ドリーム小説
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金の太陽 銀の月 〜太陽編〜 =3= しばらく待っていると、桧皮の襦裙が目の前に現れる。
「ど、どうかな…」
不安気に見上げているのは、に違いないのだろう。
「見違えた…」
「え?」
「いや、…なんでもない」
簡素な襦裙に、輝かしい人が包まれているように感じた。
随分と汚れていた顔を洗ってきたから、そのせいかもしれないが、先ほどと同じ人物とは、とても思えなかった。
「やはり華やかな襦裙の方が似合ったのでは?」
「そんな事ないわよ」
は嬉しそうに何度も自分を見下ろして、さらりと揺れる裾を見ていた。
「そうか…」
女性に贈り物をする男の気持ちが、少し分かったような気がした。
これほど喜んでもらえると、自分までもが楽しくなるような気がするのだから。
「では舎館に向おうか。もういい頃合だろう」
そう言った利達の言を、店の外に出たは理解した。
陽は大きく傾き、街は赤銅色に染まっていた。
白い石に橙の陽が映り込み、二人の影が長く伸びている。
「わあ…凄い!」
は海に向って駆け出していた。
さほどの距離はなく、海はすぐに見えて始める。
風がの漆黒の髪を巻き上げ、静かに肩にかかる。
桧皮色の襦裙の裾も静かに収まった頃、利達は追いついて隣に立つ事が出来た。
「綺麗いで、とても不思議…。ねえ、この海はなんでこんな色をしているの?」
「なんでって…赤海だから、か」
「う〜ん?巧の海は青かったわ。奏になると赤くなるの?」
それを受けて利達は、頭を抱えたい心情になっていた。
「は、こちらに流されてどれぐらいになる?」
「え?そうね…三ヶ月ぐらいになるかしら」
やはり、こちらに来て間もない。
何も知らないと思っていいのだろう。
「それでよく、ここまで来る事が出来たものだ…」
感心した目をに向けた利達。
言われた本人はのほほんと笑んでいる。
赤と橙が入り混じった光の線を、その瞳は追い続けていた。
すっかりと陽が沈みこむまで、身動き一つせずに、輝きを見つめている瞳も瞬きを見せ、不思議な綾を織り成していた。
陽が完全に消えるのを待って、利達はを促す。
「こんな時間から、舎館は見つかるものなの?」
時を無為に過ごした人物の言とは思えぬそれに、利達は苦笑しながら応える。
「いや、騎獣を預ける為に、すでに舎館は取ってある。臥室が二つあったから、一つを使うといい。…は舎館に泊まった事はないのか?」
「ないわ」
「それでどうやって旅をしてきたんだ?」
「ああ、不思議でしょう?」
悪戯っぽく笑ったは、一枚の紙を取り出して利達に渡した。
「この子は小さい頃病気にかかって、口を利くことが出来ません。教育も受けておりませんので、文字を読む事が出来ません。哀れと思し召しならどうぞ一晩、家の片隅に置いてください」
読み上げた利達に、は少し驚いて答える。
「あ、そんな大層な事を書いていたのね。口を閉ざせばいいってのは分かったんだけど」
「これは慶で?」
「いいえ。巧の人が書いてくれたのよ。あ、今気がついたんだけど、慶の人は仙人だったのかな?言っている事が分かったもの。ただ意味が分からなかっただけで」
「官府にいた者なら、仙だろうな」
「そっかぁ。でもあまり感じが良くなかったわね。だって巧の人は全然何を言っているか分からなかったけど、とてもよくしてくれたもの。絶対に暮らしはよくなかったと思うの。とても貧しい感じがしていたのに、路銀までくれて、その紙をくれたのよ。住む所が決まったら、無事に奏に着いたって知らせに行かなきゃ。あ、でも先に言葉を覚えなきゃ。ちゃんとお礼を言いたいもの」
「…素晴らしい順応能力だ」
心の底から感心して言った利達は、嬉しそうに笑むを見た。
「そう?ありがとう。でも命がかかっていたら、誰でもこうなるわよ」
それはどうだろうかと思ったが、口には出さないでおいた利達。
そうこうしている内に、舎館に到着した。
「わ…凄い舎館。こんなに豪華な所、初めて見たわ。巧でも慶でも見たことがないわ…。尤も、ここまで綺麗な街もなかったけど」
「そうか。そう言ってもらえると、奏国民としては嬉しい」
中へ入ると、はさらに感嘆の声を出し、物珍しそうに辺りを見回していた。
房室へと向った利達は、舎館の者に夕餉を運ぶように頼み、床几(こしかけ)に座る。
「本当に凄い。溜息が出ちゃうわ」
そう言うと、本当に大きな息を吐いた。
軽く笑った利達は空いている床几を指し、座るように言う。
「しばらくはくつろぐといい。夕餉の後で少し教えてあげよう。あまりにもこの世界の事を知らなさ過ぎる」
「教えてくれるの?色々?」
嬉しそうに言うに、利達は頷いて答える。
「そうだな。学ぶのは嬉しいのか?」
「うん。だって、分からない事だらけなんだもの。誰に聞こうにも言葉が通じないし。…実を言うと、学びたいって言うよりも喋りたい。ちゃんと相手の言っている事が分かるって、こんなに楽しい事だったんだ」
それは三ヶ月の間、彼女が苦しんできた事だった。
さらりと言うが、言葉が通じず、知らぬ世界に投げ出されれば辛いだろう。
どこまで理解をしているのか分からないが、ほぼ何も知らないと見たほうがいい。
「何から教えればいいのか…」
「?何から??」
