ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =19= 「夜分遅くに申し訳ございません」
王の自室に現れた小宗伯。
眉間に寄った皺(しわ)を見た主(あるじ)は、同じような表情をしてそれを迎えた。
「遅いのは構わんが……」
「主上、失礼を承知で少々伺いたい事がございます」
「なんだ、改まって」
「……主上は」
小宗伯はそう言うと少し間を置いてから続けた。
「レギーナをどう見ておられるのでしょうか」
「どう、とは?」
「レギーナにならないかと、そのような事を仰ったとか。私の後輩をからかっておいでですか」
「……」
「もし、からかっていないと言うのなら、何故すぐに彼女を仙籍に入れないのです?生身でなければ、回復も早いでしょうに」
「まあそうだな」
「何を迷っておられるのです?仙になれば不老不死。傷もたちどころに治りましょう」
「お前は悩まなかったのか。永遠に生きる事に恐れを抱く事はなかったのか」
小宗伯は軽く目を見開いた。
「主上……もしや」
「いや、つまらん事を言った」
「いえ……。仙籍はいつでも抜ける事が出来ます。ゆえに私は覚悟すらしませんでした。ただ、蓬莱に帰る事を諦めただけです。こちらで籍を持つことの意味を自分なりに考えた結果ですから」
沈黙がその場を包む。
やがてぽつりと呟いたのは王のほうだった。
「……そうか」
「王とは……不自由なものですね」
「同情してくれるか?」
「我が国の王を除いてなら、同情いたします。我が国の王は少し奔放(ほんぽう)すぎますから」
今にも舌打ちしそうな王の顔を見て、小宗伯は軽く笑い声を立てた。
それと同時に、なぜ主がを仙籍に入れないのかが分かった気がした。
「私は」
尚隆の目を見た小宗伯は、僅かに視線を逸らして口を開いた。
「膨大な時間を生きてきたあの人を見て……新たな希望になりたいと思ったのです。長く生きる事が絶望を招く事もありましょう。あるいはもっと単純な事で、すべてに飽くと言うこともありましょう。邪心を生むことも……人によっては……」
何かを思い出したのか、刹那の沈黙があった。
「もちろん、言葉の壁を取り除きたかったと言うのもありました。生き甲斐を見つけたかったと言うのも。それに、その時あの人の気持ちを確認したわけではありません。それでも願ったのです。彼の希望となり、供に歩むことを」
小宗伯はそう言って主に目を向ける。
「自分自身の事よりも、そちらの方が大きく私の心を支配しておりました」
「……」
「遠い未来に起こることなんて、誰にも予想出来ぬものです。だって……そう思いませんか?蓬莱の同じ地域から、三人もの海客がこの国の、この場所に集うなど、主上が登極された時には考えもしなかった事でしょう」
「確かに……」
「大切なのは、本人の意思ではありませんか?遠い未来の不安など、主上が心配なさる事ではありませんよ。誰しも自分の意思で道を選択するのです」
「だから仙籍に入れていない、と言ったら?」
少し驚いた表情が主に向かう。
「レギーナがそれを望んでいないとお考えですか?」
「望む望まない以前に、まだこの世界を受け入れておらぬ」
「……確かに。でも彼女は望んでおります」
「そう言ったわけでもあるまい」
「主上ともあろうお方が、そんなこともお分かりになりませんか?」
厳しい表情になった小宗伯が、射抜くような視線で王を見つめていた。
「私でもまだ完全に世界を受け入れてはおりません。それは郷里に思いを馳せる限り、永遠に訪れない事だと思っております。避けられる事ではありません。私達はこの世界で育っていないのですから」
例え、と小宗伯は続ける。
「胎果である主上でも、それは同じではございませんか?かけらでも蓬莱の記憶が在る限り、喪失したものが見えてしまうもの」
「……」
「受け入れる事が重要なのではありません。今を生きることが何よりも重要なのです。そして大切なのはお互いの気持ちではございませんか?レギーナは主上と一緒にいたいと思っております。主上が同じように思っているのであれば、何を迷う事がありましょう」
「そうだな……」
そうぽつりと言った主は、真剣に語る小宗伯に目を向けて言う。
「それを言いに来たのか」
「いいえ。本当はこう質問するつもりでした」
つんとすました表情で言う小宗伯。
「近頃、主上の行動に不審なところが多くございます。宮城を抜けるのは今に始まった事ではございませんが、近頃どこに行かれているのです?」
「なるほど」
「実際のところはどうなのです?レギーナを仙籍に入れないのと、何か関係があるのかと思ったのですが」
「関係ない。新しい賭博場が出来てな」
「そうですか。王が賭博場に赴(おもむ)いていることがすでに問題ですが……それが本当ならば、私は何も言わずにおきましょう」
そう言うと、小宗伯は退出しようと踵(きびす)を返す。
「後輩を思うあまり……主上に疑いをかけた事をお許し下さい」
扉に手をかけながらそう言った小宗伯。扉を開けると振り向いて続ける。
「ですが、疑いをかけられるような行動をなさっている事実を……」
刹那の沈黙。
それがうち破られ、轟音が房内に響く。
「少しは反省なさい!」
勢いよく閉められた扉。
もちろん、最後の最後に怒鳴って帰った小宗伯は、額に手を当てて苦笑している王の姿は知らないままだった。
「決めたわ」
訪ねてきた尚隆に向かって、は突然そう言った。
