ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =14=
「台輔、お苦しそう……」
「大量の血をかぶってしまったのです。当然と言えば当然でしょう」
「ええ……」
「ところで、あなたの大切な人がどうかなさいましたか?」
「……あ!そうだわ、レギーナ!」
叫んでしまってから、小宗伯は慌てて口を押さえた。
「史官(しかん)が主上を呼びに行ったらしいのよ。入って来られてすぐ、難しい表情をなさっておいでで……何事かと思ったら、私と台輔が何者かに襲われたと史官に言われたとか……」
「史官ですか……」
「ええ、主上のお話から察するに、国官ではない史官よ」
小宗伯の言葉に、朱衡は顎に手を当ててから言った。
「岡亮(こうりょう)の……」
その呟きに、小宗伯は顔を上げて朱衡の瞳を見つめた。
しかし宙を見すえる朱衡と視線が交わることはない。
「山岡くん……彼が個人的に雇っていた史官なら、今は偃松(えんしょう)が面倒を見ているわ。だから滅多な事はないと……思いたいんだけど」
ふと瞳がかち合う。
「念のため、人をやりましょう」
「そうね……」
不安げに向けられた目に頷き、朱衡は立ち上がった。
六太が寝ているのを確認すると、小宗伯の肩に手を置いて耳元に顔を近づける。
囁きの後、頬に優しく口づけると、その場を退出していった。
酷く不快な耳鳴りがする。
傷もずきずきと痛むような気がした。
「……」
潮の匂いは、これほど鮮明に香っていただろうか。
「……」
囂々(ごうごう)と唸る音を立てているものの正体は何だろう。
「ああ、風だ……」
だけど、体感のない風の音。
不思議な事もあるものだ。
「気が付いたか」
男の声が頭上から降ってくる。
そこでようやく、自分の瞳が固く閉ざされていることに気が付いた。
背後から抱きかかえられているような感覚。
そして何かにのっている。
「……」
は瞼(まぶた)に力を入れて、少しずつ視界を広げていった。
はじめに映ったのは、想像通りの星空。
そして月。
何か大きなものに騎乗しており、脇に男の腕があった。
は背後に顔を向ける。
「気分は?」
「……やっぱり、あなただったの」
その言葉に含まれるのは、あまりに多い思惑。
それゆえに、男は首を傾げてを見返した。
しかし口元には、すぐに笑みが浮かんだ。
「一足遅かったようですね」
朱衡がそう言って入室してきたのを、小宗伯は蒼白の面持ちで迎えた。
「巧か芳へ向かったとみていいでしょう」
「やっぱり……」
「史官は一纏めにして夏官にみはらせております。しかしわたしの記憶だけを辿っても、幾人かが見あたらない」
小さな溜息と供に言われた事に対し、小宗伯は一筋の涙を流した。
「その予想は……外れていてほしかったのに」
「……」
朱衡は難しい表情を作ったが、すぐに小宗伯の側に寄り添って肩を抱いた。
そっと力を加えて、彼女が泣ける体勢を作り上げ、その上で静かに言った。
「彼からあなたを奪ってしまったのはわたしの罪ですね。しかしこれだけは譲る事が出来なかったのです。主上がレギーナを譲れなかったように……」
「ありがとう……。主上が……え?主上はどうされたの?」
泣ける体勢の中、本格的に泣きそうになっていた小宗伯は、朱衡の言葉によって涙をおさえた。
代わりに怪訝そうに朱衡を見つめ返して問う。
「大宗伯、主上はどちらへ?」
「……南へ」
「では、巧へ向かったのですね?」
「そのようですね」
「何故巧だと分かったのです?」
「それはわたしには知るよしもありません。ただ主上には確証があったようですよ」
はあ、と大きな溜息が房室内に響いた。
「これでは何も手伝う事が出来ないわ」
「わたしはこの五百年で、諦めて任せる、と言うことも学びましたよ」
さらに大きな溜息が、朱衡の腕の中に広がって消えた。
どれほど進んだのだろう。
