
ふと庭院を見れば、金色に染まっていた。
すると、の視線の端に、金の髪が現れた。
宰輔である。
金の世界に舞い降りた、かくも美しき獣。
人であって人ではない。
獣であって獣ではないその人物。
光に透ける薄い金の髪は、その色合いを深めて瞬く。
その金がを振り返る。
じっと瞳を見つめてしまった。
金の髪の下にある紫の瞳は、微かな不安をその中に隠していた。
「え…?」
王を選んだばかりの麒麟が、このような不安を抱くものなのかと驚いた。
しかし不安なら、先ほども抱いた。
それと同種であろうかと、その瞳に問い返す。
先に瞳を反らしたのは、景麒の方だった。
「ふう…」
梧桐宮に戻った直後、は深い脱力感に見舞われていた。
王や宰輔を相手に緊張した事もあるが、何より二人のやりとりに、心の中をかき混ぜられたような心境になっていたのだ。
政に対する不安、国の行く末を危惧する心が、どうしても拭えなかった。
何故なら、はよく知っていたからだ。
派閥があり、覇権争いがある。
私腹を肥やす官吏がいかに多いか。
仮に自分が王なら、絶対に逃げ出してしまうだろうと、幾度思った事だろう。
だからこそ、鶏人は言ったのだ。
強い王を、と。
それを思うと、正反対と言えよう。
しかし、の心をかき乱した理由は他にもあった。
もちろん、宰輔である。
その容貌に囚われそうになった、己に対する罪悪の念が胸に刺さる。
神獣に恋慕するなど、あってはならない事だ。
立場が違いすぎる。
それが許されるのは、世界中でただ一人。
主である王だけだった。
そしてその王は宰輔を頼りきって、始終見ていたではないか。
羨ましいと思った事は否定できない。
王であり得ない己の器量。
しかし見比べる心が存在していた。
「私はなんて浅ましいのかしら…台輔に…心を捧げたいなど…」
呟く声に答える者はいない。
ただ白雉が不思議そうにに目を向けていた。
梧桐宮に宰輔が現れたのは、それから二日後の事だった。
「鸞を出して頂きたい」
「は、はい。主上がお使いになられるのですね」
そう言って首を傾げる。
「台輔自らお越しにならずとも、誰ぞ使いを寄越して下されば良いのですよ?」
こんな所にまで、と少し驚いたのだ。
しかし頷いただけで答えとした宰輔。
ふとに目を止め、しばらく見つめるようにしていた。
胸がならぬはずもなく、は時が止まったように立ち尽くしてしまった。
しばらくして、宰輔は静かに問う。
「、とは…大卜の事か」
「え…何故私の名を?」
「蓬山の女仙に、諷詠と言う者がいる」
「諷詠…。諷詠!女仙で…?まさか、何時の間に…」
「無二の友が金波宮にいると。生国に下ったらよろしく伝えて欲しいと言われていた」
それでこんな所にまで来たのかと理解した。
「そうですか…諷詠が…。元気にしておりましょうか?」
「はい」
簡素な返事はあったが、ほんの僅か笑んだように見えた。
その薄い笑みだけでも、には充分であった。
「里から消えてしまった諷詠を、どれほど心配した事でしょう…でも、生きて天に仕えているのですね。よかった…」
「小さい頃からとても良くしてもらった」
「そうですか…本当によかった」
知らず笑顔になる。景麒に微笑みを向けると、一礼をして言った。
「台輔が金波宮に来られてからと言うもの、良いことが続きますわ。色々なものを私に与えて下さる。白雉の人語…その末声しか知らない私に、第一声を聞かせて下さいました。空位の続いたこの国に、王を与えて下さいました。そして今、遠く離れてしまった諷詠の無事を、運んで来て下さった…」
「諷詠の事はともかく、先の二件については何も貴女のために行ったことではない」
「何故そのようなことを仰いますか…」
「わたしは麒麟ですから」
