ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =26= 翌日、昼を過ぎたところだった。
昨日の事を思い出すと、まだ顔が熱くなるが、そろそろ小宗伯と話す内容を(まと)纏めておかねばならない。
「メモか何か欲しい。書いて整理したいけど……筆なのよね」
ふと、壁際に置かれたショルダーバッグが目に入った。
「メモなんか……入れてたかしら」
そう言いながら壁際に近付く。
関弓に来てから鞄を開けるのは、これが始めてだった。
「あ……こんなものがまだあったなんて」
イベントの時に配られた、折ると発光する棒が鞄の中にあった。
折ってみるとすぐに発光する。
「ふふ……なつかしい」
職場から持ってきたものが、海客の証のように感じた。
「鞄もこっちのものとは雰囲気が違うわね」
こちらではあまり見ない材質のショルダーバッグが、着ているものとどうにも融合しない。
しかし肩にかけると、妙に懐かしかった。
「不思議なものね」
そう呟いたところだった。
「さま!」
房室に駆け込んで来たのは里謡。
肩で息をしながら、蒼白の面持ちでを見る。
「里謡?」
「た、た、た、た、大変なこと、ことが……」
「落ち着いて里謡。何が大変なの?」
「と、とにかく……来て下さい!」
蒼白な面持ちで言う里謡は、の背を押し駆けるようにして進む。
勢いに押された形で、押されていく。
肩からショルダーバッグが落ちそうになって、片腕を通した。
足早に移動する里謡。
の前を歩き、国府をどんどん下って行く。
「ねえ里謡、どこに行くの?」
「関弓です。とにかく急いで下さい」
振り返った顔が少し泣きそうに見えた。
事情を聞ける雰囲気でもなく、は黙って着いていくしかなかった。
街についてしばらく。
里謡ははぐれぬようにと言っての手を取った。
引かれながら歩く初めての関弓。
里謡は無言でどんどん進む。
「ねえ里謡、何処に向かっているの?」
「……もうすぐ分かりますよ」
里謡の声色から不安が消えていた。
誰にも言わずに出てきた事が急に後悔される。
「ねえ里謡、他に誰か連れてきたほうがよかったんじゃない?」
「いいえ、大丈夫です」
落ち着き払った声にしか聞こえない。
どうしたのだろうか。
「里謡、手を放して。ちゃんと着いていけるわ」
そっと空いた手をショルダーバッグに伸ばし、手探りで見つけた中身をぎゅっと握った。
「……」
「里謡?」
ここからは直感だった。
答えない里謡に大人しくなる。
バッグから手を出して中身を落とすと、歩幅を合わせて歩き始めた。
すると僅かに里謡の力が緩んだ。
その瞬間を待っていたように、手を振り解いて走り出す。
背後に男の声を聞いたような気がしたが、振り返らずに大きな門に向かって走り続ける。
到達するまでに門を閉められたらとも考えたが、杞憂に終わったようだった。
それが関弓の外に続く境とは知らず、全速力で門を潜った。
「レギーナ?どこなの?」
夕刻に約束していたはずの人物はどこにもいない。
すぐに彼女の行動範囲を調べたが、やはりどこにもいないようだった。
「いない……まさか……」
不審に思った小宗伯は、大司馬から密かに借り受けていた夏官を呼び出した。
「小宗伯!……ああ、もうしわけありません」
小宗伯の顔を見たとたんに頭を下げた夏官に、不安が的中したことを知った。
「彼女はどこに行ったの」
「こちらに通っていた女官と出て行かれました。念のため他の者をつけていたのですが……」
「見失った?」
「は……はい。たった今、追っていた者が戻ってきまして……関弓の人混みに紛れてしまったと」
「関弓に降りたのね?それは間違いないの?」
「はい。戻ってきた者の話によると、一緒に行動しているように見えておりましたので、かなり距離を開けて追っていたようです。しかし関弓に降りると手を引いて歩き始め、歩調も急に早くなったのです。いけないと思った時にはすでに見失っておりました」
「そう……思いがけず動き出してしまったということね」
「動き出すとは……?」
「いいの。こちらの話だから。とにかく大宗伯に……いえ、主上にお知らせしなくては。あなたはすぐ大司馬に奏上申し上げて」
「は、はい!かしこまりました」
主の房室へ向かう途中、大宗伯が回廊で追いついてきた。
「意外な人物が動きましたね」
「ええ、不覚だったわ。そうとは気付かずに……手元で育てていたなんて。でもこれで、台輔が伊達に神獣ではないことが判明したわね」
半ば駆け足になりそうな歩調の二人。
朱衡は少し考えるようにして口を開く。
「彼女はもともと天官でしたね。それを春官で引き取るかたちとなったのは覚えておりますが……そのいきさつ等、覚えがありますか?」
「彼女は元々春官ですよ。春官から天官へ移ったの。天官長が台輔付きの女官を捜している時に、偶然紹介してもらったのよ」
「紹介?」
「あ……そうよ。そうなのよ……」
ふと足を止める小宗伯。
気付いた大宗伯が振り返ると、難しい顔を向けて言った。
「里謡……。彼女は確かあの時……」
『細やかな気配りと、柔和な笑顔、何よりも明るい性格が長所だろうな。自信を持って薦めることが出来る人物だ。本音を言うと内史府にいてもらいたいところですが』
『偶然とはいえ、好機が重なりましたね。あちらにも欠員が出たところでこの申し出ですから』
『元々希望は天官だったようですよ。台輔のお世話をさせて頂けると言うのは本人にとって願ってもない好機。里謡を小宗伯に託しましょう』
『では天官へ……。いえ……内史、もし、こちらで人手が足りなくなるのなら、無理にとは……』
『小宗伯、わたしの器量を疑うのですか?』
『そ、そんなわけでは……』
『心配無用です。以前にも内史府から一人引き抜かれましたが、こうして滞りなく進んでおります』
「そう言って笑ったわ、山岡く……内史は」
小宗伯に就任して半年ほど経過したころだったか。
まだ気まずい空気の中で会話していたころだ。
「内史府から天官府へ移動になったのですね」
「でも、台輔は里謡が苦手だとおっしゃって……今にして思えば、何かを感じ取っていたのかもしれませんね」
何が苦手なのか分からないが、あまり側に寄せ付けなかった。
神獣だけがもつ勘があったのかもしれない。
「台輔が何かを感じ取っていたかどうかは分かりませんが……我々にとって彼女は予想外でしたね」
「ええ……」
「春官へ戻ってきたのは台輔が遠ざけたからですか?」
難しい顔もそのままに歩き出した小宗伯。
あわせて歩く大宗伯に顔を向けて言った。
「そこが腑に落ちないのよ。里謡はレギーナの教育係として移動になったのよ。台輔は関係なく……」
小宗伯は言って一瞬黙ったが、大宗伯が怪訝な顔をしたのを見て続けた。
「だって、彼女を指定したのは主上ですもの。里謡を知っていた事も少し驚いたけど、名指しだったから安全である根拠があるものだとばかり」
ほう、と大宗伯の表情が変わる。
納得顔になって小宗伯に言った。
「根拠はあるのかもしれませんよ。安全とは別の根拠が」
「嫌なことを想像してしまいそうな言い回しですね、大宗伯」
「そうですか?」
不安を煽(あお)られたような心境になった小宗伯。
主の房室はもう目の前だった。
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