ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =22= 小さな誤解から舎館へ戻ってきた二人。
改めて大丈夫だと尚隆に告げ、無理をしない約束のもと、再び外に出て商店などを見て廻った。
里謡(りよう)から色々聞いていたものが、現実として目前にある。
この世界に存在してなお、受け入れがたい話だと思っていたが、こうして人の活気に触れていると、自分が過ごしてきた世界と大差ないように感じられる。
真新しいものが次々と現れて視界を過ぎていく。
もっとじっくり見たいところなのだが、さきほどの偃松(えんしょう)と山岡らしき人物のことが気になって上の空だった。
ここでまた浚(さら)われたらどうしようかとも考えた。
今は尚隆と二人だけで宮城の外にいる。
これではあまりに無防備ではなかろうか。
「やはり体調が思わしくないようだな。一度舎館へ戻るか」
いつの間にか深く考え込んでいたは、舎館の前についてようやく尚隆の言っていた事が聞こえた。
「ねえ、尚隆……」
見たものを報告したほうがよいのか、しばし逡巡(しゅんじゅん)する。
続きを待っている尚隆の顔に目を向けた。
当たり前のように目が合った瞬間、高鳴る鼓動が胸元から聞こえた。
思わぬ心の動揺に言葉を失い、しばし無言のまま見つめあうこととなる。
「どうした」
あまりに何も言わないの変わりに尚隆が口を開く。
「あ……あの……」
舎館の手前であった事を思い出したは、慌てた口調で尚隆に言う。
「今日中に戻るはずだったのよね?先輩が……心配するんじゃないかしら」
「知らせを飛ばす予定だが」
「そう……え?知らせ?そ、それって今から?書面で送るの?」
「そうだな」
「あの、私も先輩に旅の感想を送りたいんだけど、一緒に送ってもらってもいい?」
「……構わないが」
「ありがとう!」
突然沸いた発想だったが、偃松が関弓にいるかいないかだけでも確かめておきたかった。
差し込んだ斜陽が房内を赤く染めるころ、の小宗伯へ当てた手紙は完成をみた。
覚えたばかりのこの世界の文字と日本語、さらに英語を組み合わせた手紙だった。
それを尚隆に託すとほっと一息つく。
我ながら小宗伯に大きな信頼を寄せているのだと実感した。
星の煌きが彩る幻英宮。
その煌きを見ることもなく債務に追われている大宗伯のもとに届けられた二通の書面は、その手によって一通が小宗伯へと渡った。
手元にある自分宛の書面を開いた朱衡。
簡素な文面に目を通すのは刹那で終わった。
「主上から貴女にも伝えるようにと。本日はお戻りにならないと、珍しく丁寧にお知らせ下さっていますが……」
そう言って向かいに目を向けると、まだ小宗伯は書面から顔を上げない。
あちらの書面は通常の長さのようだった。
「お戻りにならないのね。分かったわ」
「おや、怒らないのですか?」
そう大宗伯が言うと、ようやく顔を上げた小宗伯。
何事もなかったような表情で軽く肩を竦めて見せた。
「レギーナをだしに戻ってこない事は予測済みですもの。怒るだけ体力の無駄です」
「なるほど、悟りましたね。むしろ知らせがあったぶんまし、と言うことですか」
「いいえ。彼女をだしに使った事を含め、きちんと用意してあります。きつ〜いお仕置きを」
そう言った小宗伯は再び目を書面に戻した。
「……。小宗伯」
呼ばれた小宗伯は書面に目を向けたまま、はい、と簡素に返事した。
「本当に貴女という人は……」
ため息とともに言った深い声にか、小宗伯は顔を上げて正面を見た。
しかし朱衡はすでに小宗伯の目前から移動して背後に廻っていた。
おや、とでもいいたげに、首を傾げた小宗伯を背後から抱きしめる。
「だ、大宗伯!」
「素晴らしい、と日々感心するとともに感謝していますよ。そして今の貴女はとても素敵です」
「こんな事で……ですか?」
腕をしっかり巻きつけながら軽く笑っている大宗伯に、笑えないでいる小宗伯。
「あの……大宗伯」
そう言って身を委ねていた小宗伯が体を離した。
さきほどとは逆の体制で向かい合う形となり、その手に持った書面を朱衡が受け取ると口を開く。
「これをご覧になって頂きたいのですが……。読むことができますでしょうか」
照れからか、丁寧に言う小宗伯の顔を見た。
真っ赤な顔を確認してから、書面に目を通す朱衡。
しばらくすると顔を上げて言った。
「これは……。途中から読むことが出来ませんね。見慣れない文字も混じっておりますが……蓬莱の文字でしょうか」
「ご明察です。最初と最後は分かりますね?」
「多少間違えておりますが、なんとか」
初めて見るものが多く、感動している、と言った内容で始まり、早く帰りますでくくられている。
途中はところどころ読めるものの、意味がよく分からない。
まるで見たこともない文字まであるようだった。
「これだけ文字を入り組んだものにしながら、それでも私にしか分からないような文章にしてある……」
大宗伯から書面を受け取った小宗伯は、再び書面に視線を落とす。
「それだけ慎重に書かれたという事でしょうね。万が一、蓬莱の文字を理解する者に読まれることを恐れたのでしょうか」
