ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =5= 次に意識が浮上したのは、激痛によってだった。
ベッドの上で治療を受けているのだと理解するまでに、しばしの時を要した。
しかし意識を保ったままそれに堪えた。
治療が終わると医者の側にいた女官が問いかけてくる。
「お加減はいかがですか?」
久しぶりに聞いた母国語に、涙が溢れそうになった。
「ここは…どこですか?」
「雁州国は横流郷(おうりゅうごう)でございます。王宮に連絡もしておりますから、すぐに迎えが参りましょう。今後のことはそれから考えるとして、今は心安らかにご静養下さいませ」
言葉は分かるが、その内容が理解できない。
今、この女性は何国と言ったのか。
その後の言葉はどう言う意味が含まれているのか。
ただ眠ってもいいのだと言われていることだけが理解出来た。
親切そうな女性の笑みに助けられ、は深い眠りの淵へと落ちていった。
しばらくその場で療養し、起きあがれるようになると、男が一人尋ねて来た。
やはり見慣れない服装であるが、上等な服を着ているところを見ると偉い人物なのだろう。
「基本的な事をお聞きいたしますが、今後の貴女様の為、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げる」
堅苦しい言い方にこの人もかと、少し辟易(へきえき)する。
初めは母国語を話す女性に感動したのだが、あまりに丁寧過ぎる言葉や言い回しに馴染みが無い。
医者も女性もそんな調子で話しかけてきたが、この男までもがそうだ。
「蝕(しょく)に巻き込まれましたか」
「蝕?」
「覚えておりませんか?」
蝕が何か分からないんですとは、言い出すことが出来なかった。
さも常識であると言った様子の問いかけであったからだ。
「貴方様はどこの国の台輔です?」
「私が…何?国を言うのなら日本ですけど…」
「なんと、日本からお越しですか!」
驚いた様子の男に、は少し身を引いて頷く。
「念のためにお聞き致しますが…貴女様の称号は?」
「私の…??」
訳されているとは知らず、は聞こえた言葉を呟いた。
ちらりと横に視線を動かし、これの事かと考える。
横にはの着ていた衣服が掛けられている。
悦恋(えつれん)から借り受けていた衣装。
これのことを聞いているのだろうか。
「これは、私のものではありません。一緒に仕事をしていた人の服なんです。悦恋と言う女性なんですけど…。それで、職場で私はレギーナと…」
「そ…それは!…真でございますか?」
「え?…ええ」
驚いた様子の男に、も驚いてしまった。
何が彼を驚かせたのか分からぬまま、次に何を言えば良いのか考えあぐねている。
すると男はおもむろに立ち上がり、深く腰を折って言った。
「どうやらわたしの手に負えない事態のようでございますね。すぐに国府に奏上し、指示を仰ぎとうございます」
そう言うと、男は部屋から出ていった。
何が起きているのか理解できないは、ただ唖然としてしばらく固まっていた。
「先輩…」
ふと口をついた呟きに、自ら驚いて我を取り戻す。
古い記憶が、何をきっかけにしたのか分からなかったが、急激に思い起こされた。
「先輩も…こんな風に知らない所に行ったんですか?」
それはもう随分と前。
まだが高校生で、アルバイトをしていた時に知り合った人物だ。
後輩の面倒見が良く、仕事に厳しく責任感が強い。
とても綺麗な顔立ちの女性だったが、それを鼻にかけた様子もなく、の憧れの人だった。
彼女はある日突然姿を消した。
のせいで従業員ともめ、その次の日から来なくなった。
これだからアルバイトはと、原因となった従業員が店長にぼやいているのを聞いた。
それから数日後、原因不明の失踪であることを知る。
アルバイト先から帰宅するまでの間、忽然と姿を消した。
それを知ったのは、バイト先に警察が聞き込みに来たからだ。
警察の口振りで、誘拐ではないらしいと言うことは分かったが、個人的な付き合いがそう深くなかったにとって、それ以上は知る術がなかった。
ただ何かの事件に巻き込まれた可能性は高いと言われ、ショックを受けたのは覚えている。
しかしそれも時間が経つと、自然に忘れられていく。
家出したのだと言う話も誰かから聞いたが、どうにもそれを信じられなかった。
だが、今の自分の状況に置き換えてみればどうだろうか。
見知らぬ土地に辿り着いたのだとしたら?
