ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =23= 翌日、のもとに返事が届いた。
の送った文面ほど複雑ではなかったが、その意思をくみ取ったのか、輪郭の薄い内容となっていた。
『一度カウンセリングした方は当店に深夜まで出航。Alibiは有り。おそらく白』
「当店に出航か……」
我ながら懐かしい事を思い出したものだ。
当店に出航。
二人が勤めていた先での特殊な言い回し。
社員は店長以外、常駐しているわけではない。
定期的に店舗を変えられるのだった。
本社から各店舗に出向いて行くことを、出航と呼んだ。
店舗が変われば、そこへ出航に行くと連絡がある。
固定で店舗に出勤するアルバイトにこれは適用されない。
社員にだけ使われるこの言葉に、国官である意味合いをのせてみたのだが、上手く伝わったようだ。
当店に出航と書いているから、偃松(えんしょう)は一日宮城にいたのだろう。
この素早い返事は、昨日の内に本人に聞いたのだろうか。
しかも小宗伯の見立てでは潔白のようだった。
不審なところがなかった、と言うことだろう。
「でも……」
夜中に偃松がいたのなら、やはり怪しいのではないか。
昼間債務を放りだして出かけていたのだ。
帳尻合わせに夜中まで働いていたとも考えられる。
「となるとやはり……」
山岡と偃松。
春官・内史府の上官と下官。
被害者と加害者であり、接点は大いにある。
「だけどもし……」
見間違いだったら……。
いや、それ以前に死んだはずの山岡が、この国を隠れもせず出歩くだろうか……。
偃松はともかく、山岡は見間違いかも知れない。
「どうした、随分深刻な顔で考え込んでいるな」
ふと声をかけられた。
急激に世界が輪郭を帯びて目の前に現れた。
「ん……なんでも……なんでもない……。あっ!体調も悪くないからね」
また心配されては困ると思い、慌てて付け加えた。
偃松を見たかもしれない、不安に思う、というだけの理由で、王である尚隆にこれを告げるわけにはいかなかった。
(先輩なら自分の部下だし、慎重に判断してくれるはずよね。朱衡さんに相談することはあっても、尚隆にまで言わないだろうし……帰って先輩と相談してから考えよう)
そう心中で呟いた。
不自然に頷いたその様子に、尚隆は何も言わなかった。
街を出て再び空を行く二人。
港町に着いたのは、昼を過ぎたところだった。
昼餉(ひるげ)を取り、騎獣を預けると街を見回った。
そして陽が少し傾きはじめたころ、歩いて街から出る。
高台を目指しのんびり歩く尚隆に、は後ろからついていった。
体の疲れをほとんど感じないのは、仙籍に入ったという証なのだろうか。
高台の頂上が見え始めると、尚隆は振り返って手を差し出す。
「目を閉じて登れるか」
無言で頷くと、尚隆の手をとって目を閉じた。
引かれるまま足を出して進む。
「いいぞ」
やがて言われた声に瞳を開ける。
日に向かって立っていたようで、閃光に目が眩んだ。
しかしすぐに馴染んだ瞳は、斜陽に染まる世界を映し出す。
島影のある海が視界に広がり、橙の陽が反射してきらきらと瞬く。
「やはりこの時刻が一番美しいな」
「ここは尚隆のお気に入りなの?」
「そうだな。青海と黒海が同時に見渡せるからな」
二つの海が混在するのか、同じ海で二つの呼び名があるのか、どちらだろうかと思いながら口を開く。
「へえ……これが青海と……黒海なのね。黒海はどうしてそう言うのかしら」
そう言ってからだった。
目が異常を捉えたのは。
「え……?」
よく見ると、色彩の濃度が違う。
視界のちょうど半分で色彩は分かれている。
「青海……黒海」
左の海は青い水面に橙が反射している。
右の海はもっと深い色の波間に赤い陽が瞬いている。
「まさか……」
「不思議だろう」
「不思議、どころの騒ぎじゃないわ……」
この景色は異常だ。
自分の常識の範疇(はんちゅう)から、はるかに逸脱(いつだつ)している。
「でも……」
綺麗だと呟いたのは心の声だった。
世界を包む優しい斜陽(しゃよう)に、声が出なかったのだ。
恐らく昼に来れば海の色は、よりはっきりしているのだろう。
衝撃を考えての事か、単純にこの時間の景色を見せたかったのか、推察(すいさつ)することは出来なかったが、にとっては最善の事が起きたように感じていた。
なぜならその景色は……
「瀬戸内に似ている」
いつだったか、とは海を見つめながら言う。
「先輩がね、同じものを見つけなさいって言っていたの。きっと、この世界を受け入れるのに必要だからって。でもね、私はこの世界のことを否定したりしなかったわ。だって世界はそこにあるんだもの。人も、物も、すでに存在している。だからそんなこと必要ないって思っていたの。私や先輩が受け入れようと、受け入れまいと関係ない」
「思っていた、か」
「うん。先輩はきっと決別が必要だったの。過去と故郷に。新しい自分を受け入れるために。だけど私は……」
この世界で初めに直面したこと。
それが『死』だった。
痛みで気を失う直前、いつも思っていた。
このまま死ぬのはいやだと。
一番初めにそれを体験したとき、死へ向かう恐怖が全身を襲ったのを覚えている。
徐々に暗くなる視界に、嫌だと思っていても抗うことが出来ず、抜けていく意識の中で死を体感した。