景色は一向に変化を見せない。
果てしなく広がる海と星空。
「ケフェウス……」
「ケフェウスってなんだ?」
「……星座よ。北極星の近くにあるの。やっぱりないんだなあと思って」
「北極星か……また見たいな」
その呟きに、は答えなかった。
前方には月が見えている。
「今向かっている方角は?南?」
「……」
「これから、どうするつもりなの?」
「……」
「本当に帰れるの?蓬莱に……?」
「もちろん」
しばしの沈黙。
遠くに海以外の黒い影を見つけたのは、のほうだった。
「ねえ……気持ちが悪いんだけど……」
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃ……ないみたい……」
「揺れているからか?」
「たぶん……ちょっとどこかに降りれない?横になりたいの」
「どこかにって……」
「あそこは?あの遠くに見えているのって陸地じゃないの?」
彼方を差すの指が震えている。
「ここは慶だ。そう簡単には……いや、無人であればあるいは……」
「お願い。無理なら我慢するから」
「……分かった」
騎獣の首が黒い影に向かう。
さて、とは心中で呟いた。
影が徐々に大きくなり、山岡が小さく呟いた。
「無人じゃなさそうだな……」
「建物があるからって人が居るとは限らないんじゃない?」
騎獣はそのまま島に向かっている。
山岡もの言葉を信じたのか、方角を修正するようなことはしなかった。
しかしさらに近付くと、首を振って言った。
「いや、灯りもある。無理そうだな。このまま巧へ向かおう」
「え……巧へ?」
「そう……いや、蓬莱へだ」
「巧から蓬莱へ向かうの?」
「そうだ」
「本当に?」
「……」
またしばらくの沈黙。
島影は随分大きくなっており、方角はまだ島に向かっている。
手綱を引き寄せようと山岡の腕が上がった。
そこへすかさずの声。
「自分が蓬莱へ帰るために、殺したの?……大卜を」
闇夜を斬るような、はっきりとした声だった。
「なに……?」
騎獣の首はそのまま影に向かっている。
それを確認したはさらに口を開く。
「どうして大卜だったの?本当に蓬莱へ戻るため?」
「……」
「ねえ、本当はどっちでもよかったんでしょう?」
「……」
「山岡さん、答えて」
しかし山岡の口は開かれなかった。
は振り返って山岡の顔を見つめていた。
先程とは違い、その表情は厳しくなっている。
「何も知らないと思っていたんでしょう?」
山岡が姿を現したとき、は素直に驚いた。
しかし状況が見えてくるにつれ、己の思考が導き出したいくつかの可能性――尚隆や朱衡でさえも、犯人である可能性――が否定され、胸を撫で下ろした。
そしてすべての辻褄(つじつま)があったのだった。
殺されたのが何故翫習(がんしゅう)だったのか。
そこに深い意味はなかった。
偃松(えんしょう)であってもよかったのだ。
ただ好機がなかっただけの事。
翫習が偶然にも当てはまってしまっただけ。
これだけは直感で分かっていたように思う。
だからは偃松に言ったのだ。
「生きている幸運を喜びましょう」と。
山岡が姿を現した事によって、それは確信へと代わった。
始めは誰か分からなかった。
庭院に現れた何者かは、視線の端でぱたりと倒れた。
麹塵(きくじん)の袍によく似た色合いに、は瞬時に大卜を思い出し、大きく鳴り響いた自らの鼓動を聞く。
入口から出て助け起こすべきか、窓から飛び降りて助け起こすべきか迷ったが、今にして思えば先に人を呼べば良かった。
駆け寄った瞬間、起き上がった山岡はを捉え、刹那の猶予しか与えず意識を奪った。
『蓬莱へ戻ろう』そう言って……。
「あんな言葉で惑わすなんて……」
「でも嫌だと言わなかった」
「言えなかったのよ。死んだはずの人が目の前にいて、唐突な話を持ちかけるから。何も言えるはずないじゃないの」
もう分かっている。
