ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =4= 島を彷徨っている内に、日没が訪れる。
西であろう空は朱に染まり、惨状を思い出さずにはおれない。
それは無情な風景のように見えた。
闇を運び、世界を蹂躙(じゅうりん)するもの。
があの地震に巻き込まれたのは、夜中に近い時間だった。
時を同じくして、この島も襲われているはずだ。
夜を迎えるのが恐い。
また、あれがやって来ないと、誰が言えようか。
そして今度こそ、の命を奪っていくかもしれなかった。
それが堪らなく恐い。
夜になってしばらく、は空が曇り出した事を悟った。
方角を特定することが出来なかった昨夜とは違って、太陽と同じような軌道を描く月だけが頼りだった。
しかし雲ってしまえばまた方角を見失う。
焦り始めたの頭上で、無情にも天は閉ざされた。
ぎゅっと自らを抱きしめるようにして、はその場に座り込む。
疲労に体が悲鳴を上げていると同時に、心が恐怖を叫んでいる。
何に対してかも分からないまま、それでも縋(すが)るものを見つけようと瞳だけは動いていた。
遠くに茂みが見える。
何とかそこまで辿り着こうと足を出した。
もう、何もかもが限界だと思う。
靴も底に穴があいたようだ。
足を守る機能を、どれほど果たしているのだろうか。
着替えたおかげで、服はあまり汚れていないが、それでも最初のものと比べてである。
血がついていない、切れていないと、その程度の事だった。
茂みに入り込み、低木を倒して眠りについたのだから、泥や木の葉が付着していて当然だった。
そして今のには、それに気付く余裕もなかった。
喉は渇き、体力は無駄に消耗されている。
発見したものと言えば、あの惨状のみで、他には特に何もない。
くらりと視界が歪むのを感じた。
茂まではあと少し。
しかしそれが今のには遠い。
足が覚束(おぼつか)ない事も無自覚のまま、茂みに到達した時には安堵の息が漏れた。
それと同時に意識は衰退を始めた。
「ん…」
何かの音に意識が浮上する。
瞳を開けると起きあがり、何事かと辺りを見渡した。
上空から降るような音に見上げた。
そこに信じられないものをみた。
巨大な鳥が島の上を旋回していたのだ。
これまで見たことがないほど大きな鳥。
あれは何だろうかと見上げたまま考える。
「夢、かな?」
が自分で思った以上に乾いた声が喉元を過ぎた。
鳥は宙で捻(ひね)るように廻り、地上めがけて落下を始める。
その落下地点は、の頭上である。
しかしそれを避ける体力がすでにない。
ぐんぐん近付いてくるそれをぼんやり眺めていると、急に現実を帯びて危険を察知した。
鋭利な爪が目前に迫っている。
「く…!」
何とか避けねばと、体を捻った。
強烈な風が背中を掠めて去っていく。
「こわ、い…」
気力のない声とは裏腹に、早鐘を打つ胸元に手を当てて、大きく息を吐き出した。
しかし立ち上がって逃げる体力はどこにも残されていない。
背後から同じような音が聞こえた。
辛うじて頭だけで振り返ると、すでに間近に迫った鋭い爪が目に入る。
顔を背けて目を閉じた直後、肩に衝撃が走って体が一瞬宙に浮いた。
言葉にならない悲鳴が喉を通り、なま暖かいものが背中を伝う感触。
ぐらりと視界が傾いた。
このまま目を背けていれば、命はないと咄嗟(とっさ)に思う。
落ちそうになる意識をなんとか呼び戻し、首を動かして状況を把握(はあく)しようとした。
頭上にいる獣の足には鋭い爪が見えており、そこから何かが滴っていた。
激痛が走っている右肩。
何が滴っているのかは容易に想像出来る。
右手は麻痺しているようだ。
動く左手で体を起こし、陽を背に足を出す。
一度動いてしまえば次は簡単だった。
焦りからいつのまにか走っている。
すぐに追いつかれるだろう事は想像していたが、本能が逃げよと命じる。
隠れられそうな場所を探そうと、走りながら四方を見回す。
「!」
突風が体を襲った。
爪にはかからなかったものの、獣の怒っているような鳴き声が頭上から聞こえる。
痛みすら忘れて足を速めた。
そのおかげか、視界が変わる。
「海」
小さく呟いた直後、再び突風が背後から迫る。
あまりの強風に体が浮き、同時に顔に衝撃があった。
「痛っ!」
刹那、瞳を閉じた。
鞄(かばん)が顔に当たったのだ。
「あ、そうだわ…」
ふと、クラッカーの存在を思い出した。
しかしあの大きさの獣に、小さなクラッカーでどれほどの効果があるのだろうか。
なおも足を進めながら考えていると、突然視界が開けて、己の行く先が分かった。
「そんな…!」
視界の先は海だったが、浜辺へ続く道はない。
この先は恐らく絶壁。
高さは分からないが、端まで言ったら、右か左に折れなければならない。
「ううん、そんなことをしたら…」
きっとおしまいだと、強く思った。
鞄にいれたままのクラッカー。
これで少しは驚くだろうか。
クラッカーを出して走る。
やはり絶壁なのだと確信をもちながら、麻痺したままの右手で紐を指に絡める。
これ以上進めないところまでくると立ち止まる。
振り返って鳥に向き直った。
鳥の爪はすぐそこにあった。
「今だわ」
鳥に飛びかかるようにして跳ねると同時に、勢いよく引かれた紐。
小さな爆発音に鳥は驚き、宙で立ち止まるような体勢になった。
は鳥の起こした風に乗り、海に向かって落ちていく。
随分近いと思っていた海は、想像を超えて遠かった。
海面が近付いて来たと思った瞬間、大きな衝撃が全身を襲った。
透明度が判断を狂わせたのかもしれない。
そのあまりの痛さ、衝撃に、は気を失った。
