ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =20= 「国府ってどれくらいの広さなの?」
「ざっと山一つ分だと思えばいい」
「山、一つ分……」
帰りかけていた尚隆を制し、先に帰ると言いだした小宗伯。
扉の前に立ち、が言った事に彼女が出した条件は三つあった。
まず、一週間は待つこと。
これは事務処理のためだと言っていた。
そして常識を学んでからにする事。
さらには国府から出ないこと。
「思ったよりも少ない条件だな」
そう言った尚隆に、意味ありげな微笑みで答える小宗伯。
「私が口うるさく言わずとも、主上がある程度は手配して下さるでしょう」
それを最後に小宗伯は扉を閉めた。
「私……こっちに来てからしばらく経つのに、全然常識を知らないんだわ。
知ってるのはごく一部しかないのよね。横流郷(おうりゅうごう)で尚隆に聞いた事も漠然(ばくぜん)としか思い出せないし」
ぽつりと呟いた。
「実際見るが早い」
腕を組んだ尚隆がそう言った。
「常識を見る……?」
「明後日だな」
「え……?」
「明日は小宗伯と相談して人を寄越そう」
「え……う、うん」
よく分からないと言った表情のまま、は頷いて答えた。
「では明日のために今日は退散するとしよう」
そう言って扉へ向かう尚隆。
明日どう言った事情で人が来るのか、明後日何があるのか分からないままではあったが、その後ろ姿に問いかけではない声を投げかける。
「尚隆、ありがとう」
手だけが挙がってそれに答えた。
その翌日、尚隆の予告通り女性が一人やってきた。
「春官府から参りました、里謡(りよう)と申します」
結い上げられた髪にはっきりとした顔立ちの女官だった。
年下だろうか。
はつらつとした雰囲気が、彼女を若く見せている。
昨日、尚隆が言った事を思い出したは、納得したような頷きをしてから頭を下げた。
「何も知らない子供だと思って頂いて結構ですので、どうぞよろしくお願いします」
「かしこまりました。では基本的な事から始めたいと思います」
里謡は紙に目を落として、ゆっくりと口を開く。
「まずはこの世界についてですが、わたしは海客ではございませんので、予(あらかじ)め小宗伯から注意点を頂いております。それに添って進めていきますが、もし疑問が生じましたら遠慮無く仰って下さいませ」
の頷きを待って、里謡は語り始めた。
世界の成り立ちから、常識と呼ばれる事柄を。
里謡の話は丁寧で分かりやすかった。
時折見せる表情と仕草に、同じ年頃であろうかと想像する。
しばらくは夢中になって聞いていた。
気が付くと随分時間が経っているような気がした。
「飲み込みが早くていらっしゃるので、お教えしている方と致しましても大変嬉しゅうございます」
一息入れませんかと提案したのはだった。
かしこまりましたと退出してしまった里謡の代わりに、香りの良い赤茶と茶菓子が届いた。
運んできたのはいつも朝餉などを運んでくる女官だけだったため、は里謡の行方を聞いて呼び戻す事となる。
そして是非一緒にとこうして向かい合うことになった。
「これも常識なのかしら。でも……なんだか慣れなくて堅苦しいわね。里謡さん、普通に話してもらってもいいですか?せめてここにいる間だけは。だって、私は何の位もないんだし、国賓(こくひん)と言うわけでもないの」
「でも……」
「小宗伯とはご縁があったものだからこうして甘えているけど、本来は私が里謡さんに頭を下げなければならない立場かもしれないわ」
「そんな、わたしの立場など……辛うじて仙籍に在ると言ったところですから」
「どうして?とても優秀な方だと思うのだけど」
「ありがとうございます。しかしここは国の中枢ですので、運もございましょうが、なかなか……」
「そうなの……それでも私から見れば素晴らしい事だと思うわ。私はこの国に於いて何も貢献していないし、ただの客人でしょう?本当に運が良かっただけなの。だから普通に話して、ね?私、里謡さんと仲良くなりたいの」
これは本当だった。
は年頃の近い里謡に親近感がわいていたのだ。
戸惑ったような雰囲気を漂わせた里謡だったが、しばらくするとゆっくり頷く。
「では、少しだけ崩させて頂きます。実はさまが海客だと聞いて、楽しみにして参ったのです」
「え、そうなの?なぜか聞いてもいい?」
