ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =3= 「はあ…はあ…」
履(は)いていた靴は地震の影響もあってかすでにボロボロで、慣れない長時間の歩行に体は疲れきっていた。
二時間は歩いただろうか。
それでも街は見えなかった。
いつの間にか海は消えたが、横にある林は未だ黒々としている。
その闇が恐くてあまり見ないように心がけたが、時折気になって目を向けてしまうのだった。
振り払うように歩調を強めた。
そこに異変が訪れる。
「この匂い…」
潮の匂いが風に乗ってを取り巻いた。
まさか、と足を進めていくと海が広がっていた。
絶望的な思いを抱いたまま、海を覗き込む。
透明な海は二時間前と変わらず、穏やかに打ち寄せている。
「同じ場所…って事はないわよね…」
周辺を見回してしばらく、は自ら捨てたハンカチを見つけた。
「あ…そんな…」
がくりと膝を折り、地に手をついて絶望した。
円形になった林。
考えれば当然のように思われた。
二時間かけて一周したに過ぎないのだ。
しかしふと顔を上げて空を見上げる。
「そうだわ。知らない地形で林に頼ったからだわ。方角を確かめずに歩いたりしたから…」
占いを始めたきっかけはホロスコープだった。
黄道十二星座を天体から読みとることもした。
星座について色々調べた時期もあった。
天文学的も学んだし、物語を追って楽しむ事もあった。
この時期、この時間、秋の長方形が天頂にあるはずだ。
巨大な四角形の先にはスバル星団。
空には黄道と赤道がある。
黄道とは地球から見た太陽の軌道であり、赤道は天球からみた地球の軌道だ。
天球上にそれぞれを表すと、ずれた円を描いている。
ずれているがため、二点交わる所がある。
それを春分点、秋分点と言う。
夜、天頂を迎えるのは逆の季節で、秋には春分点がペガスス座の下にくる。
春分点は黄道座標と赤道座標の原点である。
つまり黄経0度にある。
反対に秋分点は黄経180度となる。
これは余談だが、黄道と赤道は経緯に分けると黄経、赤緯となっている。
「おかしい…ペガススもアンドロメダもない」
月の位置を頼りに南であろう空を眺める。
おかしいと呟きながらも逆の空に目を向ける。
北にはカシオペヤ座、東にはぎょしゃ座、西にはこと座やはくちょう座があるはずだった。
空は雲っていない。
むしろすっきりと晴れて、煌めく星々は月に負けぬほど輝いているのだ。
それでもなお、見知った星座を見つけることは出来なかった。
星座は充分知っている。
黄道や赤道と言った知識もある自分が、星座を発見出来ないなど、あり得ることだろうか。
「駄目だわ…まったく分からない。北はどっち?」
途方にくれてそう呟くと、その場に座り込んでしまった。
方角が分からない状態で、どうのように動いたら良いのだろう。
後ろは海、前は林。
左右は果てしなく続く道なき草原。
その先は何も見えない。
「一体、ここは…」
そう呟くとぽろぽろ涙が溢れ出す。
一度溢れ出すと止まらないものらしい。
しかし声を上げて泣いたのは最初だけで、その後は声を押し殺して泣いた。
自らの出した声が闇夜に響き、林のほうが妙に恐いと感じたのだった。
怖さが増してくると涙は自然と止まる。
平静を取り戻すと改めて辺りを見回し、自分の置かれた状況を分析しようと試みた。
は二時間彷徨った。
だが闇雲に歩いていたわけではない。
林を横手に見ながら進んでいたのだ。
それがいつの間にか元の位置に戻っている。
となれば、ここは歩いて二時間で一周できる島なのではないか?