油断させるための言動であった事を。
「あなたがまだ生きていた頃……と言うのは変な感じね。葬儀の前に私に言った事を覚えている?」
『ところで今日は、一ついい情報を持ってきた』
あの時、何かと首を傾げたに、山岡は手招きして囁いた。
『蓬莱への道があるらしい』
『え……』
『驚いただろう?正確に言うと、巧にある海の道の果てに、蓬莱へ通じる門があるらしい』
『海の道?』
『そう。虚海側だと聞いた。巧から船に乗って一昼夜、虚海の航路に門が現れる。ある条件を満たすと』
『その条件とは?』
『それは今度あった時に……そうだな、一週間ほど待ってくれないかな。色々と準備が必要なんだ』
『分かったわ』
その時、の心情は激しく揺れていた。
この国に来たからこそ、巡り会えた人々を思うと、帰ることに抵抗すら覚えていた。
しかし帰ることが出来ると聞けば、そちらに傾く心もあった。
「こうやって私を連れだした、あなたの本当の目的は何?」
「だから蓬莱へ……ひょっとして戻りたくないのか?」
「それには答えられないわ。でもこれだけは言える。巧の虚海側には海の道なんてない。だから蓬莱へ戻る事なんて不可能なの。なら、何故あなたは私を連れ出したの?何が目的なの?」
「……」
「私、あなたの言葉に信憑性を感じられないの」
「……」
「この染めた髪のせい?巧はいないんでしょう?麒麟が……」
「どうしてそれを……」
「知ってるわ。気軽に出歩けなかったのは、体力が戻ってないだけじゃない。この髪のせいよ。話を聞いていれば分かるわ。金の髪のまま外に出るとどうなるのか。……今向かっているのは南。南には、巧があるんでしょう?」
「ふぅっ……」
大きく吐き出した息がの首筋にかかる。
背筋がぞくりとしたのは、その息がうなじにかかったからだろうか。
それとも……
「そこまで分かっているのなら、容易に協力を得る事は出来ないな」
「具体的にはどうするつもりだったの?」
「蓬莱へ戻るのは餌だった。このまま巧の王宮へ連れて行く。なんとしてでも協力してもらう。王位に就くために」
「王……位?麒麟の選定がないとなれない……それを私で代用しようと?」
「そうだ……」
は無言のまま振り返り、山岡の瞳を見つめた。
その瞳は多くを語らない。
だが悲しそうな表情を微かに含んでいるのを見つけた。
「どうして……そんな人には見えなかったわ」
「人は変わる。小さなきっかけ一つで」
「何がきっかけだったの?」
「他人には関係ない」
「そう……」
痛い。
心も体も。
は薄々感じ取っていた。
この国にとって、己と言う存在がどれほどの災厄であるのか。
蝕を呼び、殺人を招き、騒動を起こしている。
これが雁以外にも飛び火しようとしている。
「そんなこと……させないわ!」
こっそり握っていた手綱を引き上げ、騎獣の首を下に向けた。
すでに黒い影ではない。
大きな建物群が目前に広がっていた。
「やめろ!」
均衡を崩しそうになった山岡は、反射的にの肩を掴んだ。
「きゃあ!」
焼け付くような痛みが全身を駆けめぐる。
それでも手綱を放さず、落ちるようにして建物群へ向かう。
「このっ……!」
肩への力がさらにかけられ、ついに痛みによって手綱を握っていた力が抜けてしまった。
山岡が体勢を立て直す代わりに、の均衡は崩れて体が浮いた。
「あっ……」
そう言った時にはすでに遅く、伸ばされた山岡の手を取ることも出来なかった。
そのまま落下し始める体を感じ、焦って空を仰ぐ。
またたいた星は一瞬の煌めき。
「アルゴル……!」
食変(しょくへん)光星(こうせい)アルゴルがの目前に見えた。
「悪魔の星……やっぱり、魅入られてたの……?」
それが見間違いである事にも気付かず、は不思議な感覚のまま落下し、大きな衝撃を体に受けて意識を失った。
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