「海客の知り合いがいたんです。海客の方は発想が独特で、とても面白いですよね。世界観の違いからでしょうが、思想が大きく違うような気が致します。そこに刺激され、自らに取り入れることで自分が大きく成長できるのです。ですから今回、小宗伯からお話を頂いたとき、喜んでとお答えしました。それが自分の成長に繋がると信じたからです」
「まあ……では、期待に添えるような思想を示していかなければね」
がそう言うと、里謡は我に返ったように目を見開いて言った。
「申し訳ございません。自分のことばかりをつらつらと。気になさらないでくださいませ」
「いいのよ、嬉しいわ」
そう言ってふと思う。
「海客ってどれぐらいいるの?」
「国にもよりますが、……主上も台輔も海客ですし、お隣慶国の景王も戴国の台輔も海客です。国や場所にもよりますが、わたしが知っているのは七名ほどですね」
「そんなに……」
が驚いて呟くように言うと、里謡はくすりと笑って言う。
「内、四名は先程申し上げました神籍におわす方々ですが」
「と、言うことは知っているのは三名と言う事ね。そこに私は含まれているの?」
「もちろんです」
悪戯をした後のような笑顔を除かせた里謡に、は笑いかけて思った。
自分も外に海客を二人知っている。
もちろん小宗伯と山岡だ。
ならば里謡と変わらない事になる。
これは果たして多いのか少ないのか。
「その内の一人は、さっきの知り合いよね。雁の人?」
「はい、関弓に住んでいる方でした。その方から海客が身近にもう一人いると教えて頂いたのです。噂程度になら、他に四、五名おりますが」
「噂?」
「はい。関弓は首都ですから、地方の噂も集まって参ります」
「へえ、噂ってそんなに広がるものなのね」
少し目を大きくしてそう言うと、里謡も同じような表情をして言った。
「あ……いいえ。わたしの両親が商売をしておりまして。手伝いをしてお客様に接している間に聞こえてくるものがあったのです」
目を丸くすると、里謡はますます幼く見える。
「ああ、なるほど。じゃあ里謡って関弓で育ったの?」
「……はい」
嬉しそうに答える顔につられてか、笑い顔になったは言う。
「じゃあ、今度案内してもらいたいわ」
「わたしでよければ是非」
ますます嬉しそうな顔を見ながら、は赤茶を飲み干した。
しばらくして再開させた二人。
尚隆や小宗伯から少しずつ聞いていた事が、とても役に立っていると同時に、改めて吸収できる部分も大いにあると思った。
横流郷(おうりゅうごう)で尚隆に聞いていた事も、今聞くと違った印象を受ける。
それは体験する前と、実際に体験した後とではまるで違うものに見えるのと同じで、殆どここから出ない日々の中でも、確実に学んでいるものがあるのだと感じた。
一日で詰め込めることには限界があるが、なるべく多くを吸収したいとは思った。
夢中になって話を聞き、気が付くと外はすっかり暗くなっている。
それに気付いたのは、訪問者があったからだった。
「主……主上!」
ふいに現れた王に、里謡は動揺を隠しきれず、慌ててその場に伏せた。
「どこまで進んだ?」
「は、はい。あの、どこまで進んだかと言いますと、その……」
しどろもどろになった里謡が答えるよりも早く、新たな訪問者が現れた。
「主上!内殿から消えたと思ったら……」
呆れたような声は小宗伯のものだった。
何故ここにと言いたげな主の瞳に、小宗伯は溜息混じりに口を開く。
「様子を見にきたのですが、何か?」
「いや」
「とにかく、後少しで一段落するのですから、今日やらねばならない最低限の決裁だけでも終わらせて下さいませんと」
さあ、とせかれた尚隆は何も言わずに退出してしまい、後には小宗伯が残った。
「里謡、こんなに遅くまでやっているとは思いませんでした。私が時間を言っていなかったからでしょうか」
「いえ、小宗伯。わたしがつい夢中になって……」
「あ……違うんです先輩。私が引き留めたんです」
「まあ、二人とも。責めているわけではないのよ。もう終わってもいい時間ですから、きりのよいところで終了して下さい。私は一度内殿に戻ります。レギーナ、また後で来るわ」
「あ、はい」
答えたのはだけだった。
静かに扉の閉まる音の後、深い溜息が横から聞こえた。
ふと隣を見ると、視線に気付いた里謡が慌てて口を塞ぐ。
その様子に、は思わず吹き出した。
