ドリーム小説
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麹塵の袍 =4= それから幾年かが過ぎた。
何人かの移動が朝廷内で行われたが、は変わらず大卜(だいぼく)の職務に就いている。
危惧していた王と麒麟の確執は、改善される兆しを未だ見せない。
変化があったと言えばあったし、なかったと言えばないと言える。
頻繁に梧桐宮へと逃げていた王は、今は逃げる場所を変えてしまった。
北宮へとその場を映したのだった。
誰にも会いたくないようだった。
梧桐宮のある西宮に来れば人は少ないが居る。
しかし北宮は無人である。
それでも霊鳥の使用で梧桐宮を訪れる事もあった。
やはり、宰輔が追ってくるのだが…
今日は久しぶりに王がやってきた。
家族と連絡を取っているのだろう。
鸞を愛でて、語りかけている。
家族に当てていると言うよりも、独白のようであった。
本来、が聞いていいはずないのだが、どうやら眼中にないらしい。
それを迎えに来た宰輔。
これも怒りを瞳に宿し、にも気が付かぬ。
「嫌…嫌です!戻りません!」
「お戻り下さい。今すぐに」
「嫌です!絶対に戻りません!あたくしは鸞を出さなければならないの」
「昨日もそう言っておられた。鸞なれば、ご公務が終わってからお出しになれば良いでしょう」
以前の王なら、に助けを懇願していただろう。
それを断ったりしなかったのだが、いつからかそれをしなくなった。
もう、が見えていないのだ。
それは景麒も同じだった。
他人の存在を感じぬ動作と言うのは、異常であると感じざるを得ない。
的確に表現するならば、『病んでいる』、とは思った。
王も宰輔も、日増しに憔悴してきたように見えたのだった。
互いが疲れ切り、頑なになっている。
「このままではいけない…」
輝かしい金であるはずの神獣は、ただ人よりも色影が薄い。
王もまた、ただの怯えた女と変わりなかった。
なんとかしなくてはならない事は分かっていても、何をどのようにすればよいのか検討もつかない。
誰かに相談するにも、信用できる者が金波宮にはおらず、一人苦悶するしか方法はない。
「こんな時に…信頼できる友がいれば…」
言いながら、はたと立ち止まる。
「そう、いるじゃないの…とても遠いけど…諷詠が蓬山にいるじゃない!」
突如、目の前が明るくなったような気がした。
鸞は王にしか使えないが、青鳥ならにも使える。
はすぐに書簡を用意し、青鳥に託して蓬山へと送った。
祈るような気持ちを籠めて、雲海の彼方に消える青鳥を見つめていた。
そうした事によって、少し気が楽になった。
その背後に誰かの気配を感じた。
「大卜」
「台輔!」
「鸞は今?」
「鸞?鸞ならおりますが…それが何か?」
「二、三日の間に鸞が使いに出たことは?」
「ございません」
「そうか、失礼した」
「お待ち下さい、台輔。何があったのです?」
「宮城内に主上がおられない。鸞が出ていたのなら、生家に帰られたのだと思ったのだが、違うとなれば別の所でしょう」
「追われるのですか?」
「むろん」
「台輔…近頃お疲れのご様子ですわ。少し休まれては如何です?」
「…」
「少し…主上とお離れ下さいまし。主上の為にも、台輔の為にも、それが良いと思われます」
「…」
「ずっと、考えていたのです。私には王と麒麟の間にあるものは分かりません。私は王ではないし、麒麟でもないからです」
何を分かり切った事を、と景麒の瞳が語る。
「ですが、今は離れるべきだと思うのです。主上が金波宮を離れるのは、英気を養うためかと。ならば、台輔もどこかで英気を養いませんと。お辛い台輔を見ていると、私まで辛くなってしまいます」
「何故、大卜が辛くなるのです」
そう問われて、あなたが好きだから、とはとても言えない。
瞳を読まれぬよう、顔を伏せて言う。
「どうか、それ以上はお聞きにならないで下さいませ」
それだけを何とか絞り出すと、後は景麒がその場から退出するのをひたすら待った。
その五日後。
蓬山から朱雀がやってきた。
諷詠からの返事だと思っていたは、宰輔にあてたものであることを知って、少し驚きながらもそれを通達する。
すみやかに宰輔の許へと朱雀は運ばれた。
そして二日後、宰輔は蓬山の招集に応じて金波宮をあとにする。
大宗伯の話によると、蓬莱から戻ってきた、戴国の麒麟のために蓬山へ招集されたとの事だった。
まだ景麒が蓬山にいた頃に、大きな蝕があった。
もその蝕の事は覚えている。
慶でも甚大な被害を生んだ蝕。
その時、まだ卵果であった戴の麒麟は、蓬莱へと流されてしまった。
つい最近になって、ようやく戻って来たのだという。
同じ時期にいたということもあり、景麒が指導役に選ばれたらしい。
そこに諷詠の影を密かに感じた。
そっと心の中で感謝した。
夏至までには戻ってくると言って発ったはずの台輔は、夏至を過ぎても戻って来なかった。
その間、金波宮は良くも悪くも変わらなかった。
そう、少なくとも、梧桐宮に変化はなかった。
そうして数日が過ぎて、ようやく景麒が帰ってきた。
梧桐宮に訪れた景麒を見て、は心なしか、柔らかな空気に身を包んでいるように感じた。
「蓬山はいかがでございました?」
景麒は薄く微笑むことによって答えとする。
袂から何かを取りだし、に手渡した。
「諷詠からこれをと」
渡されたのは、一巻きの書簡であった。
「まあ、諷詠から…わざわざ台輔にお渡しするとは…諷詠ったら。でも、ありがとうございます」
「諷詠は変わらず元気にしておりました。蓬山では紫蓮宮に滞在し、身の回りを諷詠が。その…大卜の配慮であったか?」
はっと顔を上げたは、その直後慌てて下を向いた。
「差し出がましいことを…申し訳ございません」
「いや、陳謝には及ばない。むしろ感謝せねばと思う」
泰麒と触れる事によって、少し主の気持ちが分かったように思う。
蓬莱に残してきた母を思って泣いた泰麒と、亡くなった母を思って泣く主。
ここにさほどの差違がない事を、ようやく理解する事が出来たのだった。
「とは言え、もとより玉葉さまには、何もかもお見通しであったように思うが…」
「玉葉さまと申されますと…」
口に出してから、小さくあっと言った。
「碧霞玄君…」
そうだ、あまりにも玉葉と言う字が多いため、瞬時に気が付くことがなかったが、その字の由来になっているお方だった。
「わたしには相手の気持ちを汲むと言うことが欠けていたのです」
そう景麒が言うので、はふわりと笑った。
「お気づきになられたのでしたら、これからは大丈夫でしょう。まだまだ時間はございます。主上も台輔も、そして我々も、少しずつ成長してゆけばよいのですから」
麹塵(きくじん)の袍を揺らして言う大卜に、景麒はただ無言で頷いた。
景王登極からしばらく、忘れられていた希望の光が見えた瞬間であった。
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