「あぁ、いや…そうだな。は何を学びたい?」
「う…ん…。私は、何を学べばいいの?」
「そうなるのか…。そうか…となると、無からだな」
「無?」
「初めからと言う事なんだが…」
利達がそこまで言った時、扉の向こうから声がかかる。
夕餉の用意を持ってきたようだった。
それを驚いたように見ている。
「これは…食べ物?」
「確かにそのように見えるが…蓬莱の物とは違うのだろうか?」
「え、ううん…そうじゃないけど…こっちの食べ物って、もっと茶色くて、白くて、薄くて、べちゃべちゃしたものばかりだと思っていたから…」
今までどのような物を食べていたと言うのだろうか…。
よほどの暮らしをして来たようだ。
箸を使う事は出来るのだろうかと、危惧せざるを得ない発言だったが、利達の目の前では箸を手にとり、丁寧に手を合わせて言った。
「いただきます」
炊き立ての白米の碗を持ち、器用に箸を使う。
いや、普通なのだが、器用だと感じてしまったのだ。
一掬いを口にいれて、噛み締めていたは、満面の笑みを作って微笑んだ。
「おいしい」
「そうか、よかった」
早くも遅くもなく食べ続けるを見ながら、利達は頷いて自分も箸を持った。
ひもじいのなら、もっとがつがつ食べるものだと思っていたのだが、そのような行動は取らなかった。
良い教育を受けた証なのだろうと思う。
「ご馳走様でした」
手をつけていない器を幾つか残し、は箸を静かに置く。
「もういいのか?」
「あまり食べていなかったから、たくさんは無理みたい。ごめんなさい、残してしまって」
「ひょっとして、箸をつけたものは無理に食べたのか?」
「あ…うん。だって失礼じゃない。箸をつけて残すなんて。本当なら、全部食べるのがいいんでしょうけどね。それはとても無理そうだったから。ごめんなさい」
「いや、謝る必要はない」
そう言うとは微笑んで、再度礼を言った。
「たくさん助けてもらっているわね…ねえ、私に何か恩返し出来る事があったら、何でも言ってね。出来る事って、とっても少ないと思うけど…」
確かに、と言って利達は笑う。
その後、利達もすぐに食べ終わり、二人は低い円卓へと移動した。
紙と筆を借りて、小さな授業が始まる。
「世界は十二の国があり、それぞれの国は王が治めている。大陸続きに八つの国。海を隔てたその周りに四つの国があり、ここは大陸の一番南の国、奏南国だな」
利達は説明をしながら、紙に図を書き込んでに見せる。
「やっぱり…そうなんだね」
「やっぱり?」
「あ、ううん。なんでもないの。続けて」
「…。が最初に辿り着いたと言うのは、東の国、慶東国の最南端だろう。そこからここ、巧州国に入ったのだな」
「陸の南で奏南国?慶は東だから慶東国?」
「その通り」
「じゃあ、西と北は何て言うの?」
「範西国、柳北国」
「へええ。それで?巧は?」
「それを取り巻く四つの国には州がつく。北から雁、巧ときて、奏を通り越して、才、恭。虚海に浮かぶ四つの国には極がつく。雁の対岸が戴極国、巧の対岸は舜極国、才の対岸は漣極国、最後に恭の対岸が芳極国だな」
「州国の対岸には、極国があるのねそれで十二なんだ。ねえ、虚海ってのは?」
「外海の事で、世界を取り巻く海だな。はここから流れついたのだと思う。内海はそれぞれ名が違う。が最初に見た内海は青海。巧の途中から、赤海に変わる。さらに赤海は才から白海に変わり、恭で黒海に変わる」
「それぞれ名が違う?じゃあ、色も違う?」
「飲み込みが早いな。その通り」
「ふうん…」
それからも続く説明に、質問をはさみながら、はどんどん吸収していく。
聞きたいことは山積しており、答える利達も、間違えた情報や、勘違いのないように、言葉を選びながら答えていた。
時間は瞬く間に過ぎ、いつしか痛くなり始めた首を、二人は伸ばしながら続けていた。
しばらくすると、は首と一緒に体を伸ばし、大きな息を吐き出した。
「ねえ、怖くて聞けなかったんだけど…ここは私の居た世界とは違うのよね?」
「…申し訳ないが、違う」
「帰る事は…」
「出来ない。少なくとも、今のには不可能だ」
「そっか…ははは…そうなんだ…。なんとなく、そうじゃないかと思ってたの…だって、日本には…ううん。私のいた世界には赤い海なんてないし、翼の生えた虎なんていないもの」
「窮奇に襲われたのか?」
「きゅうき?」
紙に字を書いて見せる。
「窮奇。翼の生えた虎と遭遇したのか?」
「うん。慶でね。とても騒ぎになっていたもの。それを見てすぐに思ったの。ここは私の知ってる世界じゃないって。でも、考えないようにしてたの。だってそうでしょう?知っているどころか、理解出来る世界じゃなかったんだから…」
笑い顔のまま、漆黒の瞳は隠される。
変わりに零れ落ちる涙に、利達は何も言うことが出来なくなった。
「は…はは…はっ…」
拳が握られ、小さく震えていたが、必死に我慢している。
そっと肩に手をかけた利達は、小さくに言う。
「それでも、生きていてよかった…」
その言に開かれた瞳は涙に濡れ、歪んだ利達を映していた。
「泣くといい。今は何も考えずに」
拳に乗せられた利達の手が温もりを伝え、決壊するかのように溢れ出す涙。
利達に包まれた手を抱え込み、は声を出して泣いた。
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