ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =27= 後ろを振り返ることなくひたすら走り続けた。
それだけの体力があることに驚いたのは、追われている気配がないと確信してからだった。
斜陽はすでに姿を消し、空に僅かな色を残すのみ。
遠くで太鼓のような音が聞こえていたが、それを気にしている余裕がなかった。
「誰もいないわね……」
関弓へ急いでいるような数人とすれ違った記憶はある。
走っていたので、追い越されることはなかったが、今になって不思議に思う。
なぜ自分と同じ方向に向かっている人がいなかったのだろうか。
辺りに人の気配がない事に気が付くと、追い越されなかったかわりに、追い越してもいない事に気が付いた。
そしてようやく思い出す、こちらでは常識と呼ばれる事柄があった。
「そうだわ……日没後は」
一気に血の気が引くのが分かった。
夜が明けるまで関弓に戻れない。
外は妖魔も出ると聞いた。
「妖魔……」
沛乎島(はいことう)の風景が蘇る。
は辺りを見回した。
街道に沿うような木々がある。
しばらく街道を下りながら木々のざわめきを見ていた。
その中に一際木が密集している場所を見つけた。
街の明かりは四方見渡したが、どこにも見えない。
方角も分からない。
朝まで門は閉まっている。
「仕方がないわ……」
は躊躇いながらもそこへ入っていった。
「外敵から身を守るには、身を隠せばいいのよ。大丈夫、あの島よりは隠れる場所があるわ」
茂みしかなかった事を思えば格段に安心できると思った。
いや、思いこもうとした。
は大きな木を選んで登り、体を固定させるような体勢を作ると、枝を寄せ集めて自らの姿を隠した。
木々がの視界をも遮(さえぎ)り、土色のの景色が消えていく。
頭上を見上げるとちらちらと星が見えている。
すっきりと晴れた空が見え隠れしているが、気温は宮城よりも寒い。
「旅先でも……寒かったし。大丈夫、この木はまだ枯れていないもの。寒さはしのげるわ」
少し安心すると大きな溜息をつく。
ようやく考える事が出来そうだった。
「里謡(りよう)……」
彼女はどこへ向かっていたのか。
「偃松(えんしょう)が犯人だなんて」
自分はなぜ、偃松を犯人にしたがっていたのだろうか。
ふと、思い当たる。
「そうだわ……私は……」
自分にとって一番都合がいいからだ。
尚隆や小宗伯が犯人であると仮定する。
仮定はするがそこから先に進めない。
いや、進みたくなかった。
本能的に嫌だ。
考えなかった訳ではないが、想像したくないものの一つだった。
浅い考えで終わっていたような気がする。
それと同列に朱衡がいる。
朱衡が犯人であれば小宗伯が悲しむことは避けられない。
それもの望む結果とは言えない。
それ以外で山岡と共謀し、が知っている人物となると、単純な消去法でしかありえなかった。
結果、偃松しか思い浮かばなかっただけのこと……。
「なんだ……私の推理はなんて子供っぽいの」
里謡を思うと心が痛んだ。
その裏切りに痛む心。
仲良くなれると思った矢先だった。
空を見上げる。
木々の間から見えている星が瞬いている。
「星……どうして星が見えるかしら……?だってあそこには海があるのに」
改めて不思議な世界だと思う。
大きな猫が人間のように歩いていたり、見たこともない獣が乗り物だったりする。
空を飛べる獣だっているのだから、自分の物差しでは何も測れない。
「人の心も……そうなのかしら」
いや、と心中で呟いた。
人の心は変わらないと感じていた。
里謡や山岡に関しては、その心の闇を見抜けなかっただけのこと。
「私もまだまだ人を見る目がないわね」
ふう、と大きな息を吐き出した。
「このまま朝まで何もなければいいんだけど……」
妖魔と遭遇する事だけは避けたかった。
忌まわしき沛乎島(はいことう)での記憶。
その恐怖の塊を思い出したくはなかった。
木々の隙間から見上げる空。
煌めく星がに教える。
「あ……また、アルゴル」
厳密に言うと、それに似た並びの星。
大きな瞬きを見せる悪魔の星を、はまじまじと見つめた。
すると、悪魔の星は急に消えた。
「え……」
小さく声が漏れると、再び現れる星。