海沿いに人の気配はない。
あるとすれば林の中。
あるいは無人なのか…。
いずれにしろ、夜が明けるまでは林の中へ進むことはできない。
その場で座り込んだまま、どうしようかと固まって考えた。
しかし何も良い考えは思いつかない。
仕方なく、は立ち上がって歩くことを再開させた。
少しでも身を隠せる所を探そうとしたのだ。
しばらく歩くと、最初は気付かなかった茂みをいくつか発見した。
身を隠せるような場所を探し当てると、その中に入って座る。
少しは安心できそうだった。
普段歩かないような距離に、体力は限界が近い。
足も痛くて重い。
小枝が腰をちくちくと刺していたが、あまり気にならないほどだった。
痛むところが多すぎて、それどころではない。
切れた傷口、歩きすぎで痛い足。
「はあ…」
大きく息を吐き出すと、後ろに倒れていく。
ぱきぱきという音と供にその場に寝そべり、見知らぬ天体を見つめていた。
「アンドロメダ王女、カシオペヤ王妃、ケフェウス王、巨大くじら、天馬ペガススに勇者ペルセウス…」
アンドロメダには銀河がある。
銀河系の隣になる大銀河で、それは肉眼でも見ることができる。
ペガススの先端には有名なスバル星団、黄道十二星座でいうと、おひつじ座、やぎ座、みずがめ座、うお座がある。
「どれもないか…」
そう言うと、くすりと笑う。
「ケフェウス座って、みんな知らないのよね」
カシオペヤの横に添うように並んだ、古代エチオピア王国の国主ケフェウス。
妻にカシオペヤを持ち、アンドロメダを娘に持つ。
その星座が注目されるのは、遠い将来のことである。
歳差運動の関係で、北がこぐま座からケフェウス座に変わる。
つまりは北極星が別の星に変わるのだ。
「ま、そんなに長生きするわけじゃないけどね…」
鎖(くさり)で繋がれたアンドロメダ。
母カシオペヤの娘かわいさに、海の神を怒らせた咎(とが)を、一人受けることになったと言う。
父ケフェウスと母カシオペヤは、災難に苦しむ民の声を聞きつつも、娘を生け贄に出す決心がつかなかった。
そこでアンドロメダは自ら進んで生け贄になった。
巨大くじらに襲われかけたその瞬間、ペガススに乗ったペルセウスに助けられた。
この物語の登場人物達が、すべて秋の空には描かれている。
秋から冬にかけて、壮大な物語が描かれる天体。
多くの星座が集まる秋の空が、は好きだった。
「ペルセウスの手にはゴルゴン・メデューサ。その額には悪魔の星…魅入られたか…?」
悪魔の星はアルゴルと言う。
明るさが変化する星であるがゆえ、不気味だと言う理由でつけられた名だった。
「そうよ、レギーナ様はこんなに天体に詳しいのよ。ただの天文学だけじゃなくて、占いにまで生かしているんだから」
自らに言い聞かせるように呟いてみたが、元気を取り戻す事は出来なかった。
食変光星アルゴル。
三日近い周期で明るさを変えてゆく星。
悪魔と呼ばれた星に罪などないはずだった。
だが…あの地震の前、アルゴルに目が止まった。
偶然だと分かっていても、見てしまったという悔恨(かいこん)が残る。
四方を見渡しても、北極星すら見つけられないこの星空。
灯り一つ無い島。
海には鳥影すらなく、何の気配もない。
「もう…どうしていいのか分からない…」
弱音が出てしまうと、後は瓦解(がかい)するしかない。
すべての星が滲(にじ)んで霞(かす)む。
そのまま瞳を閉じると涙が伝う。
混乱することも出来ないほど、自分の置かれている状況が掴めないでいた。
「何が正しいの…」
ふと、普遍的なものを見つけねばならないと思った。
そうでなければ、この場から動けないような気も、同時にしている。
明るくなったら林の中に入ってみよう。
何かあるかもしれない。
そう考えて、知らぬ間に眠っていた。
空腹と体の痛みに目が覚める。
酷く冷たい風が頬を刺激していた。
満天の星が広がっていた夜は空け、白み始めた空が瞳に映る。
夜が明ければ、何か見つける事が出来るかも知れないと、そう考えながら体を起こした。