どうやら日本ではないようだが、日本語が通じる者もいる。
地震に遭遇した時に海を越えたのだとは思えないが、現にこうして他国らしき場所にいるのだから、そう思うよりないのだろう。
星座が分からないほど遠くの国に自分はいる。
あまり考えたくない事だが、生きていた…知っていた世界とは違った世界なのかもしれない。
自分がこういった不可思議な事態に陥ったのだから、先輩がそうでなかったと言い切れるだろうか。
少なくとも、何かの事件に巻き込まれて、死体すら見つかっていないと考えるよりは良い。
「こんな風に…怪我をしてなければいいんだけど」
はまだ痛む体をゆっくりと横たえ、瞳を閉じると深い眠りに誘われていった。
「なあ、なんだっておれまでこんな目に遭うんだ?」
金の髪がさらりと揺れ、硝子を通して射し込む鬱金(うこん)に瞬いた。
恨めしげに見つめた主は振り向きもせず、御璽を片手に作業を続けながら答える。
「王と麒麟は一蓮托生だからじゃないのか」
「おまえが祭祀を忘れて出かけたからだろ!」
「抜け出す直前に見つかるような事はしていないがな」
以前、逃げ出す直前、内史に掴まってしまった事を言っているのだろう。
随分と前の話になるが。
それから見張りが強化されたのは、言うまでもない。
「目の利く女官がいるんだ。確か里謡(りよう)と言ったかな…」
今にして思えば、と六太が溜息とともに言った。
「春官府から移動してきたんだよな、里謡って。あそこは長官と次官があれだから…」
そのおかげで、悲しいくらい教育が行き届いていると言って、六太はさらに深い溜息をついた。
明日の祭祀が終われば、少しは楽になるだろうかと、不安げに筆を持ち直した六太。
今までで一番大きな溜息が房室に流れた。
翌日、まだ未明の頃。
王の近辺に詰める者は一様に緊張を高めていた。
ここで逃げられたとあっては、夏官の名折れ、天官の名折れと、暁鐘(ぎょうしょう)も聞かぬ内に動き始めていた。
王の自室の外に配置された者も、眠い目を擦りながら見張りを続けている。
そこへ声がかかった。
「まだ暗い内からご苦労様です」
禁軍の伍長である彼は、声の主を捜そうと体を捻る。
「あ、大宗伯。こんなに早くからどうされたのですか?」
「少し心配になりましてね。色々と見ていたのですが、禁門へ抜ける辺りが薄い配置になっておりますね」
「え?それは問題では…」
「さて、どうでしょうね。内殿から逃がさねば、問題ないのですが」
「それはそうなのですが…心配になってきました。少し様子を見て参ります」
「そうですか。では頼みましたよ」
そんな会話に聞き耳を立てる者がいた。
朱衡と夏官の会話は窓際でのこと。
すぐ側の房室の中にまで聞こえていたのだ。
人気のなくなった庭院へ向けて、窓が開かれたのはそれからすぐの事だった。
不可思議な質問をされて三日後の事。
また違った男が部屋の中に入って来て、椅子に座って様子を窺(うかが)っている。
男がいると気付くのに遅れたのは、飲み続けている薬湯の睡眠作用によるものだった。
扉の閉まる音に浅い眠りから目を覚ますと、何かの気配が有ることに気が付いた。
そこで身を起こし、辺りを見回してみて気が付いたという訳だ。
「誰…?」
「お前が女王と名乗った女か」
「女王?私が?」
「そうだ。郷長に問われただろう。号を名乗れと」
「号…?誰に問われたの…?」
男は物静かに問うていたが、そこからは威圧感が漂っている。
萎縮(いしゅく)するように肩を竦めた瞬間、先日問われた事を思い出した。
「職場の事を聞かれた時の話でしょうか…?レギーナと呼ばれていたと、そう言った事は確かですが…ラテン語をご存じだったんですね。確かに、ラテン語でレギーナは女王と言う意味を持ちますから」
「何語と?」
「ラテン語ですか?色々な国の元となった言語です。今は一国を除いて、ほとんど使われることはなくなった言葉ですが…外国では詩なんかにも使われていて、日本では商品名によくなっていますね。もちろん、私のような者も利用するわけですが…」
「ような者、とは?」
「私は占い師です。西洋の占いを仕事としています。私の着ていた服は同僚のもので、少しみなさんの服と似ているようですが、もともとは違った服装でした。ただ…大きな地震に飲み込まれて怪我をしたんです。その時着ていた服があまりにも酷かったので…」
急激に思い出される辛かった時間。
一呼吸置いたは再び語る。
「同僚から借りていた服に着替えたんです」
「その髪の色は?」
「染めています。ジプシー占いが専門だったので、それらしく見えるように金に染めたんです」
「やはりな」
男はそう言うと笑い、立ち上がって窓に向かった。
窓を大きく開け放ち、外を眺めているその背からは威圧感が消えていた。
その様子を見て、少し不安になった。
今答えたことによって、自分の今後が決まるのだろうか。
男の端正な横顔が陽に照らされ、冷たい風が室内に流れ込んできた。
その顔を見ていると、今感じたばかりの不安が薄れて行く。
不思議な空気を纏(まと)った人物だと思った。
寒かったのか、気遣ってくれたのか、男はすぐに窓を閉めると、の近くに戻ってくる。
「と言います。あなたは誰?」
「尚隆だ。なおたかと書く。他国の麒麟が雁に庇護(ひご)を求めて来たと聞いて、国府から人を寄越す相談をしていたが、先に様子を見に来た」
「…しょうりゅう?他国?ここは…日本なんですか?」
こちらに来て初めて、それを口に出して問うた。
その瞬間、虚しい風がすり抜けて行った事に、自身驚きを隠せなかった。
そんな心情を知ってか知らずか、尚隆は否定的な言葉を発す。
「いや、日本ではない。雁と言う名の国だ。もちろん、中国でもない。蓬莱からの視点で簡単に言うと、影の国だ」
やはり、と頷きながら更に質問を重ねた。
「影の国とは、どういう意味ですか?」
「それを聞く覚悟はあるか?」
逆に問われたは、一瞬躊躇(ちゅうちょ)した。
目前の人物は全てを分かっているようにの返答を待っている。
影の国と言ったこの人物なら、の疑問をすべて教えてくれるだろう。
は尚隆の目を見ながら頷き、口を開いた。
「…では、教えて下さい。この国の…いいえ、この世界の事を」
意を決した瞳を確認したのか、尚隆はゆっくり頷いて口を開く。
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