「私、レギーナになるわ。だから、その為に仕事を再開させたいの」
「……どういう事だ?」
「レギーナになるって言うのはね、元の自分を取り戻すって事。私、最近少し変わったの。こちらへ来て、色々な意味で自信がない。そのせいで自分の思うことを口に出せないでいるの。そんな自分は嫌だわ」
それに、とは続ける。
「そのせいで何か大切な事を……とても重要な事を見落としている気がしてならないの」
まだ何も終わっていない。
の心の中はその思いでいっぱいだった。
だが、それが何だと説明する事が出来ない。
心が乱れて纏(まと)まらないのだ。
「前と同じような仕事をここでも出来ないかしら。もちろん宮城じゃなくてもいい。街に降りていっても……」
そこまで言って気が付いた。
言葉の壁があることを。
だがここで躊躇(ちゅうちょ)していては何も変わらない。
また何も言えない自分に戻るだけだ。
『名乗るのに相応しい人物になってみせる』
そう心に誓ったのだから。
「まだ体力が戻っていないだろう」
「でも、何かしていたいのよ。自分自身を取り戻すために」
レギーナと呼ばれるのに、相応しい自分でありたかった。
いや、あるいは尚隆がそう呼んでくれるのに足る人物になりたい、それが本心かもしれない。
「駄目、かしら……?」
「条件付きだな」
「本当?嬉しい」
満面の笑みを尚隆に向ける。
そのままの笑顔で問いかけた。
「条件は何?」
「無理をしない、髪を隠す、小宗伯の許可を取る」
「もちろん無理はしないわ。髪も隠したほうがいいって、もう充分に分かっているつもりよ。でも先輩の許可って?」
「それが一番重要だな。俺の一存で許可したと聞けば激怒するだろう」
顎に手をあて、眉を寄せて言う尚隆に、は少し吹き出しそうになりながら言った。
「分かったわ」
がそう言ったのがきっかけだったのか、扉が開き現れた人物がいた。
「先輩」
「よかった。まだ起きてい……あら、主上」
少し驚いた様子の小宗伯は、その表情をすぐに険しく変化させた。
それと同時に、髪に挿した簪に連なる銀がきらりと鋭く光る。
「お探し申し上げました。本日はどちらへ?」
から離れた尚隆は近くの壁に移動し、寄りかかってからそれに答えた。
「ちょっとな」
「それでは答えになっておりません。大宗伯と大司徒が身代わりになっておりましたが」
そのせいで遅くなったのだと目が訴えている。
小宗伯が怒りを抑えながら話している様子に、は落ち着かない気持ちを押さえながら見ていた。
自分を気遣って訪ねてきてくれた尚隆。
そのために怒られているように見えてならなかった。
「あ、あの!」
二人の方へ声を投げかける。
何を言うと決まっていた訳ではないが、とっさに声が出たのだった。
振り向いた二人の顔を交互に見て、焦りながら口を開く。
「その、私が呼び出してしまったんです。ありがとう、ございます、尚……」
名前を言いかけて止まる。
そもそも人前で呼んだ事があっただろうか。
みんなは何と呼んでいただろうか。
「主、主上?」
自信なげにそう言ったに、小宗伯は吹き出しながら言った。
「レギーナが主上と呼ぶ必要はないのよ」
「あ……でも……。名前で呼ぶわけには……」
赤くなった顔を隠すように下に向けたに、尚隆が軽い口調で答えた。
「別にかまわんぞ」
「で、でも……」
「誰が何と言おうとも気にならん」
尚隆がそう言うと、小宗伯が添えるように答える。
「気になさるような、かわいげのあるご気性ではございませんものね」
とげのある小宗伯の言い方にもひるまず、尚隆は物思いにふけっているかのように目を閉じて二度、頷いた。
「でもね、もしレギーナがここで働くと言うのなら、人前では主上とお呼びした方がいいかもしれないわね」
その言葉に、小さく息を呑んた。
素早く顔を上げて尚隆を見た。
話す為の好機が訪れたのだ。
目が合うと、尚隆はただ頷いて壁から身を離した。
「内殿に戻る。朱衡が身代わりになっているらしいからな」
入口に向かいながらそう言った尚隆に、小宗伯はすかさず口を開いた。
「大宗伯ならそろそろお帰りになられます。明日は暁鐘の頃に天官が伺いますので、本日はお休みなさいませ」
大宗伯とは朱衡の事だったかと考えながら二人の会話を聞いていた。
ふと名指しで呼んでいるところを聞いた事がない事に気が付いた。
そう思うと、疑問が浮上する。
「先輩は、普段から朱衡さんをなんて呼んでいるの?」
興味があったのか、尚隆の足がぴたりと止まった。
それを横目でちらりと見た小宗伯は、に向かって口を開く。
「主上を御名で呼ばないのと同じ理由で、自宅以外では大宗伯と」
上手く誤魔化した小宗伯に、尚隆は扉に手をかけながら振り返る。
「俺のことなら別にかまわんぞ、何と呼んでも」
小宗伯は尚隆に顔を向けて首を振る。
「主上を主上以外に何と呼べば?延王君ですか?それとも無謀のような字でもございますか?」
小宗伯が溜息混じりにそう言うと、尚隆はにやりと笑って言った。
「なんなら、尚隆と呼んでも構わんぞ」
小宗伯は尚隆に負けぬほどの笑みを湛えて答えた。
「刺しますよ」
結った髪に挿してある簪を少し浮かせ、表情を変えずに言ったその顔を見ていたは、思わず顔を背けてしまった。
この人だけは怒らせてはいけない、そう考えながら。
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