「朝と夜。星に太陽…」
普遍的なものを探そうと立ち上がり、黎明(れいめい)の空を見上げた。
日の出があるのだろう。
では日没もある。
他にもあるはずだと言い聞かせるように頷き、足を踏み出した。
歩くことを再開させて、三十分は経っただろうか。
ぎくりと立ち止まってしばし。
暗闇では発見出来なかった場所へ、いつの間にか出ていた。
そして目を見開く。
が目を見開いたのは、一周して徒歩二時間の島だった予想が外れたからではない。
異常が広がっていたからだ。
続く草原の一部が奇妙に切れている。
もしも今が夜なら、闇が円を描いて浸食を始めているようにも見えたかもしれない。
それは、えぐり取られた大地の残骸。
木々はなぎ倒され、地は捲(まく)り上がり、動物らしきものがぐったりとしており、海に向かって点々と続いていた。
倒壊した家屋の木片や、家財道具らしきものが至る所に散乱している。
その奥に見える海は、穏やかな音をに運ぶ。
それがなお異常に見えてならなかった。
「大災害…」
これは酷いと思った。
の想像以上に、大きな被害を孕(はら)んだものだった。
島の一角をえぐり取ってしまうほどのもの。
近付いて良く見ようかと考え、一歩踏み出した。
しかしすぐにたたらを踏んで留まった。
「地盤が緩んでいるかもしれない…。危ないわ」
そう呟いたが、それは本心ではない。
確かに可能性として危険はあるのだろう。
だがそれよりも恐怖の方が先だった。
目前に広がる惨状。
所々見えている獣らしきモノ。
その中に人がいないと、どうして言い切れよう。
はそれら一切から逃げるようにして方向を変えた。
足早に歩き出してそこから離れる。
いつの間にか完全に日は昇り、目前には林が広がっていた。
夜に見る林は、ただ暗闇の塊でしかなかった。
何かが潜んでいても発見できない。
月や星の輝きを持って大地を照らしても、そこまでは見せてくれなかっただろう。
しばらく逡巡して日の位置を確認し、足を出す。
林の中は朝の日を借りても薄暗く、陰鬱な影を落としている。
風が揺らす木々の音に肩を竦め、それでも中へと入って行った。
恐怖と戦いながら、奥へと進むのには一縷(いちる)の望みがあったからだ。
大地には人がいる形跡などなかった。
だが林の中はまだ確かめていない。
それに木の実でもあれば、飢えを凌(しの)ぐ事も出来る。
方々を見渡しながら足を進めていた。
だが、実のなっている木はついに見つからなかった。
そればかりか、人の気配もない。
中へ入っていっても、道らしきものはなかったし、文明を感じさせるもの一切が存在しない。
完全に無人だと、思い知らされただけだった。
それでも進んでいると、ついには林を抜けてしまった。
日の位置を確認すると、さきほどと同じような位置にあった。
星座が違うのだから、太陽がの持っている常識に当てはまるとは限らない。
しかし見上げたそれは、蓬莱で見るように眩しく、徐々に高くなっているようだ。
では、とは考える。
「仮に日の出てきた方角を東と想定すると…」
さきほどの惨状の場から、どのようにして逃げてきたのかを考えた。
「北東の方だわ」
恐ろしくて近寄る気になれなかった。
北東を避けようと決心して足を進めた。
陽は滑らかな円を描いて滑るように登っていく。
急激に方向を変える事もなければ、突然姿を消すこともなかった。
時折雲が現れて姿を隠していたが、その光輝を遮るほどではない。
東を日の出だとすると、日の入りはやはり西なのだろう。
それはの言う普遍的と相違なかった。
しかし今に至るも、人も木の実も発見できないでいる。
水と言えば、時折出てくる澄んだ海。
潮の匂いはしていたし、傷を拭う時の激痛を思い出せば飲んでみるまでもない。
すでに喉の乾きは感じていたが、それをどうすることも出来なかった。
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