ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =24= ふと瞳を開けた。
眠れないと思っていた夜はいつの間にか過ぎ、明け方の青い光が窓から見えている。
右頬は柔らかい衾褥(ふとん)の感触を伝えていた。
いつ眠りに就(つ)いたのか、記憶を辿っても思い出せない。
悲しくて泣き疲れて眠ったのだろうか。
「はぁ……」
ひとつ大きな溜息をつくと目を閉じ、右頬を衾褥から離すようにして天井を向いた。
瞳を閉じたまま、再度大きな溜息をつく。
自分らしくない、そう思いながらついた溜息だった。
『ひとりぼっち』そんな言葉に支配された夜だった。
宮城にいても、寝るときは一人だ。
ここへ来て急に辛くならなくとも良いはずなのに……明け方にそんなことを考えている自分もまた、らしくないと思った。
左を下にして、再度眠ろう。
そう考えて体を動かした。
体の回転とともに開かれた視界の中。
「!!」
そこには端正な顔があった。
静かとはいえ、寝息に気付かなかった。
いつもは括られている髪が頬にかかっている。
何故ここにいるのかと思ってすぐ、ここが一間しかない事を思い出した。
そこにいつの間にか帰ってきた尚隆がいる。
「綺麗……」
無意識の内に溜息が出ていた。
先程とは違った溜息。
髪を降ろしているところを初めて見たと気が付き、同時にずいぶん印象が変わるなと心の中で呟く。
朝の薄暗い視界の中、は尚隆を見つめ続けた。
腕も、唇も、手を伸ばせばすぐそこにあった。
早い鼓動を聞きながら腕を衾褥から出す。
そっと腕に触れてみると、反応があった。
尚隆の腕は触れたの手を通り過ぎ、下になっている肩に到達した。
首と衾褥の隙間から絡め取るように動いた腕は、力を入れていないような滑らかさでを引き寄せた。
鼓動の激しさで微かに体が揺れている感覚はあったが、そこから抜け出そうとは思わなかった。
一瞬、里謡が脳裏を掠めていったが、心の中でそっと詫びると、尚隆の胸元に頬を寄せて深く息を吐き出した。
幸福感と安堵が交互に押し寄せ、は再び瞳を閉じる。
自分の気持ちを止めようがないと、この時ようやく気が付いた。
「社会見学はいかがでしたか?」
禁門から内殿に進んですぐのところだった。
背後に女官と夏官を引き連れて現れた小宗伯が、二人に微笑みかけて言ったのだった。
「先輩……あ、あの……眉やこめかみがぴくぴくしてますけど……どうしました?」
「あら、それは失礼」
そう言うと、小宗伯は肩を竦(すく)めて表情を改め、に向かって問いかけた。
「レギーナ、体は大丈夫なの?」
すでにいつもの顔に戻っている。
は凄いと思いながら答える。
「あ、はい。自分でも信じられないくらい元気です」
「そう……でも一応瘍医に見てもらってね。心配だから」
「ありがとうございます、先輩。すぐに見てもらいます」
「ええ、待たせてあるからお願いね」
はい、と短く返答した。
刹那を置いて思い出したように言う。
「あ、先輩。お手紙ありがとうございます。その事についてお話したいことがあるので、明日、出来れば少し時間を作ってもらえないですか?」
「わかったわ。今日でなくてもいいの?」
「はい。私も頭を整理しなければいけないので」
「わかったわ。では明日の夕刻にしましょう。それでいいかしら?」
「もちろんです」
それに頷いて小宗伯は振り返った。
「じゃあ里謡、瘍医のところまでレギーナを連れて行ってね」
「かしこまりました」
「り……里謡!」
は自分の声に動揺が含まれているのを感じた。
「ご案内致します」
深く頭を下げた里謡。
踵(きびす)を返して歩き出した里謡を見ながら、様々な思いが駆けめぐる。
しかし小宗伯の目もあり、躊躇(ちゅうちょ)しつつも後をついていった。
遠ざかる足音。小宗伯の笑顔が尚隆に向かう。
「さて、主上」
手が腰に当てられ、笑顔がますます深くなった。
「もちろん、覚悟は出来ているのでしょうね」
「さて、なんの覚悟やら」
大きく肩を竦(すく)めた尚隆。
小宗伯はそれでも笑みを絶やさず後ろを振り返った。
