ドリーム小説




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麹塵の袍


=8=



景麒が宮城に戻ると、すぐに王が戻ってきたとの報が入った。

胸を撫で下ろしたい心情で内宮に向かい、溜まった書類を奏上し始めた。

しかし戻った王は、次第に顔を伏せていく。

聞くことを拒絶しているのだ。

折角戻ってきたと言うのに、これでは依然と何も変わりない。

大きな溜息を、知らず吐きだしていた。

























何も変わらないかに見えた。

いつものようにその日を迎え、いつものように朝議が始まった。

違うことと言えば、王が壇上にいると言うことぐらいか。

と別れてから、三日目の事だった。

その日も、朝議は紛糾していた。

王を遠回しに諫める声もあがっていたが、今日の王は顔を伏せずにそれを聞いていた。

いや、本当に聞いているのだろうか。

ただ一点を見つめて、まんじりともしない。

それが動くのに、きっかけがあったのかどうかは分からない。

ただ、景麒が気付いた時には立ち上がり、勅命を下していた。

王が天命を失うのに、これ以上の過失はない程の勅令。






女の国外追放である。





それまで喧々囂々としていた官吏達の口は、一瞬で閉ざされた。

景麒が金波宮に来て以来、初めての事である。









「班渠」

仁重殿の自室で呟いた景麒は、の安全を確認するために使令を放った。

勅命のせいか、胸騒ぎが治まらない。

王は勅命を下した後、西宮に籠もって出てこようとはしない。

中で何をしているのか、それすらも分からない状態であった。





















夕刻、景麒の許に班渠が戻ってきた。

その報告は、景麒をさらに深い絶望の淵へと導く。

は班渠が連れていった街から、姿を消していたと言う。

消息はまったく分からないとの報告に、崩落を垣間見たような気がした。

もう、景麒を救うものは何一つ無かった。

支えもなく、希望もない。






























痛みを抱きかかえたまま、時が止まったような日々が続いた。

これ以上の過失はないと思った数日前、それが今は懐かしくさえ思える。

それ以上の事が待ち受けていたのだ。

王の異常さは日増しに強くなり、に向けられていた殺意は、女という存在に切り替わっていた。

絶望が国土を支配し、荒廃はもう目前にまで迫っている。

止められない無力を呪うことすら、今の宰輔には出来なかった。



























「台輔…」

静まりかえった宮城の中で、白い人妖が景麒の顔を覗き込んでいた。

景麒の顔色は土気色を露わに、病的な瞳が動くことはない。

悪くなる一方だった。

当然の如く覗き込んでいる芥瑚もまた、体が重い。

王の命があり、女官は金波宮にいない。

官吏の半数近くが消え、幾人かは補充されたが人手不足は必至。

宰輔の身の回りを世話する者がいないのだった。

健常ならばそれでもやっていけようが、今の景麒は一人で起き上がることも出来なかった。

天意が去った証である。























蒼天はいつの間にかその姿を消している。

雲は厚く空を覆い、時折強い稲光を誘い出していた。

その日、梧桐宮では大卜(だいぼく)不在のまま、白雉が末声を鳴いた。











景麒は牀からゆっくりと身を起こした。

体が軽くなっている。

しかし、心がこれ以上ないほどに重たい。

消え失せた春光を求めるように、知らず腕を伸ばしていた。

決して慕っていたとは言えなかった。

だが、それがより一層麒麟としての性を思い知らせる。

絶望的な思い。

やりきれない心。

嘆き悲しむには、あまりにも衝撃的な事実。

思いとどまらせる事が出来なかった悔恨。

原因を作ってしまった己への怒り。

それらが入り交じって、気が狂いそうだった。

しかし景麒の苦悩はすぐに治まった。

冷静に物事を考える事が出来たのは、それから三日も経たない頃だった。

前王が倒れたのなら、次王がこの国の何処かにいるはずだと、そう思うようになっていた。

まだ体は完全ではないが、動けるようになれば、すぐにでも次の王を探したい。

一刻も早く、この国には王が必要なのだと、強く思っていた。

そうすることが、禅譲という道を選んだ王に答えることが出来る、唯一残された事だと考えたのだった。




















慶東国国主、景王舒覚は謚号を予王と言う。

予王が身罷り、再び国土に混乱が広がろうとしていた。

王が死んだからといって、空位の国に戻ってくる女は少ない。

王を探そうとする一方で、を探そうと試みる景麒の思惑は、悲しいものとなった。

体力が回復し、国中を渡り歩いても、天啓は訪れない。

それどころか、予王の時には漠然と感じていた王気が、今度は果てしなく遠く感じる。

ともすれば、見失ってしまいそうな微かな気配だった。

天災や疫病がはびこり始め、妖魔の出現も徐々に増えている。

頭の痛くなるような報告を、宮城に戻るたびに聞かねばならなかった。

