ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =13= 入れ替わるようにしてやってきたのは尚隆だった。
「ひょっとして、また隠れていた?」
「よく分かったな」
その返答に苦笑して、は窓に目を向けた。
朱衡が来た時、まだ黄昏(たそが)れていた空はすっかり闇に包まれている。
「先輩は、大丈夫なの?」
「大丈夫、とは?」
「無事?」
尚隆は訝(いぶか)しげな表情をに向けただけで、その問いには答えなかった。
しかしそれがの猜疑心(さいぎしん)を煽(あお)る。
「ねえ、聞いてもいい?」
「なんだ」
はすぐに返ってきた声に、戸惑いを隠しきれずにいたが、そのまま思い切って口を開いた。
「どうして死体のない内史は葬儀があって、死体で発見された大卜(だいぼく)の葬儀はなかったの?」
「小宗伯から聞かなかったのか」
「……え〜っと……聞いたかしら?覚えてないわ」
「あまり葬儀が続くとよくないからだな」
「仙はそう簡単に死んだりしないからって理由?」
「端的に言うとそうなる」
では詳しく言うとどうなるのだろう?
だが、それを問い返すような雰囲気ではなかった為、はそのまま口を噤(つぐ)んでしまった。
しばらく沈黙が流れたが、はそれを打ち崩すように言った。
「人を殺す時の気持ちって……尚隆なら分かる?」
「……」
「ごめん、忘れて……そんなの、分からないわよね」
「分かる、と言ったら?」
「え……?」
「数えた事はないが、この手に血が流れた事は幾度もある」
「うそ……でしょう?」
そう呟いてから気が付いた。
戦国の世に生きていたのなら、当然のことだった。
農民ですら武器を手に取った時代だったのだから。
「でも……でもそれは蓬莱での事でしょう?だって時代が……」
「こちらに来てからもある」
驚いたように尚隆を見つめる。
「ごめんなさい……変なことを聞いて」
何か理由があるのだろう。
しかしそれを言うのなら、犯人にだって何らかの理由がある。
尚隆の聞いてもいない理由は良くて、犯人の持つ理由が悪いなんて事があるのだろうか。
あるとすればそれは、偏(かたよ)った見解ではないのか。
「ああ、そうだ」
尚隆は唐突に何かを思いだしたのか、黙ってしまったに向かって口を開く。
「訪問者に……」
そこまで尚隆が言った時だった。
駆けてくる足跡が遠くから聞こえる。
足跡は徐々に大きくなり、入口の前で止まった。
「先輩かしら……?」
の呟きをうち消すように、入口から声が響く。
「主上はこちらにおられますでしょうか!」
男の声だった。
尚隆は入口に歩みよって扉を開く。
「何があった」
「ああ、主上!たった今……」
焦った様子の男はまだ若く、文官のようだった。
尚隆の背後にいるに気が付いて声の調子を下げる。
聞き耳を立てていても、何を言っているか理解するには難しいほどの小さな声だった。
何とか聞き取れたのは、台輔と小宗伯が、と言った声だけである。
しかしそれは、の不安を大きくするには充分な言葉だった。
「わかった、すぐに戻ろう」
男は尚隆の言葉に頷き、深く頭を下げてその場を離れた。
男が消えると、尚隆はを振り返って手短に言う。
「今日はもう眠った方がいい。そろそろ体力の尽きるころだろう」
「え?ええ……」
いつになく強い眼差しを受け、少し動揺しながらは答えた。
それを待ってか、尚隆は大きく頷いてその場から退った。
「眠れるかな……」
一人になると、はそう呟いて窓際に向かった。
眠れるはずがないと考えながら。
あの手に血が流れた事は幾度あるのだろう。
王であるのなら、処刑を命じる事だってあるはずだと言う発想は、ついに生まれなかった。
そんなことよりも、大きな不安が今は目前にある。
「先輩に、何があったのかしら……まさか……」
それ以上は声にだして言うことは出来ず、首を左右に振って考えを消そうとした。
しかしそれぐらいで振り払えるはずもなく、不安に包まれて窓際を右往左往するしかない。
様子を見に行きたいが、どこをどう行けばいいのかさえ分からなかった。
窓に目を向けても、暗闇しか瞳には映らない。
本当に映したいものを、窓は見せてくれなかった。
その時……
「何……?」
窓の外にちらりと動く白い影。
首を振ってよく目を凝らしてみる。
しかし何も見つけることは出来なかった。
「気のせい……?」
もう一度よく見ようと、は窓に手をかけた。
冷たい空気に触れ、風が雪崩れこんでくる。