「このままでは確実に死ぬと思ったあの恐怖を思えば、世界や常識の違いなど些細な事だと思っていたの」
海に向かっていた尚隆の視線は横に向けられたが、は変わらず海を見つめながら言った。
「でも違ったのね。心のどこかで叫んでいたんだわ。この世界が悪いんだって。この世界に来てしまったから、こんなことに巻き込まれたんだって。受け入れるしかない環境を、自発的に受け入れていると捉(とら)えるのは私の自己防衛だったのかもしれないわ。精神を正常に保つための……」
死からの恐怖は完全に取り除かれていない。
山岡が生きている事を言い躊躇っている場合ではない。
偃松を見かけたのなら、尚隆にそう告げて真偽を確かめればいい。
「ただ……」
しかし、煌く海を見つめながら今はよそうと思った。
その代わり、宮城に戻ったらすぐに言おう。
尚隆や小宗伯に。
「ただ?」
先を促した尚隆に、はふっと笑った。
まだの横顔を見つめていた尚隆のほうに顔を向け、さらに微笑んで言った。
「同じようなものを見つけるのも、いいかもって思ったの」
そう言うと再び海に顔を向ける。
あわせた様に尚隆も海に顔を向けた。
「先輩と一緒ね。きっと私もこれでこの世界を受け入れたんだわ。だって同じように綺麗なんだもの。同じであって異なるもの。だけど生きていけるわ。だって私には先輩がいるから」
「……先輩が、か?」
少し不満げに言った尚隆に笑う。
「尚隆も味方してくれる?」
「していないように見えるか」
「ううん、見えないけど……」
「何か含むところでもありそうだな」
「……ねえ、私の味方、本当にしてくれる?」
そう言って尚隆に向き直る。
海に向かっていた相貌(そうぼう)がに向けられる。
しかし何も答えない尚隆に、は不安になって胸元に手をあてた。
「少し前から考えていたの。ずっと……」
瀬戸内の話をしたときから。
「ねえ、私の母は因島の出なの」
因島、と声に出したは、まったく表情の変わらない尚隆の相貌を見つめる。
「もし私の考えが正しければ……私は……私には、尚隆が好ましくないと思う血が流れているかもしれない」
「どういう意味だ」
そう聞く尚隆の目は、解らないで聞いているわけではないと語っている。
が言いたい事は伝わっている。
だがなぜそれを言うのかを問うている。
「私の母の、父の父の母の父の母の父の父の……そのまた父が、尚隆の敵だったかもしれないでしょう?最悪の場合、仇であった可能性も……」
因島には親戚が多い。
それは長きに渡り生活してきた証ではなかろうか。
「随分いい勘をしている。気になるか」
「……うん」
そうか、と言った尚隆は軽いため息をつく。
その音が心を締め付けるようだった。
ときめきとは違った震動が胸元から伝わってくる。
ふと、せつなげに尚隆への想いを語った里謡を思い出す。
(そう……私は胎果でもない。もっと、尚隆にふさわしい人が身近にいるのかも……)
心洗われる景色が急激に様変わりし、斜陽の物悲しい光が増した気がした。
前日の舎館には二つの部屋があった。
居間のようなくつろげる場所があり、部屋がそれぞれ分かれている。
しかし今日の舎館では格が下がるとかで、部屋は一間きり、着替えのためか、衝立が奥にひとつあるだけだった。
確かに昨日ほどの豪華さはないが、簡素なだけ、小綺麗な印象が強い。
しかし一間を気遣ったのか、尚隆は早めに寝るように言うと手紙を出しにでかけたまま、長い間戻ってこなかった。
一人舎館に残ったは寂しさで押しつぶされそうだった。
自ら手を離したのに後悔の二文字が脳裏を駆け巡っている。
里謡もこんな気持ちで夜を過ごすことがあるのだろうか。
尚隆を想い、遠すぎる距離を呪い、涙を流し……辛く、寂しい夜を過ごすのだろうか。
「こんな時……先輩に相談できたらいいのに」
恋の話は職業柄、腐るほど聞いてきた。
手の届かない人を好きになって、泣きながら占ってくれと言う客が来るたび、困り果てたものだった。
『彼女のいる学校の先輩』程度ならまだしも、『毎朝テレビで見かけるあの人』などと言ってくる女性もいた。
出会うところから始めなければならないため、どこから占っていいのか分からない。
そんな時、大抵は言う事が決まっていた。
『新しい恋が貴女を待っているでしょう』
もちろん、率直に言うわけではない。
可能性が低いことを匂わせておいて、落ち込んだところでより良い出会いがあると希望を持たせる。
今、好きな人が褪せて見えるくらいの出会いがあると。
よって占うのは今後の恋を予測するものだった。
実際、いつまでも振り向いてもらえず、苦しい時期が続けば疲れる。
そんな時に新しい恋に出会うことが出来れば、今まで好きだった人物は急激に過去のものとして映るため、色あせるのは必至である。
意識せずして訪れる新たな恋が、身近な人であればより早く切り替わる。
手の届かない辛さを癒してくれ、可能性を感じて幸せになれるからだ。
「私も……そんな風に思わなければならないの……?」
寂々とした夜の静けさが身を包む。
恐怖以外に涙を流したのは、この世界へ来て初めてだった。
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