極めつけは偽王が起ったと言う事だった。

偽王は前王の妹、舒栄。

それが王でない事は、麒麟である景麒が一番良く知っている。

焦る思いだけが先に先に進もうとし、何も変わらぬ現実との狭間で人知れず苦悩するのだった。























その日景麒は、首都の近隣を彷徨っていた。

王気を追っているつもりだが、昨日はもっと南東の方に感じていたのだから、本当に王気を辿っているのか、怪しいところだった。

しかしその日に限っては、景麒の進んだ方角が思いもよらぬ結果を招いた。

首都には近いが小さな街。

使令に騎乗はしていても、やはり疲労は蓄積している。

少し休憩をしようと立ち寄ったのだった。

「きゃー!!」

街に入ってすぐ、どこからか悲鳴があがった。

悲鳴の原因はすぐに分かった。

妖魔が隔壁を飛び越えて、街中で暴れていたのだ。

すぐに使令に命じ、救済にあたった。

主立った使令が妖魔と格闘しているのを、離れて見守っていた景麒の背後に、懐かしい声が響き渡る。

「台輔…?」

まさか、と半信半疑で振り返った景麒の瞳には、間違いなくの姿が映し出されたのだった。

あの日別れた時の様子をそのまま残した、会いたくとも会えなかったその人。

「台輔…台輔!やはり、台輔の使令だったのですね。どこかで見た事があると思い、近くに台輔のお姿がありはしまいかと、思わず探してしまいました」

…わたしも探した。よく無事で」

「ええ…ええ。台輔も…」

何かを言いかけたは、景麒の背後を凝視していた。

しかしすぐに叫んで景麒に駆け寄る。

「台輔!」

駆け寄ったが景麒に到達するのと、妖魔が景麒を貫こうとするのはほぼ同時であった。

ぱっと飛び散る鮮血が、景麒の前に躍り出た芥瑚(かいこ)に降り注ぐ。

!」

王に対してですら発せられなかった、悲鳴のような景麒の声は、妖魔の叫びにも似た断末魔によってかき消された。

辺りは瞬く間に血の臭気で満たされる。

しかし景麒がその場から離れることはなく、大量に血を流しているに駆け寄り抱きかかえた。

「台、輔…」

喉から風のような音が漏れている。

仙籍にあったとしても、致命傷になりかねない傷が、ただ人に戻ったの命を蝕(むしば)んでいる。

「台輔…私から離れて下さ、いませ。お体に、障ります…」

「口を開いてはいけない。一緒に傷が開いてしまう」

ひゅうひゅうという音が、声と一緒にの喉元から流れていた。

「で、すが…」

「すぐに金波宮へ。瘍医に見せて治療を…」

しかしの首は微かに横へと揺れた。

「最後に…台輔に、お逢いする事が出来て…幸せでござい、ました」

「何を…」

の瞳は景麒を通り過ぎ、空に向けられて蒼い色を映していた。

「昔…諷詠が、蓬莱の話、をしてくれました。小さな頃には、夢のような国なのだと思っていたのですが…実際はどうなのでしょう?台輔、は…蓬莱に行かれた事が…ございましょうか?」

景麒は静かに首を振ると、腕を揺らさないように静かに答える。

「渡る理由がない」

「そう…ですわね…。でも台輔…台輔が苦しまない世界が…そこにはあるの、かも、しれませ…」

ごぼり、と血で噎(む)せ返ったは、最後まで言うことが出来ずに、景麒の腕の中で身動ぎをした。

、すぐに治療を」

「…諷詠は、蓬莱に行くことが、出来るのかしら…蓬山の女仙になったんだもの…きっと、可能では、ないかし、ら…」

「口を開いてはいけない」

「いいのです…私は…。台輔がご無事なら、それで…いいの、です…」

今すぐに契約する事が出来たら、どんなに良いかと思ったが、に天啓がないのは明らかなことであり、れに背くことが出来ない己を自覚するだけとなった。

ただ消えゆく魂を、むせるような血の臭いの中で看取るしかできない。

「蓬莱は…どれほど豊かな国なのでしょう…か…死んだら…心だけでも…そこへ行けるかしら…」

「台輔、妖魔がまだおります。ここから離れなければ」

気遣うような芥瑚の声が背後から響く。

しかし景麒は動くことが出来ない。

空を見上げていたの顔が景麒に向けられ、静かにその口が開いてゆく。

「私をこの場に…捨て置いて下さいませ…。血の、臭いに妖魔が集まり、他の方が、助かるやも、しれません。お願い、です…台輔。すぐに…ここから…離れて下さいませ…今、すぐに…」

逡巡する景麒の瞳を、の瞳が真っ直ぐ捕らえている。

逆らえないと思ったのは、これが初めてである。

命を賭けた願いが、その強い視線を生んでいた。

やがて頷いた景麒を確認すると、の視線が緩んだ。

最後の声を振り絞るようにして、は景麒を見つめながら言う。

「諷詠に会ったら、私と同じ…気味の悪い癖を、治すようにと…お伝え…下さ…い…台輔、最後に、逢えて…よ…」

ふっと景麒の腕の中で、の体が重くなった。

両手に血を付けたまま、景麒はを途の端へと運ぶ。

そこへ妖魔が二匹流れて来るのを感じた。

「芥瑚」

呼ばれた芥瑚は、躊躇いもなく妖魔へと向かう。

の遺言を胸に、景麒はその場から立ち去っていった。



続く






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