「本当に食変光星なのかしら」
そう言うと、また星が消えた。
肉眼で捕らえることが辛うじて可能な明るさならば、見失うこともあるのだろうが……比較的明るい星だと思った。
こちらの瞬きは、自分の常識とは違ったものなのだろうか。
そう考えてから気が付いた。
他の星も見えていないことに。
「!」
視界が遮られていたのだ。
何か大きなものによって。
「まさか……妖魔!?」
見つかったのか。
そう思った瞬間、強い風が木を揺らした。
寄せ集めただけの枝はあっけなくの姿を晒し、同時に視界を広げていた。
「山……きゃあぁ!」
の目前に現れたのは、騎獣に乗った山岡だった。
伸ばされてくる腕が異常なほどゆっくり見えた。
走馬燈のように思い出す他国での自分。
あの手に捕らえられたら最後だ。
とっさに、近くにあった枝を掴んで身を隠すようにした。
引き寄せた枝の端が山岡の顔に命中し、小さな悲鳴と目を覆う仕草が見えた。
は手元に残っていた枝を山岡のほうに投げ、落ちるような勢いで木から降りた。
降りる直前に均衡を崩し、腰を打ち付けたがすぐに立ち上がり、山岡の位置を確認することなく駆け出す。
後ろを振り返っている暇などない。
力の限り走る。
道など気にしている余裕もなくひたすら走った。
しかし闇雲に走ったところで、騎獣の早さに勝てるはずもなく、あっさりと捕まってしまった。
辺りは遮るものがない草原のまっただ中。
「離して!!」
「……」
力いっぱい抵抗しても、力の差は歴然としており、その手から逃れる術を見出せない。
捻られた腕は背に回って固定された。
「私を捕まえてどうするつもりなの」
「それを聞いてどうする?」
「次に出る行動の確証を得るためよ」
「何をするつもりだ」
背後にいる山岡に、吐き捨てるように言った。
「言わないわ。でも絶対に屈しない。あなたのためにも、先輩のためにも」
「……なぜそこで小宗伯が出てくる」
戸惑いを含んだ声。
はやはりと心中で呟く。
「迷いがあるなら、こんなことはやめたほうがいいわ。あなたが亡くなったと聞いて、先輩がどれほど悲しんだか。私を気遣って明るく振舞ってはいたけど……本当は……」
「悲しんで?まさか」
「先輩にとって、あなたの存在は大きかったのよ。もう二度と戻ることの出来ない故郷へ繋がる扉だったの」
「それは……俺も同じように思っていた。ただ……」
「私たちは生きていけるわ。この国で……この世界で」
「……」
動きを止めた山岡。
ややして悲しげな声が言った。
「生きてはいける。それは分かっている。だけど……いつまで経っても埋まらない悲しさがある。隙間風のような寂しさは、どうあっても繕(つくろ)えない」
「だから……」
は背後に立つ山岡に顔を向けて言った。
「だから……先輩を好きになったの?」
「!」
驚いた顔を確認せずに前を向いた。
地を駆ける音が遠くから聞こえる。
尚隆であろうと何故か強く確信を持った。
「あなたは……先輩を好きだった。寂しさを埋めるためだったのかもしれない。あるいは蓬莱、同郷という世界を共有できる、唯一の存在だったからかもしれない。でも……先輩の心にはすでに……」
音が徐々に大きくなる。
木々と風の反響か、音が複数聞こえていた。
「過去、密かに好意を寄せていた人が流れて来て、これは運命だと思ったのかもしれない。でも……」
近付いているのは足音だ。
山岡は冷静に問いかけてくる。
「好きだという感情に、理由がいるのか?」
「それは……」
足音はもう、すぐそこまで来ている。
ふう、と大きな溜息が背後から聞こえた。
「しかし……仮に蓬莱にいたままでも、思いが通じることはなかったのかもしれないな」
さすがに山岡も足音に気付いたようだった。
そう言い終わるとの腕が解放された。
解放された理由が解らず、背後の山岡に顔を向けようとした瞬間。
山岡がを強く抱きしめた。
強く抱きしめられて何も言えずにいたが、もうそこまで近付いている足音に焦り、ふりほどこうともがく。
尚隆に誤解されたくはない、その思いで必死だった。
「今だけ、信用してくれ」
「え……?」
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