何やら騒がしい物音に意識は呼び戻される。
人の声だとすぐに分かったは、固く閉じられた瞳を、こじ開けるようにして動かした。
眩(まぶ)しい光が瞳を覆い、慣れるのにしばしの時を要す。
慣れてくると大勢の男が覗き込んでいるのが見えた。
何事かと体を起こそうと力を入れた瞬間、激痛に体が跳ねる。
仰向きから、半身だけうつ伏せになって痛みに耐えていると、狼狽(ろうばい)したような男達の声が上がる。
しかし何を言っているのか分からない。
ばたばたと走るような足音と叫ぶような声に、自分の状況が良くないものだというのは分かった。
背中の激痛が酷く、水が滴るような感触が全身にあった。
血なのか水なのか分からない。
痛みが麻痺していて、背中以外は無機質に感じられた。
半身をうつ伏せたまま、左腕の力だけで上半身を起こし、状況を把握しようと辺りを見回す。
木の柵、木の柱、白い帆、蒼穹(そうきゅう)…そしてちらりと見える海。
「ああ、船だ」
小さく呟かれた声が廻りに聞こえたのか、男の一人がに顔を寄せて何事かを問いかけた。
しかし何を言われたのか理解出来ず、目を見開いたまま固まっていた。
そこへ布を持った男が駆け込んできて、の背中へ持っていく。
ぎゅっと押しつけられるような感触の後、鋭い痛みが全身を襲う。
そのあまりの痛さに呻(うめ)くことも出来ず、再び意識を手放してしまった。
意識から浮上する直前、柔らかい布団の感触を頬に感じた。
「ああ、そうか…ここって私の家だわ。恐い夢…」
そう呟き、体勢を変えるために体を動かす。
「つっ…!」
全身を駆けめぐった激痛に驚き、急いで瞳を開けた。
頭だけを動かして見ると、広いベッドの中で眠っていたことを知った。
布で固く結ばれた胴が少し息苦しい。
止血のためだろうか。
少し力を入れるだけで痛い。
「病院…では、ないわよね…」
高級ホテルのような作りの部屋だった。
今までこんな豪華な所は見たことがない。
西洋と東洋が見事に一体化した内装である。
しかし、今の自分の状況では、豪華なホテルより、小さくとも病院のほうがありがたい。
念のために枕元を確認してみたが、ナースコールのようなものは見あたらなかった。
フロントへ続く電話も、寝ている視界の中にはなかった。
だが、これではどうしようもない。
何故自分がこの場所にいるのか、誰がここまで運んでくれたのかさっぱり分からなかった。
「あの…すいません。誰かいませんか?」
部屋の中からの返答はもちろんなかった。
そこでもう少しだけ声を張り上げて言う。
「誰、か…!」
そこまでしか言えなかった。
背中に負った傷のせいである。
しかしそれでも充分だったようだ。
すぐに扉の開く音が聞こえた。
覗き込むようして現れたのは、の借りていた衣装と同じような格好の女性だった。
女性は柔和に微笑むとに話しかけた。
しかし何を言っているのか分からない。
まただ、とは思う。
あの島から海に落ちて、中国にでも流れてしまったのだろうか。
そう思ったのは、女性の服がどことなくそのように見えたからだ。
目を見開いたまま固まっていると、女性は慌てて部屋を出ていった。
ややして古風な医者らしき人物が現れる。
医者は何事か問いかけてくるが、やはり言葉を理解することが出来ない。
ゆえに何も返せなかったのだ。
ただ呻くような声しか出すことが出来ない。
もちろんそれは怪我のせいではなく、ただ精神的な衝撃によってである。
しかし医者は勘違いしたのか、首を横に振って女性に告げる。
言っている事は分からなかったが、今はまだ駄目だとか、回復を待ったほうがいいとか、そう言った内容であろうと想像する。
呼ばれたついでなのか、医者は女性に指示して布を持ってこさせた。
何をするのだろうと思って見ているを俯かせ、服を剥ぐと傷口にあてている布を切りだした。
羞恥(しゅうち)よりも先に激痛が訪れ、手を握って痛みに耐える。
布は切り終わると取り払われるのだが、これがまた痛かった。
固まった血と皮が張り付いて、それが音を立てて剥がれていく。
握ったその手がすでに麻痺していたが、それでも痛みだけは麻痺せずに、激痛は未だ続いている。
新しく布が巻かれると、ほっと息を吐き出す。
処置が終わると仰向けになったが、痛さで現れた涙のせいで世界が滲んで何も見えない。
するとふいに首が持ち上げられ、管のようなものが口元に当てられた。
水だろうかと思った直後、苦いものが喉を通る。
むせそうになるのをなんとか堪えたが、その臭みに吐き気をもよおしそうだった。
再び管があてられ、もう無理だと拒否したかったが、どうにもそんな体力すらないようだった。
幸いにも、流れて来たのは水だったからよかったのだが。
水を飲み終わると、急激に意識が薄れ始める。
さきほど飲んだ苦いものが原因だろうかと考えながら、まどろむ眠りの中へ進んでいった。
再び揺れるような感触に、はうっすらと瞳を開けた。
また船だろうかと思ったのだが、外の世界は一切見えない。
黒塗りの木材で作られた箱のようなものに乗っている。
揺れていると言うことは、移動しているのだろうか。
医者らしき者に見せられていたから、手厚い看病を受けていたと捉えていいだろう。
ゆえに生死に関わる不安はなかったが、理解出来ない事柄が多すぎる。
しかし揺れる度に痛みが増してきて、次第に何も考えられなくなった。
そのまま瞳を閉じると、再び埋没してゆく意識を感じたが、それを止める術も今は見つからなかった。
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