当たり前のことをしただけなのだと、存外に含ませた言い方である。
「では、やはりお礼申し上げなければ。私は慶に生まれた慶の民です。それが新王の即位を望まぬはずがないのですから、王を選んで下さることをいかに切望したことでしょう…」
そこまでを言うと、の瞳に涙が生まれた。
景麒は驚いたようにそれを見て、少し腕を上げた。
しかし、その腕をどうしてよいのか判断できず、そのまま降ろしてしまった。
は慌てて涙を拭い、微笑みを作って景麒に向かう。
「失礼致しました」
「いや…」
何か都合の悪いことでも言ったのではなかろうかと、紫の瞳が語りかける。
それを読みとったはさらに微笑んで言った。
「嬉しかったのです。何もかもが嬉しくて…以前私は、この金波宮はその名にそぐわぬと思っておりました。それが今ではどうでしょう。金の波が作り出す景色が広がる宮城であったなど…台輔が来られるまで気が付かなかったのです」
「…」
景麒はそれに対しても、どのように返してよいのやら困っているようだった。
どうやら感情を示すのが苦手な性分のようだ。
「お気になさいませんよう…私の勝手な思いでございます。ただ、御礼を申し上げたかっただけなのです。もし、蓬山を尋ねることがおありでしたら、諷詠によろしくお伝え下さい」
景麒がそれに返事をしようとした時、梧桐宮の入り口の方から声が近づいてきた。
「…麒、景麒…。ああ、景麒、こんな所にいたのですね」
それは二人の主だった。
そもそも梧桐宮に出入り出来る者が限られている。
ここに詰める者か、王の許可のあった者に限られるのだから。
しかし、王がふらりと来るとは思ってもいなかった。
「主上…」
「主上!」
景麒は小さく呟くように言ったが、は半ば叫ぶように言った。
は慌てて脇に避け、その場に叩頭した。
「ご政務はどうされたのです?冢宰が先ほど奏上を…」
「なかなか戻ってこないから、心配したのよ」
「申し訳ありません」
顔を見ていないと、景麒の声は冷え冷えとした印象を持った。
簡素に話すからだろうかと、床に額をつけたままは考える。
「鸞はまだですか?」
「大卜、主上に鸞を」
「はい」
急いで立ち上がり、鸞の手配をする。
その間にも、王は景麒にしきりに何かを言っている。
あまり聞いては失礼に当たると思ったのだが、聞こえてくる内容に内心苦渋した。
それは官吏の事であった。
覇権争いのその渦中に、投げ出された王の嘆きが聞こえてきたのだ。
右にも左にも従えぬ、冢宰が言を発せば、横から太宰の窘めが入る。
かと思えば、大司空がそれを潰し、大司馬が別の意見を言う。
大司馬と同じ夏官であるはずの将軍ですら、同意見を言わぬだと言って、ついには泣き出してしまった。
「お泣きになられても、何も変化は訪れません。貴女が王なのですよ、それをお忘れなきよう」
「でも…」
「主上の思うようになさればよいのです」
「…」
早く鸞が届けばいいと、いたたまれない気持ちで聞かぬふりを続けていた。
下官が到着した時には、安堵の息が漏れそうになったほどだ。
去りゆく王と宰輔を見送りながら、ようやくは大きく息を吐き出した。
思った以上に、王は気性の弱いお方らしい。
これでは、このどろどろした内実を持つ、慶の官僚達を示唆してゆくのは大変だろう。
「きっと、台輔しか…頼るお方がいないのだわ」
景麒を見つけた王の表情は、縋るような目をしていた。
戻って来ないことが心配になって、こんな所にまで来るほどなのだから。
「どなたに贈る鸞なのかしら。せめてその方が、主上を心安くして下さればよいのですが…」
独り言のように呟いたのだが、鸞を携えてきた下官がそれに頷いていた。
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