光の反射により、見えにくかった景色が広がっていた。
風の起こす小さな葉擦れ以外は、何の音もない世界。
その中に、確かに異質な物音が混じっていた。
「誰かいるの?」
さくり、さくりと近付いてくるのは、人の足音。
「誰なの?」
「……」
「!」
は驚いて入口と窓を交互に見る。
刹那の思案の後、窓にかけられた足。
庭院へ舞い降りる金の髪を、その夜、宮城で見た者は誰もいなかった。
「主上?どうされたのです?」
内殿に戻った尚隆は、すぐに六太のもとを訪ねた。
そこには客殿に行く前の景色と、何ら変化は見受けられない。
伏せて熱にうなされている六太とそれを見守る小宗伯。
訝(いぶか)しげに眉を顰める尚隆に、同じような表情になった小宗伯が問いかけた。
「いかがなされました?レギーナのところに行かれていたのではなかったのですか?」
「史官に若いのがいるだろう。名は知らぬが」
「は?若いのと申されましても、いろいろおりますよ。ですが主上が見覚え無いのなら、どの者も国官ではありませんね」
座り続けているからだろうか、いつもよりものんびりと答える小宗伯。
ちりりと鳴る感情を抑えこんで口を開いた。
「その若いのが来て、台輔と小宗伯が何者かに襲われたと言った。客殿でだ」
「まさか!」
声を荒げて立ち上がった小宗伯は、慌てて口を押さえて六太を見る。
声を少し落として、早口で言った。
「台輔が襲われたのは今朝だけでございます。これ以上、何者の手にも触れようがございません。そんなことが起きては夏官の名折れと、大司馬以下総出で警戒を強めているのですよ」
尚隆はそれに頷きながら、
「罠か……」
そう言った直後、その身を翻して消えた。
「どうしたのです?」
王と入れ違いに房室へ入ってきた朱衡は、小宗伯にそう問いかけた。
立ち上がって目を見開いたままの小宗伯は、朱衡に目を向けてしばらく固まっていた。
ややして、その口が開かれる。
「レギーナが……危ないかもしれないの」
泣きそうな表情が朱衡に向かう。
「主上が気付いて向かわれたわ。でも……」
「……っ」
小さな声が枕元から聞こえ、二人の会話は一時中断された。
「台輔、気付かれましたか……」
「……何が、起きてるんだ……?」
二人を交互に見る瞳は潤みを帯びている。
熱っぽさがそれだけで伝わってくるようだった。
「台輔は今朝、主上と合流される直前、大量の血をかぶったのですよ。それは覚えておりますか?」
そう朱衡が問うと、六太は宙を見据えて眉に力を入れた。
「……思い出した。女官が三人まき込まれたんだ。一人は……あれは確か春官から移動してきた里謡(りよう)と言う女官じゃなかったかな……何かの下敷きになって……」
「牛でした。切断されて降ってきた牛、その胴の部分が里謡を直撃致しました……張り巡らされた細く頑丈な糸による、簡単な仕掛けです」
そう答えたのは小宗伯だった。
六太はそれに頷いて口を開く。
「何か踏んだのを思い出した。ぷつって糸の切れる音がして、上から何かが降ってきたんだ。ってことは、隣にいた里謡が牛の下敷きになったのか。怪我は?」
「里謡を含め、他の者に外傷はありません。ただ外傷はなくとも、心に受けた痛手は多少なりともございましょう。しかしながら台輔の煩いが一番重い症状でありますゆえ……」
幾重にも張り巡らされた糸は、六太が踏んだ小さな音と供に大きな仕掛けとして働いた。
小さな力の連鎖反応によって、牛の首や手足を引きちぎるほどの力となる。
大量の血と、残虐な景色が麒麟に災厄となって訪れたのだ。
「内殿だった、よな?」
「はい……」
「誰が仕掛けたんだ?」
「それがまだ……。しかし内殿に出入りできる者は限られております。天官か春官か……あるいは警護にあたっている夏官か」
小宗伯の言に、朱衡が口を開く。
「一概にそうとは言えませんよ。他の官府の者が干渉していたとなると、誰もが疑わしいと言えましょう」
「……だから二人がここにいるのか?」
大宗伯と小宗伯を交互に見てそう言った六太。
言い終わった直後、苦しそうに息を吸った。
「今は、誰も信用できない状態ですから。太宰が犯人追及に燃えておりますので、すぐに見つかりましょう。それまでは、私達が交互に台輔をお守り致します」
「じゃあ安心して、ちょっと寝るわ……」
「はい。ゆっくりお休みなさいませ」
小宗伯が言い終わる頃には、六太の重い瞼(まぶた)は完全に閉ざされていた。
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