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金の太陽 銀の月 〜太陽編〜 =17= その日の夕刻。
は清漢宮の奥に来ていた。
本来なら立ち入る事など出来ない禁域である。
後宮の一角である典章殿には、王と側近だけが住まい、外朝に官邸を持つ官吏が起ち入る事は出来ない。
もちろんの場合、利達が一緒に連れてきたので、止められる事はなかったのだが。
「二年前、文姫がとても会いたがっていた。簪を喜んでいて、個人的に雇うのだと言っていたな」
「個人的に?」
利達は頷くと続いて言った。
「だからきっと喜ぶと思う」
「でも…なんだか緊張してきちゃった…どうしよう。声が出なくなるかも」
軽く笑った利達に、の不安げな瞳が訴えていた。
「す、少し待って。ちょっと、呼吸を整えてくるから」
はそう言うと、すぐ傍の柱に駆けて行った。
さっと影に入り込むと、深呼吸をする音が聞こえ始める。
「あれ?兄さん」
立ち止まってを待っている利達に、利広が声をかけた。
「聞いたよ兄さん。駄目じゃないか女性を泣かせちゃ。女官を振ったんだって?」
ぴたりと止まる深呼吸を聞いたような気がした。
「何の事だ?」
「父さんから聞いたよ。何でも若い娘さんを兄さんがからかったって。泣かしてぶたれたって官の噂でも聞いたし。今はも宮城にいるんだし、気をつけないと」
何を言われているのか利達には分からなかったが、柱の影でが確実に誤解している事は分かった。
不穏な空気が流れ始めていたからだ。
「お前…が宮城に居る事を知っていたのか?」
「あれ?言わなかったかな?」
「初耳だが」
「それで浮気してしまったのかな?」
「浮気など…」
そこまで言った利達は、残りの言を飲み込んだ。
柱の影から姿を現したは、まったくの無表情で利達に歩み寄る。
「あれ?どうしてがこんな所に…」
利広もその後は口を閉ざす。
典章殿に響く痛々しい音を最後に、は内宮から姿を消した。
「え〜っと…冗談だったのになぁ」
困ったように言った利広に、頬を押さえた利達は冷たい声で問いかける。
「お前はわたしとの兄弟仲を潰したいのか、それともとの仲を裂きたいのか、どっちだ」
「いや…え〜と…」
困り果てた卓郎君と、弱り果てた英清君はその後、言葉もなく自室に戻った。
内宮を退出してきたは、そのまま宮城を出て山を下る。
街に下りるとまっすぐ舎館を目指し、辿り着いた時には、明かりが灯るほど暗くなっていた。
舎館の中からは忙しそうな音がしており、女将に会いに来たは入るの躊躇い、しばらく舎館付近をうろうろしていた。
しかし入る事を諦め、その場を立ち去った。
この忙しい時間に、女将と何を話そうと言うのか。
恋の悩み相談でもしようと?
女将ならきっと、ちゃんと聞いてはくれるだろうが、そんな事を言いに戻るのは、何か逃げ帰るようにも思えた。
女将には良い報告をしたい。
春官の仕事になれた頃、手土産でも持って舎館を尋ね、みんなと思い出を語る。
そうでなければ、心配されてしまうだろう。
それに、自分はすでにこの舎館の人間ではない。
今行った所で、居場所などないと分かっていた。
浅はかな思いでここまで来た、自分の弱さが少し悔しかった。
溜息をついた後、当てもなくただぶらぶらと街を歩き、気がつくといつも利達と会っていた、民居の間に生える木の所に来ていた。
「なんだか懐かしい…」
まだそれほど時間は経過していないはずだったが、木に手をつくと遠い過去の出来事のように、あらゆる場面が思い出された。
「よく考えたら、私と勘違いした女官の話と、私の話とが入り混じっていたのよね。ちょっと悪い事しちゃったかな」
反省したは木から手を離し、帰ろうと道に戻った。
「きゃ…」
暗がりの中、何かとぶつかり、尻餅をついた。
何にぶつかったのだろうかと目を開けると、男の脚が見えた。
「あ、ごめんなさい。ちゃんと見てなくて」
「お前…」
聞き覚えのない声に、は男を見上げた。
「あ、あなたは…!」
港町での財布を取った男だった。
「どうしてこんな所に…」
「それはこっちの台詞だ。だが、ここで会うって事は何かの縁だ。とりあえず、有り金全部だしな」
「…あなた、少しも成長しないのね。それ、いいかげんにやめたら?」
「随分喋れる様になったじゃねえか。お前にはな、恥かかされてんだよ。ただで帰れると思うな」
「何を言われてもお金なんて持ってないわ。自宅に全部置いてきたわよ」
「へえ、じゃあ自宅に案内しな」
民居の明かりを受けて、きらりと光るものをは見た。
「脅そうっていうのね。私の自宅は山の上よ。そこまで着いてくる自信があるのかしら」
「ああ?山の上?」
「ええ。隆洽山の中腹あたり。外朝といえばいいかしら」
「な、何?それじゃあ本当に官吏?国官だってのか?」
「そうよ」
ちっと舌打ちが聞こえたかと思った次の瞬間、の目前に反射した刃物が映った。
急いで身を屈めて見たものの、ちり、と熱い感触が胸に走る。
「くっ…」
崩れる体に追い討ちをかけるように、男は再度刃物を振り下ろす。
「へっ、俺はなそんな事じゃびびらねえんだよ。目的を変更すりゃいいのさ」
胸を刺されても、まだ死んでいない事実に驚いたが、は視界が滲み始めたのを感じていた。
「忠告しておくけど…国を敵に回すのは、賢いとは言えないわね」
口調とは裏腹に、もう気を保っているのが難しく思えた。
薄れ行く意識の中で、は利達の幻を見た気がした。
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