「恐らくは……蓬莱の文字を理解できる者は限られますけどね。それでもこの宮城には複数人いる。ですがここに書かれているのは、異邦の文字まで並んでいますね。しかもこれは……ああ、ラテン語なのかしら……レギーナって書いてあるんだわ……」
朱衡に話しかけているのか、独り言なのか分からない状態で口を開いている小宗伯。
しばらくぶつぶつ言っていたが、頷くと朱衡に顔を向けた。
「訳しながら……読み上げてみますから、何が書かれているのか予測して頂けますか。おおよそは分かったのですが、確証がほしいので」
「分かりました」
大宗伯がそう頷くと、小宗伯は書面を目の高さまで上げると読み始める。
「レギーナが今いる場所で……ここからは単語になるの。見た、二人、治療、一回……いえ、一度、かしら。会った人、出航確認、最後のアリビーって言うのがよく分からなくて……何かしら、アリビーって」
見慣れない文字が固まっている辺りを指差して言う小宗伯。
『Regina、いまいる、Rocation、Look、Two persons、Medical treatment、One time、あったひと、出航確認、Alibi』
「出航確認がひっかかりますね」
「ええ、私もそれが引っかかっ……あっ!出航確認ってまさか」
小宗伯は上目遣いで宙を見据える。
ややして小さな笑みを漏らして言った。
「懐かしい……本当に。私とレギーナが同じアルバイト……同じ仕事をしていた時……。そこの職場で使っていた語で、出航と言うのがありました。意味は他の支店に社員が出向くこと。つまり他の街に出向いて用事をすることをそう言っていたの」
「社員?」
「ええ、会社が認めた正規の従業員だと言えばいいでしょうか」
「ではこうなりますね。今いる場所で、以前会ったことのある人物を確認した」
「やはりそうなりますよね。でも……レギーナが以前に会った事がある者って?」
顎に手を当てて考える小宗伯。
ふと気づいたように顔を上げた。
「アリビーじゃなくて……ひょっとしてアリバイ?」
『Alibi=アリバイ』
朱衡が軽く首を傾けて問う。
「それはどういった意味でしょうか」
「ええっと……不在、確認とでも言えばいいのかしら」
「一度面識を持った者……。不在確認を貴女に依頼していると言う事は、宮城の者に限られますね。ああ、そうですね。正規の者と言うことは、その中でも国官を指すのではないでしょうか。彼女と接点のあった人物は限られておりますので、全員に聞いてみてはいかがです?」
大宗伯がそう言った事に対し、小宗伯は頷いて口を開く。
「では春官府の中を一回りして帰りましょう。誰か残っているかもしれないし」
「そうですね」
大宗伯と小宗伯が見回る夜の春官府は閑散としていた。
ゆえに一郭から漏れる光がすぐ目に入る。
内史府であることは長年足を運んだ小宗伯にはすぐに分かった。
一度レギーナと会っている人物。
偃松と一致する。
その考えは暗い気分を呼び寄せる。
長年、自分と山岡と言う海客と接点のある偃松。
多少なら蓬莱の文字に理解があってもおかしくない。
まさか出先で偃松に会ったと言うのだろうか。
「大丈夫ですか」
心情を読んだのか、そっと背に添えられた手が、頼もしく嬉しい。
小さく頷くと扉に手をかける。
偃松がいますようにと、半ば祈るような気持ちで開けた。
「偃松」
安堵の息とともに声を出す小宗伯。
「大宗伯!それに小宗伯まで。こんな遅くにどうしたのです?」
「あ……明かりが漏れていたので……こんな遅くに誰だろうかと……」
半ばいないだろうと思って扉を空けただけに、妙な動揺を抱えてしまった。
それを隠し切れない小宗伯がそれ以上言う前に、大宗伯は一歩前に出て口を開いた。
「少し探しものをしていたのです。うっかり落としてしまったものがありまして」
「うっかり?どんなものを落としたんです?」
「個人的な思い出の品ですので、お気遣いなく」
そう言った大宗伯に感心した視線を送った小宗伯。
刹那を置いて続ける。
「こんなに遅くまでご苦労様。終わらないのですか?」
小宗伯がそう言うと、偃松は困ったように頭を掻きながら答えた。
「そうなんですよ。近頃新しい者が増えたので人手は足りているのですが……まだ使える者が少ないので、なかなか片付かなくて……」
そこで大きなため息が落ちた。
「今日も昼からずっとここに閉じ込められています」
腰をとんと叩いて笑う偃松。
少し情けない笑顔に、小宗伯は胸を撫で下ろしたい心境になった。
内史が不在のままで、負荷をかけてしまっているのだろう。
「内史府の負担を軽減するよう、何か対策を講じねばなりませんね。今しばらくは大変でしょうが……ご辛抱下さい。新しい人材もじき慣れましょうから」
「そうですね。こうして夜更けまで春官府(ここ)に居ることも、後少しで終わるでしょうから、今しばらくは我慢するといたします」
「よろしく頼みました。偃松が内史府にいてくれて、本当に助かっています」
小宗伯はそう言って微笑み、大宗伯に大丈夫だと視線を送って退出した。
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