の位置を確認しているようだ。
二人はちょうど角を曲がったところだった。
「よろしいでしょう」
小宗伯が大きく両手を打ち鳴らす。
それに答えて柱の影から出てきた数人。
小宗伯の背後に立っている夏官の倍は待機していたことになる。
「やはり夏官だったか」
気配は分かっていたが、の手前逃げるわけにもいかなかった。
それを分かっていたのか、ここで待ち伏せていた小宗伯の手腕を改めて見直した尚隆。
小宗伯からすれば意味不明の頷きと笑みがこぼれた。
「さてと、まずは御璽(ぎょじ)を押していただきますよ。全てに目を通し、吟味(ぎんみ)するのはこちらで致しましたが、再度、内容を検討して頂きます」
「お前達が検討したのなら……」
全部を言う前に遮られる声。
「国情を知るためです」
そう強く言い放った小宗伯は、夏官に目で合図を送る。
前後左右を固められた尚隆。
そのまま運ばれてしまう事を少しげんなりして受け入れた。
「里謡……あの……」
尚隆と別れたは、楽しかった気分が反転したのを感じていた。
「関弓から出られていたとか。実際に街を見られましたか?想像しているよりも、見たり感じたりするほうが早いとは思っていましたが、少しはわたしもお役に立てましたでしょうか?」
前を歩きながら問いかける里謡。
表情の見えないその様子に、は不安を覚えながら答えた。
「ええ……とても、勉強になったわ」
「それは……ようございました」
ちらりとだけ背後に顔を傾けた里謡。
その後は押し黙ったまま歩いた。
「里謡?」
「……はい」
暗い声が答える。
「少し話てもいい?」
「はい」
「里謡は……尚隆が好き、なのよね」
「……」
沈黙が辛い。
しかしここで何も言わなければ、私は卑怯者だ。
はそう考え、下向き加減であった顔を上げて言った。
「あのね、私も……好きなの」
「存じ上げております」
「……え」
「存じ上げております。主上を見つめる瞳が、物語っておりました」
「……里謡」
くるりと振り返った里謡。
柔和な笑みを見せて言った。
「気になさらないで下さい。わたしはもう、とっくの昔に諦めておりますから」
そう言うとまた歩き出した里謡。
はそれに何も言えず、黙ってついていくだけだった。
瘍医から心配ないと笑顔で言われ、ほっとしたと。
結果を小宗伯に報告するからと待っていた里謡に、大丈夫だと告げた。
「よかった……。小宗伯がとても心配しておられたので、わたしもつられてしまいました。お話に聞くかぎり、主上は奔放(ほんぽう)に過ぎるとか。連れ廻されてへとへとになっているのではないかと……」
「先輩が?」
「はい。さまを理由に、遊び歩くつもりだと仰って少しお怒りになっておりましたが」
「……それは」
「ふふ。うらやましい限りですが、どうぞわたしに遠慮なさらないで下さい。だってわたしだったら緊張してしまって、楽しむ事なんて不可能ですもの。主上が近くにいると思うだけで固まってしまいます。やはり遠くから眺めておくほうがいいですね」
「でも、里謡……」
「さまが好きだと思っている気持ちと、わたしの気持ちでは重みが全然違います。憧れと本気は違いますでしょう?」
里謡はそう言うとまた笑う。
翳(かげ)りのないその笑みに、少し救われたような気がした。
「それにしてもさま、旅先にあってまで小宗伯と連絡をおとりになっていたんですか?やはり小宗伯がご心配されて?」
「ああ、そう言うわけじゃないんだけど……ちょっとね。……それって、こちらの常識に当てはめると異常なこと?」
「いいえ、異常だなんてとんでもない。ただ、出かけるたびに報告が必要なのだとしたら、少し窮屈だなと思ったんです」
「今の私は全て報告しなきゃいけないでしょうね。攫われた事もあるんだし、まだ何の仕事もしてないし……落ち着くまでは仕方ないわ。それが親切にしてくれている先輩への礼儀だと思うから」
「そうですか。さまはしっかりした方ですね」
感心したように笑う里謡。
それが少し気恥ずかしく思い、は下を向いた。
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