「ちょっと、緊張してしまって。そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
頬を染めて言う里謡に、は頷きながら笑いを少し収めた。
「主上にお目通りする事など、滅多にございませんから」
「ああ、そうか。王、なのよね……」
信じられないけど、と心中で呟く。
「小宗伯も気安く話しかけて下さいますが、本来なら許されぬほど位に開きがあるのです」
「へえ……そうなの」
上位にいることは想像していたが、ここまで言わせるほどの高位だとは思ってなかった。
「ありがとうございます」
突然、里謡はに向かって頭を下げる。
「え?……え?」
「さまのおかげで、主上を拝顔することが出来ました。小宗伯にまで名を覚えて頂いて……これ以上の幸せはありません」
「そんな……私の力ではないわ。感謝の気持ちを言うのなら、今日一日教えてもらった私の方なのに」
「いいえ、こちらに遅くまでいさせて下さったからこそ、主上を拝顔する事が出来たのです」
「そんなに見る機会がないものなの?」
「はい。大宗伯や小宗伯はまだ春官府でお見かけ致しますが、他の六官長になりますと拝見する機会は激減いたします。ましてや、わたしのようなものが主上をお見かけする事など、偶然以外には考えられません」
「みんな、そうなの?」
「史官や内宮に勤める者などを除きますと、殆どの者がそうだと思います」
「そう……それで緊張していたのね」
「あ……は、はい」
は困ったように下を向いた里謡の、少し染まった頬を見つけてしまった。
「里謡は……尚……、延王が好きなの?」
「あ……は、はい……。実は内宮で偶然ですが、何度か。初めて見た時から……お慕い申し上げております」
どきり、と大きく鼓動が鳴る。
「恐れ多くて、簡単に言えることではありませんが……。何故でしょう、さまに言えてしまったのは」
ますます頬を染めながら言う里謡に、は曖昧な笑みを見せて言った。
「それが、私の本来の仕事だから……じゃないかしら」
「蓬莱では、心の声を聞くような役職でもあるのでしょうか?」
少し違うが、説明しようもないと思い、頷いて答えとした。
「ここでも、それが再開出来ればいいんだけど……需要があるかしら?」
「……そうですね。ある、と思います。少なくとも、一人で気持ちを抱えていたり、思い詰めたりするよりは、心の声を聞いて助言してくれる人がいると言うのは、とても大きな助けになると思います」
里謡の言葉に励まされ、はにこりと笑って言った。
「ありがとう。この国……この世界での私の居場所、何とか見つけることが出来そうだわ」
そう言うと、里謡は少し寂しげな顔で言う。
「海客のかたが思う居場所がないと言うのは、わたし達が感じた事のあるそれとは異なるのですね。周りに受け入れられないと思う事と、世界に受け入れられないと思う事は、きっと大きな開きがあるんでしょうね」
「里謡は人の立場に立って考えることのできる優しい人なのね。でもね、どちらかでも満たされていれば、人はその壁を乗り越えられるものだと信じているの」
がそう言うと、里謡は少し首を傾げて問う。
「どちらか、と言いますと?」
「世界に受け入れられているか、自分を受け入れてくれる人がいるか。最良なのは両方満たされていること。生き甲斐が有り、生活が充実しており、理解してくれる人が周りにいる。海客はその両方を無(む)から構築していかなければならない。だけど私は……幸運な事に巡り合わせが良かった」
「理解してくれる人がいたのですね。羨ましいことです」
「里謡にはいないの?心を砕いて話すことの出来る人が」
「わたしには……今はいません。さまがそうなって下さると嬉しいのですが……」
ふいに自分に向けられた視線を受け止めきれずにいる。
「私?……もちろん、私でよければ」
それでもそう答えると、里謡は嬉しそうに顔を和ませる。
「本当ですか?」
「え、ええ。本当に、私でよければ、だけど」
「とても嬉しく思います。ありがとうございます!」
「友達になるのだから、そんな堅苦しい言葉使いはいらないわ」
「あ……わたしったら」
そう言って里謡は恥ずかしそうに笑う。
もつられて微笑んだ。
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